日本新聞博物館

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2012年度「ボーン・上田記念国際記者賞」受賞記念講演会が開催されました

2013-04-11 10:34:44 | イベント

 4月6日、優れた国際報道に贈られる2012年度「ボーン・上田記念国際記者賞」を受賞された日本放送協会(NHK)カイロ支局長・太勇次郎(ふとり・ゆうじろう)記者をお招きして、講演会を開催しました。当日は悪天候も予想された中、16歳から85歳までの113人がご聴講になりました。ご参加いただいた皆さま、まことにありがとうございました。
 太記者は、パキスタン・アフガニスタン駐在5年、エジプト駐在4年にわたる取材体験記を中心に、9・11米同時多発テロから「アラブの春」へとつながる中東の激動の10年間を、静かな語り口ながら、熱い思いを込めて語られました。Photo
 東京外語大インド・パーキスターン語学科を卒業した太記者は、出身地・横浜で高校教師をしていた1989年、パキスタン政府の「日本語教師として国際貢献をしませんか」という誘いを受けて、公務員として2年間、軍将校の教官を務め、イスラムなどについて学びました。帰国してNHKに入局、2001年に米同時多発テロが発生してから、パキスタンでの経験を生かしてイスラム勢力の動向を追い始めました。米ソの代理戦争の場であったアフガニスタンは、冷戦後、世界から忘れられていきましたが、弾圧から逃れたイスラム勢力が集結していきました。
 「米が育てた志の高いイスラム戦士がアルカイダに成長した。アルカイダはイスラムの人たちの尊敬を得ており、支援することはジハード(聖戦)に参加することとみなされている。9・11の責任の一端はアフガニスタンから目を離していたメディアにもある。米は自由主義を唱える一方で、自国の利益のためにアラブ諸国では独裁政権を黙認した。アラブの人たちの悲しみと怒りが9・11と『アラブの春』を生んだ。9・11から10年を経て、アラブの人たちは過激なテロ『ジハード』を否定して自らの声を上げたのだ。しかし、カイロにいながらも、アラブの春の流れを読むことはできず、アラブ諸国の変化を追いかけることしかできなかった」
 日本人の犠牲者を生んだアルジェリア人質事件について、「冷戦後のアフガニスタンと同様、マリにテロリストの聖地ができつつある。手遅れにならないよう、マリから目を離してはいけない。世界中に『無関心な空間』(関心を向けない国)を作ってはいけないのだ。アラブの春を体験したチュニジア人とエジプト人が、なぜ再び事件を起こしたのか、考えてほしい」と訴えました。講演後には質疑応答も行われました。
 イスラムの人たちに寄り添い、平和と発展を願うとともに、日本の人たちに理解を深めてほしいという気持ちを込めたご講演は聴講者の心に届き、参加者アンケートには「事件の背景を深く考えることの大切さを教わり、国際報道の在り方について勉強になった」「中東だけでなく世界の情勢がよく理解でき、面白かった」「今後の活躍を期待する」などの声が寄せられました。
 日本新聞博物館では、これからも「ボーン・上田記念国際記者賞」受賞者講演会をはじめ、さまざまな活動を通して、報道現場の声を皆さんにお伝えして参ります。
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