
心の必要を感じて、センチメンタル・ジャーニーに出て来ました。
いやなんの事はない、僕が育った街、静岡にちょいとばかし行ってきた
だけなんですが。
静岡(住んでいたのは今はなき清水市)では、幼稚園の年長さん~
高校一年までの10年ほどを過ごしました。つまり、青春前夜までの
思い出は全てここにあると言っても過言ではありません。
東京からはせいぜい180キロ程度、高速にのれば2時間の土地なん
ですが、福岡に転校して以来かなり疎遠になっていました。ここ20年
程で訪れたのはわずかに二回。そうして、僕にとっての静岡とは神格化
された、或いはお伽話化された土地になったのです。
東名高速静岡インターで下り、先ずは‘新静岡センター’へ。ここは、
電車(静岡鉄道)の終点であり、デパートであり、という場所。小、中学
と電車通学をしていた僕はここを毎日通って学校へと通っていました。
しばらく眺め、9年間通った通学路を辿ってみたんですが…何だか全て
が小さく感じるんですね。道幅はもっと広かったように感じるし、そもそも
新静岡センターってもっと大きかったような…。もちろん新静岡センターが
小型化するはずはなく、僕のイメージの誤差です。思い出は美しいとひとは
言いますが、思い出が巨大化するもんだとは誰も教えてくれませんでした。
学校に着いた頃にはもう暗くなっていたので、校舎の全景を眺めることは
叶いませんでしたが、どうやらほぼ変わりなかったようです。
その後、中学時代にお世話になった塾を見つけて突撃訪問。この塾、当時、
入れさせてもらえる高校がないかと思われた僕の学力を、清水東に滑り込める
程までに引き上げてくれたのです。相当スパルタで、授業が時間通りに終わった
事など一度たりともございませんでした。
それにしても、あれから20年近く経っているのにビルの匂いまで変わらず、
通っていた当時の、教室のドアを開ける気の重ささえ思い出しました。先生
もまるでお変わりなくお元気そうで、ちょいとビビってしまいました。白地図
渡され、「アメリカ全州覚えたら帰ってよし」なんて言われそうで。
(授業、そんな調子だったんです。受験に直接結び付かないじゃないですか
そんなこと?しかし、ここで学んだ事は大きな財産になっています)
次に向かったのは住んでいたマンション。静鉄草薙駅から徒歩3分、周辺
含め、何も変わってませんでした。
ここでもしばらく眺めていたのですが、なんだか持て余したような気がして
きて、帰路につくことにしました。
僕にとって静岡は、夢の象徴だったんです、おそらくは。年齢的に‘現実’
とか‘社会’とか、そんなキーワードと無縁で過ごしていたこと、気候が穏や
かなこと、適度に田舎であること。キリキリとした都会に居を移し、気を張って
生きながら、いつかはこの場所帰ることを夢想していたのかもしれません。
しかし、訪れた静岡に、僕の帰る場所など当然どこにもありませんでした。
何も変わらないようで、激しく変わり続けた20年近くの歴史があるんです
ものね。
人間は前を見て生きるイキモノなんだな、と今更ながら感じました。まぁ
いつか、横や後ろを見る事に思い至ったなら、‘静岡’に帰ってこようかな。
(写真はかつて住んでいたマンションの入り口)
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「大阪→東京→千葉→京都→大阪」
という転居の多い人生ですが、全て18歳以降という自分の意思で引っ越したことばかりです。
ですので、青春時代のあの場所が過去になってしまったという経験は一切ありません。
現在わたしは不本意ながら生まれ故郷に住んでいます。
故郷を離れている時でもたまに帰省すると、渋滞した道路や町の雑然とした様子に「あぁ故郷…」と安心感を抱きました。
(え、何かヘンですか?故郷だけど田舎じゃないんで)
純平さんの「故郷」の話を聞けたのは嬉しかったです。
土着の者でない哀愁を感じました。
また他の「故郷」の話、埼玉や福岡のことも聞かせて下さい。
最終的にはアメリカまで渡ってしまったり。
去年15年ぶりくらいに一番思いで深かった土地に足を運びました。
住んでいたマンションは汚くなっていたけど
まだ残っていたり、小学校の校庭は田舎だからか
思っていた以上にだだっ広くて驚きました。
きっと東京の校庭に慣れていたからかな。
とても心に染みるいい旅でした。
私はすぐに故郷が気になります。
人ってそれだけ生まれとか所属とか
そういうものを無意識に
大事にするところがあるような気がします・・
私も生まれたところではない地方に
しばらくいた時は、周りよりも自分自身が
「部外者」を意識していたような気がします。
「故郷」まだまだ奥が深い。。。
旧清水市在住者です。
純平さん、いらしてたんですね。
政令指定都市になってからは、市の名前だけでなく
2月から電話番号まで変わってしまうんですよ。
市外局番が054になるので、054-3●●・・・と続きます。
少し淋しい気もしますが、この街は昔と殆ど変わらず誰でも優しく受け入れてくれる街です。
いつでもまたいらして下さい。
月さむとか、行っちゃって下さい。
青空の壁紙は今も其処にあります。笑
講堂は塗り替え工事か何かで雰囲気が変わったようです。
私もまだ見に行ってませんが。
時間が経ってしまうと、目の前にある現実のものが現実に思えないことがあるのかもしれませんね。
また遊びにきてください。
私、附中同級生。
乗降駅は、今はなき狐ヶ崎ヤングランド前。
純平といえば、SかF。懐かしいでしょ?
今は東京におります。
ぜひライブも拝見したいと思いつつ…
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