カセージンのひとりごと

『奥多摩大好き』改題(2017年にタイトルを変更)

新学期祝いの品は偉人伝

2019年04月09日 | Weblog

 新しくなる紙幣が発表された
 その中の肖像の一人”北里柴三郎”

 小さな集落の小さな分校、図書室すら無い
 移動図書館みたいなのがたまに来た、本校の図書室から見繕って持ってきてくれるものだ
 それ以外に書物らしいのはない
 したがってぼくは書物に飢えていた

 昭和30年台のことである
 ある春の日に一冊の本が届いた、進学祝いに親が注文してくれたものらしい
 興奮してた開いてみたがそれはいわゆる偉人伝であった
 それほど嬉しくなれるような本ではなかった
 しかし他になにもないので隅々まで読み尽くした
 今でも覚えている、おそらく北里も小学生くらいの頃の話 国書、漢書などを教わっていたらしい
 その内容がすごいのでいわゆる偉い人はやはり違うと感心したものだ

 さて本日思い立って”北里柴三郎記念室”を訪ねた



 折も折である、これから取材や見学者が多くなるであろう?とスタッフがおそらく案内番組(ビデオ)であろうものを作っているらしかった
 ここで少し気になることが・・・
 ナレーションの練習であろう「この記念館はきたさとしばさぶろうが・・・」となんども繰り返しているのである
 北里柴三郎の発音はきたざとがにごる
 ”彼の故郷での呼び”はどうだか知らないが我々は”きたざと”教わってきたものである
 その偉人伝も小学生用であるから当然ルビが振ってあった
 記念室に展示してある小学生用の教科書にもひらがなで”きたざと”となっている

 ただし横文字アルファベットの文献書物はすべてKitasato KITASATO となっている
 この記念室のある施設(学校法人北里研究所)は”きたさとけんきゅしょ”と読ませているらしい
 北里柴三郎の著者名や自筆署名は Kitasato と記している

 どういうことか?
 北里柴三郎はドイツに留学していたのである、また彼の地で活躍もしていたのだ
 ドイツ人に”きたざと”と読ませるには たKitasato と書くのである
 英語風に kitazato と書いてはいけない、それをドイツ人は”きたつぁと”と発音するであろう
 マツダを mazuda と書くであろう
 なぜか調味料のミツカンはMizkan と表記する

 柴三郎のサインを見たドイツ語のわからない日本人がきっと正しい読みは”きたさと”だと思ってしまったのではないだろうか?
 それで北里大学=”きたさとだいがく”となってしまったものか
 本当のことは多分誰かよく知っている人がいるであろう

 ぼくは数年ドイツに住んでいたことがあるのでこんなことを思ったものである


 さてそこからしばらく歩いて有栖川宮記念公園を散策したりして帰路に着いた






  おしまい

 
 
 
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