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ユーロ円観測(8時間足)110130

2011年01月30日 22時22分36秒 | FXテクニカル観測
ユーロ円の8時間足である
このブログには月足・週足・日足を主に使うので、珍しいかもしれない

先週のユーロ円は、114円を付けた後、111.72円付近まで叩き落されている
これに先立ち日足からは減衰のサインが出ていたので、実は私は112.58円から売り目線だったが、実際にはサポートを切る事ができず最後に一伸びした後の反落となった
分析不足だとこのような事がよく起こる、反省が必要である

8時間足のチャートでは、視覚的に面白い現象が起こっているようだ
EMA80と160、40と320のそれぞれクロスしたポイントで週を終えた
下値打診がピタリこのEMAで跳ね返されているのには本当に感心してしまう
111.50円付近を下回った場合には、次のメドは明確であろう

さて、のっけのチャートが8時間という事で、ここからはいつもと趣向を変え、たまには短い足の実践的トレードを振り返ってみたい
チャートは2時間足である

下を向いた大きなウエッジは、テクニカル的には上へ抜け出す事が期待されるが、3回のレジスタンス打診の後、一旦ウエッジを下向けしたように見せかけて(ポイント6)おいて、実は上に抜けるという、最近の変形定石(?)を踏んだようだ、幸いにも私にとっては想定通りのストーリとなった
チャートからのみの判断では、ポイント6では売ってしまいかねなかっただろうが、そこはさすがに学習回路が働いた
むしろポイント6は絶好の買い場だった(と調子に乗ると早晩痛い目に遭うのも真実、今回はたまたま上手く行ったと謙虚にならなくてはなるまい、しかし底値付近で買えた時、天井付近で売れた時には、言葉で表現できない快感を感じてしまう、この感情は敵だ)

ウエッジ上抜けによるチャート上の買い参入ポイントと、インジケータからの買い確認ポイントにギャップがある点に注目して欲しい(分かりにくいと思うが、インジケータは実はウエッジ中から上抜けを訴えていたのだが、このポイントでそれを最終確認した、というような意味合いである)
トレードには、このように複数のエビデンスが必須だと思う
私の場合はシンプルに4つだ、4条件が揃わない限り、参入する事はない
その内容や組合わせは、各トレーダが独自に設定すればよく、どんなものであろうともそれが勝率51%を約束するなら、貴方はもう無限の財布を手に入れた事になる
ただし、手数料分も考慮に入れるのをお忘れなく

チャートはユーロ円1時間足である

上で述べたエビデンスの類を一切省略して結果だけを書き込んでいるため、これを見た人はなぜこのような判断になるのかサッパリ分からないだろう
というか、それが分かれば私のデュプリケーションがいることになる

1つ言えば、この一連のトレードはとても難易度の低い、安全なトレードだった
上昇分の少なくとも2回のブレイクアウトを見てみても、リテストさえ発生していない
また、一目均衡表でいうN計算値は、見事に114円付近までの上昇幅を予想させている(にもかかわらず、実際には私は112.58円から売り目線だった事は先に告白した)
今回私も再確認したのだが、短い時間足とブレイクアウトとCCIは、とても相性が良いようだ
以前はこの組み合わせで、短期トレードばかりやっていたのを思い出した

NK225観測(日足)110123

2011年01月23日 22時20分37秒 | NK225および個別株

チャートは日経225採用銘柄の日足である

2010年11月28日エントリの内容 では、
「それでも上に抜けた場合は、2008年6月頭からのある重要なレジスタンスを上抜けする事になるので、買いで付いて行きたい、すでに2007年7月から形成されるレジスタンスは上抜けしており、\10800付近までの上伸が見込めるかもしれない」
としたが、その見方は年が明けても不変である
現在の下げ相場は何らかの理由により反転するだろう
問題はその先だ

もし\10800円付近を付けることがあったら、そこから先は売り目線に転換する必要があるかもしれない

週足からはその匂いがしてきている
価格がそこに到達した時に判断できるので、注目している

日本人における長頭性(その2)

2011年01月04日 23時59分59秒 | 雑談その他

タイトルの「日本人と長頭性」についてであるが、写真は撮り立てホヤホヤ2007年生まれ3歳女児の頭蓋骨(とうがいこつ)である
一般的に女性は男性よりも頭示数が高く、即ち短頭傾向があることが知られている
短頭傾向という言葉が難しければ、寸詰まりの絶壁頭を想像して欲しいのだが、この子は頭示数72前後を示す長頭タイプの頭蓋骨の持ち主である
写真では分かりにくいかもしれないが、実物は一目で(頭が前後に長い、後ろ頭が出っ張った子だなあ)、あるいは手前味噌ながら、突出した後頭部のカーブが何とも可愛らしく(頭の形の良い子だな)との印象を与える、親バカは何卒容赦願いたい

断りなしに使ってきた頭示数だが、ここで定義を確認しておきたい                      出典:科博溝口研

頭示数とは、頭蓋骨の前後長と全幅の比×100が取る数値であり、値により以下に分類される
   ・超長頭型 64.9≧
   ・過長頭型 65.0~69.9
   ・長頭型  70.0~74.9  ←冒頭写真の3歳女児
   ・中頭型  75.0~79.9 ←日本人傍流
   ・短頭型  80.0~84.9 ←日本人主流タイプ 
   ・過短頭型 85.0~89.9   ←朝鮮半島人主流タイプ
   ・超短頭型 90.0≦      ←朝鮮半島人傍流
生体であっても測定可能なのはナチスの例で述べたが、その場合は導かれた値から概ね1.0を減じた数字を採用すべきで、これは前頭部と側頭部の筋肉・脂肪の厚みを勘案し骨測定の値に近付ける目的がある

冒頭の3歳児では、動きたがるため測定に苦労したが、実測値で73.1前後、定義に則ると恐らく72前後の頭示数になると思われ、現代日本人としては人口の10%以下を占める、珍しい頭蓋骨の持ち主という事になる
本邦日本人を見る時、電車でも街角でも良いのだが、一見すると頭の前後長が短い人が多いと感じないだろうか
総じてアジアの各人種、特に北東アジアの住人は、ヨーロッパ人に対して頭蓋骨の総幅が大きく、前後長が短い傾向がある
見た目の印象で言えば、(頭(:顔)が大きいなあ)となるし、北部中国人や朝鮮半島人では尚更その傾向が強い
 朝鮮半島人男性、いわゆる「大顔」の印象
幅が大きいのに前後長が短い寸詰まりの頭形なので、頭示数では大きな数字、即ち短頭、一般的には絶壁頭と称される形状をとる場合が多い(なお本来は絶壁頭と短頭傾向には関係はなく、長頭短頭と高顔低顔も同様)
少し触れておくと、中源に住む中国人は古代から現代まで一貫して中頭タイプだという
恐らく古代中源を占めた本来の漢民族と現代のそれは何度かの人種交替を起こしているはずだが、中頭傾向は変わらないそうである
朝鮮半島人については、三国志時代から短頭だった事が知られ、現代韓国人では多数が過短頭あるいは超短頭タイプに属するそうである、言われて見れば、韓国人男性は皆な絶壁頭のイメージがある

さて、現代日本人からは到底想像できない事に、我々の祖先は長頭人種とでも呼ぶべき頭蓋骨の持ち主だったと聞けば、にわかには信じられないのではないだろうか
実は、現代日本人の中頭に近い短頭が主流派になったのは、実際ここ100年ほどの状態なのだ
現代日本人、例えばヘルメットメーカ昭栄では、頭示数80前後を想定して製品開発を行っているそうであり、これは、頭示数から言って中頭型~短頭型を想定している事になる
中頭に近い短頭タイプが多数派を占めるようになる以前の祖先は、古墳時代以降グングン長頭化が進行し、ピークを迎えた鎌倉時代人では平均値で75以下、頭示数60以下のスーパー長頭とでも呼ぶべき頭蓋も珍しくなく、世界でも有数の長頭集団であった事が分かっている
<伊達政宗の頭骨>
ヨーロッパで出土するクロマニヨン人と見まごうプロポーションである、後頭部の突出はヨーロッパあるいはアフリカの人類を髣髴とさせるが、これは中世日本人には一般的な特徴であった
政宗公の頭部は、一見して分かる長頭型(頭示数74.09)、長頭の原因は後頭部の突出と狭顔であり、この特徴は鎌倉~江戸時代の日本人の多数派であった
武家の棟梁も、例外なく中世日本人の典型的頭蓋骨形状を有していた事になる
<伊達政宗の頭骨>

鎌倉時代人では、鎌倉市の材木座海岸や極楽寺から出土した2000体を超える人骨が有名であり、標本数として統計上も充分に信頼が置ける誠に貴重な調査結果がある
江戸時代頃までは横幅が狭く前後が異様に長いタイプの頭形を「才槌(さいつち)頭」などと呼んで揶揄していたが、明治以降、長頭人口の激減と共にこの言葉も絶滅してしまったようである(代わりに発生したのが絶壁頭の呼び方なのだろうか)
鎌倉時代以降、700年に渡り継続して短頭化が進行し続けた結果、男性で頭示数80以上の短頭が現れるようになったのは、20世紀に入ってからの事だという
この辺りは鈴木尚氏の秀作「日本人の骨」に詳細な研究結果が記されており、父の愛読書であったこの本を、私は衝撃を以って読んだのを思い出す、興味ある方は一読を勧める

因みに最近2002年頃から、日本人の短頭化進行が止まったのではないかと言われるようになり始めており、当時の各新聞紙面を飾ったのをご存知だろうか
進行が止まったが現在の短頭状態を保持するのか、先祖帰りで再度、ヨーロッパ北方人種のような長頭を目指すのか、それは誰にも分からない、そもそもなぜ短頭化が進行し、なぜ止まったかを誰も正確には説明できていない

長頭あるいは短頭であっても、人間の価値に差異はない訳で、そんな事は言うまでもないのだが、現実としては、長頭タイプの頭蓋骨に価値観を見出す人口が一定数あり、ヨーロッパやアメリカのうち国民に北方人種を含む国家では顕著である
前エントリではそれを「ナチスの残滓」と決め付けたが、では本当にそれは遺伝的要因だけで決定されるのだろうか
頭蓋骨の固定されていない幼児期には、古くから頭形矯正の文化が存在する事も知られている

冒頭の3歳女児については、出生直後からの写真が残っており、彼女の長頭性が後天的に獲得された形質であるかどうかをそこから確認してみたい
 <生まれたてホヤホヤ>
まだ湯気が出ている状態だが、恐らくこのとき頭示数を計測していれば、超長頭に分類されたであろう
後頭部の突出具合は一見してニグロあるいは北欧の子供のようであるが、彼女は日本人である
これは憶測だが、出生時の頭部前後長は、その後3年間で余り変化がないのではないだろうか
一方、頭幅はより拡大し、3歳現在では長頭に落ち着いたように思える
 <出産後しばらくして>
彼女の頭幅と頭長の割合が大変よく分かるアングルである、いわゆる「ツムジ」が後頭部の突出部分に存在するが、長頭タイプの頭蓋骨を持つ人に良く現れるようである
この突出した後頭部上のツムジは、3歳になった現在の冒頭写真でも確認でき、実物では、「え、こんな後ろにツムジがあるの?」と言うほど後退した場所にある
 <出産後しばらくして>
狭い額部が直立したまま前方に突出し、同じく後頭部が後方に突出しているのが分かる、後頭部の突出により、後ろ頭を手のひらで支える、と言うよりは、「つまむ」というイメージである
 <少し毛が生えた頃>
頭幅と頭長の比がよく分かるアングルである、額は狭く、狭い額の幅のまま後頭部が突出しているので、まるでラグビーボールのような形状である
 <少し毛が生えた頃>
後頭部の突出形状が確認できる、首の付け根と後ろ頭が大きな角度を成しているのが分かる
額が前方に突出しているのも確認できる

写真で確認する限り、出産直後から頭幅に対し頭長が一貫して長く、やはり彼女の長頭性は遺伝で獲得したものだと考えられる

同じく遺伝で獲得する瞼の形状についても確認してみる
日本人の場合、先天的な二重瞼獲得個体の割合は概ね75%前後、これが朝鮮半島人では30%前後まで下がる、ただし日本人の場合では、二重瞼は48歳頃までに出現し以降はなくなる、とされているそうなので、貴方がもし48歳未満の一重瞼あれば、希望が残っている事になる
 <出産後1時間以内>
瞼には既にクッキリとした二重瞼のシワが刻まれており、蒙古ヒダの存在によりそれは目頭から伸びているのが確認でき、彼女がアジア系の血筋である事が出生時から判明している
また出産直後には、眉毛やまつ毛がほとんど見当たらず、額には産毛が渦巻いていたものの、成長とともに消滅したようである
 <3歳現在>
いわゆる「ドングリまなこ」の持ち主であり、顔面に占める面積の大きなパッチリした目でまつ毛がとても長い、漫画のキャラクタのような印象を受ける
このような特徴からは、彼女の祖先が南方由来の遺伝子を持っていた事を想像させる
 <3歳現在>
蒙古ヒダが強く、よって寄り目を発生させている、また二重瞼の発生地点が目頭に誘導される点においてアジア人種、特に日本人の典型である
蒙古ヒダそのものは寒冷適応の結果、即ち北方由来の特徴であるとされている
 <3歳現在>
額部と後頭部が突出している一方で鼻根部の隆起は甚だ弱く、全体にノッペリした印象を受ける
いわゆる幼児らしい顔つきなのだが、これはこの時期だけの特徴なのか、あるいはこの形状を保持したまま成体になるのかは現時点では不明である
クッキリとした二重瞼は南方由来の特徴であるのに対し、鼻根部隆起のない凹凸の乏しさは北方由来である

さて
最後に確認しておきたいのだが、前回のエントリで書いた「人種」という概念そのものが現在は揺らいできている事実がある
主に骨格の形質と皮膚色により選別される「人種」分類は、専門家の間ではほぼ絶滅したと言って良い
私自身、かつて貪るように読んだ「不平等論」のゴビノー伯爵も、チェンバレン卿も、ワグナーも死んだ、という事なのだろう

追>
この記事で採り上げた3歳女児の8ヵ月後の姿を、「日本人における長頭性(その3)」でフォローアップしました
(2011-09-03)


日本人における長頭性(その1)

2011年01月03日 23時44分01秒 | 雑談その他
                                                               出典:科博溝口研

私の場合、社会に出てからというもの、概ね5年周期で自分の中にテーマを持って過ごしてきた、ここでいうテーマとは、興味の対象を指す
因みにここ数年のテーマ、興味の対象となっているのは外国為替の先物取引でありチャートアナリシスであるのは言うまでもない

話を戻すが、最初に興味を持ったのは、「ナチズム、およびナチズムを引き起こした社会的背景」だったと記憶している
理系出身者の私は全く門外漢となるこのテーマだったが、文献等の存在が豊富であり、資料を集めやすかった点は幸運だったと言える

しかしながらナチズムという現象をもし評価するならば、ブログというメディアは適切でないと感じる
そもそも新年のネタとして取り扱うにはナーバスに過ぎると同時に、たかだか3000字程度のブログでは、恐らく100回エントリを持ったとしても充分ではないだろう
一方、ナチズムを構成するいくつかの要素についての「個別の、かつ純粋な」考察なら、微妙な空気をある程度排除しながら記述することが可能かもしれない

さてナチズムが何たるかを調べていく過程で必ず直面するものに、人類における遺伝的要素で決まる形質、というテーマがある
メンデルでいう優性、分離、独立法則などが始祖らしいが、後には北方人種を国民に含む各国を中心に優生学という分野が成立し、20世紀に入ってからは公然と政策として立案・実行されていた
知られていないと思うが、優生学的政策に最も寛容かつ積極だったのは、英・米両国である
第2次世界大戦でドイツと対決した両国は、客観的に見て人種差別政策発祥の地の評価を免れない
特に米国では、南北戦争後の「ワンドロップルール(1967年に違憲判決)」等分かりやすいレイシズムは枚挙に暇がないが、第2次世界大戦直前まで「イタリア人およびユダヤ人は白人なのか」と大真面目に議論されていたし、ケルト人の子孫と見なすこともでき、1960年にケネディを輩出したアイルランド人ですら、白人として扱われるのは1920年代まで待たなくてはならなかった
この辺りの話をしてゆくと、かつて本邦が標榜した八紘一宇などの思想の正当性が担保される根拠になる、という見方もあるが、まあ、イデオロギやナショナリズムと不可分の分野でもあり本題から外れる事にもなるので、止めておこう
将来のエントリとして気が向けば採り上げても良いかもしれない


さて北方人種(Nordic)とは、コーケイジアン(Caucasian)の中でも現在ヨーロッパ北部に分散する、ある一定の特徴を備えた人達、またはそれらの祖先を指し、無理やり民族で分類するなら、古代ゲルマン人や古代ケルト人の多くは北方人種で構成されていたと推測されている
(便宜上、民族(Ethnic)という広く知れ渡った呼称を使用したが、古代ゲルマン諸族やケルト諸族に、現在でいう民族の概念は存在せず、共同体として彼らが同族意識を持っていたという証拠は一切見られない、あるとすれば恐らく、氏族に限りなく近い部族(Tributes)という単位のみであったろう)
北方人種の身体的特徴とは
  1.長身(男性で概ね173cm、女性では160cm)
  2.金髪あるいは薄い色の体毛
  3.白肌(薄バラ色の皮膚)
  4.狭鼻
  5.碧眼(灰色・緑色等のバリエーション含む)
  6.長頭
といったところだろうか

実は古代ヨーロッパにおいてケルト人(ケルト系諸族)、後にレイシストから「ヨーロッパに降り注いだ白い沖積世、白い戦士」と賞賛された人々の出自、人種的起源については諸説あり、いずれも定まってはいないのだが、最新の研究ではシジア、即ちスキタイなどとの関連を示す声もあり興味深い
ケルト人は多くの金細工による芸術作品を遺し、マケドニア人と接した後に金貨の製造を始めた、とされているが、スキタイといえば金細工の本家(?)ともいえ、いずれにしてもヨーロッパに金加工を持ち込んだのは中央アジア出自の民族であるという説は一定の合理性を持つかもしれない



ヨーロッパに青銅器をもたらし、紀元前の彼の地の隅々にまで拡散した彼らのグループの、少なくとも一部は北方人種で構成されていた事は確実である
それは古代ローマ人の残した文献中に出現するケルト人に関する記述で見ることができる
文献に現れる初期ケルト系諸族とは、
  ・金髪・碧眼・長身など典型的な北方人種的様相を呈す
  ・彼らの話す言葉は明らかに古代ゲルマン祖語と関係があった
  ・そもそもゲルマン人の「ゲルマン」とは、ケルト語の「純粋な」という単語が語源である
   ケルト人がゲルマン人を見た時、「(より)純粋な(ケルト人)」と呼んでいた事に由来する
  ・古代ケルト人は父系家族制を採る典型的な北方系文化の担い手であった
後にドイツ(即ちテウトニ、英語的にはチュートン人の地)という国が生まれる場所、深く黒い森で果てしなく覆われた現在の中央ヨーロッパ付近は、2000年を経た今日もその失われた古代語から引用された名で呼称されている事は、あまり知られていないのではないか

脱線してしまった、ケルト諸族の話は本題ではないのだが、仮にケルトの話だけするとしても4~5回のエントリは必要になるだろう
  さて
かつてナチスでは、典型的北方人種を選別する方法として、先に挙げたような身体的特徴(彼らの用語でいう、純正アーリアン人種)を満たすか否か、ということを基準として採用していたのだが、その中でも測定が簡単で日本の小中学校でいう「身体測定」的に全国民に強制したのが、「頭示数(あるいは頭指数)」の検査であった
頭示数とは頭蓋骨を真上から見た時の最大幅と最大長の比で表される扁平率を指す
扁平率によって短頭・中頭・長頭の3種類、これに過短頭・超短頭・過長頭・超長頭を加えた7ランクに区分する
この辺りの背景を記述すると、それだけでまた数回分のエントリが必要になってしまうのだが、要は当時は以下のようなエセ科学が採用され、
  ・頭示数は人種間によって固有かつ不変の数値を取るとされていた
  ・頭示数は先祖から遺伝する形質、即ちその人物の人種的出自を特定可能とされた
  ・純正アーリアン人種では長頭以上の頭形が典型的とされていた
  ・神は自らに似せ純正アーリアン人種を作り、長頭以上の頭形は人類の最も美しい形とされた
  ・他人種は、純正アーリアン人種の劣化型であり、劣等人種との交配により腐臭を放つ退廃世界が拡大するとされた
等々、挙げればキリがないのだが、オーストリアを含むドイツ国内および占領地で国策として推進された
<ドイツ人女性の例>
金髪・白肌・碧眼・狭鼻・突出した額・良く張ったエラ等、長頭度は不明も北方人種の特徴が良く発現している個体である

私はナチス的レイシズムを肯定しないが、その主張には一定の理解を示したくなる部分も存在し、ナチスが大衆からの支持を拡大していった背景が想像できる気がする
大衆はと言えば、何となく自尊心をくすぐられる話になびき易く、為政者の声は大きい程、嘘のスケールは大きい程に効果的で(ヒトラーは例の有名な言葉でこのことを端的に説明している)、それが実際の自分の生活に落ちてきた時の影響を知る頃には、もうどうしようもないところまで事態は進展しているということだろう

いわゆる絶壁頭の多くは短頭以上の頭示数だろうが、この手の人達にとっては不幸な事に、サングラスやメガネは絶望的に似合わない
なぜなら、サングラスは長頭タイプで鼻根部の隆起が著しいタイプの頭蓋骨の持ち主(実はこれこそが、長く人類の美の普遍形として刷り込まれてしまっている長頭タイプのヨーロッパ北方人種、ナチスでいう純正アーリアン人種そのものである)に似合うようにデザインされているのだから
長頭タイプの頭蓋骨の持ち主は、どんな髪形でも似合う、スキンヘッドしかり、刈上げしかり、長髪しかり、後頭部が出っ張っているとそれは尚更引き立つのだ
全く以って不可思議ではないか、なぜだろうか?なぜそう見えるのだろうか?
これこそが人類の意識の問題であり、その本質は刷り込みの問題であり、ナチスが後世の我々に遺した残滓であるともいえる

昨今は美意識の部分的転換が起こり、それはファッションモデルなどに見ることができる
分厚い唇や黒い肌を持った非北方人種的なモデルが躍進する一方、彼らの頭蓋骨形、骨格は依然として純正アーリアン人種そのものであり、所詮、北方人種のバリエーションの一部に過ぎないことが分かる
短頭の、大顔の、短足のスーパーモデルは主流にはなりえないし、高い頬骨や太い首、扁平で凹凸に乏しい顔面を持つハッキリしない一重瞼のモデルが闊歩する時代が来るとすれば、それは人類における何らかの大転換が起こった後と言えそうだ

ユーロ円観測110102

2011年01月02日 17時04分48秒 | FXテクニカル観測
ユーロ円月足である、しつこいが、ユーロ発足以前はドイツマルクからの引用換算となる、これは定義上の話なのでまた触れた
1970年代には対円350円台で取引されていた事実や、当時の平均年収(の低さ)を改めてチャートから想像すれば、2011年に生きる私達は何と大きな力を持ったものだとは考えられないだろうか、名目円レートは、単純に当時の3倍を超えているのである
詳しくはかつてのエントリ「ユーロ円観測(月足)(週足)0607」を参照されたい


ユーロ円週足である
例によって、1993年1月頭からの約18年分のデータを表示してみた
ここから分かるのは、90~170円の広いレンジで振幅しているという事、下落期間は、前回98年10月~2000年10月の丸2年間(この時の下落で、ユーロ円は史上最低値88.87円を付けた、当時は導入したユーロの崩壊が真面目に語られていた点で現在と似ている)を超え、2年と1ヶ月に渡る
但しこの見方には前提があり、2010年8月に付けた105.41円を大底と見立てた場合の期間である、現時点2011年1月を未だ下落期間に含むと考えるならば、既に2年4ヶ月弱が経過している計算になる

私の観測では、2010年8月安値105.41円と同レベルの打診か、またはこれを僅かに更新する可能性は残るものの、史上最低値88.87円を更新する事はここ暫く発生しない、恐らくあっても半年以上先の事になると思われる
現時点の週足ユーロ円は反転ムードがムンムンしており、ここから売りで入るならば痛い目に遭うだろう


日足である
レジスタンスに頭を抑えられ、定石に則って下落中であることが分かる
詳細は省くが、チャートからは2010年12月28日に107.61円(終値で108.03円)で、ある重要なポイントを通過したと考えている
2010年10月頭から、下落のレジスタンス上限にへばりつくように価格が推移しているが、これを上抜けた時、またどのように上抜けるかが注目点である


さていつもシンプルなチャートしか掲載しないので、今日は趣向を変えて、といってもオーソドックスなボリンジャバンドなのだが、を表示してみたいと思う
パラメータもこれまたオーソドックスに、20期間の2シグマとした、これだと少し寂しいので、中心線を20期間の単純移動平均線で補ってみる
さて2008年7月末以降、20SMAとレジスタンスラインは、ニアミスする事こそあったものの角度を保ち跳ね返されてきたのだが、ニアミス併走するのは2年半ぶりである
この事とこれから反転上昇するかどうかには何の関係もないが、今回のようにボリンジャバンドと組合わせて眺める事で、何か面白い情報が浮かび上がってこないだろうか

主要3通貨を扱ったため3連続エントリとなったが、ユーロ㌦では週足からユーロの上昇示唆、㌦円では同じく週足からドルの上昇示唆、となれば、本来ユーロ円を単独で観察する必要はあるのか?という議論になると思うが、そこにはやはり意味はあって、ターゲットカウントから具体的に取るべきレートを予想する事が可能な場合がある
これについては、気が向けばエントリを別に設けるかもしれない