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前方後円墳マニア

2014年08月31日 18時06分42秒 | 雑談その他
無題2
・最大級の前方後円墳を巡る
マニアを自称している割には、久々の前方後円墳となる
なぜ前方後円墳マニアなのか?
それはこの何とも言えないカタチの魅力にとり憑かれたからであろう
無題6
前方後円墳を見学しに行ったのに、バイクは神社の境内に置くことになった
なぜならば、本来ここは巨大前方後円墳の後円部ふもとにあたる場所だからだ
ギリギリ日陰に包まれる、正に南中の時間帯、太陽は頭の真上に位置する
無題
この古墳が造られたのは400年代、古墳時代中期とされ、大和政権自体は300年代の初期に成立していたと見られているものの、倭の五王時代の只中であったと思われる
倭の五王が歴代の天皇を指すのか、(天皇を含む)別々の5王族を指すのかは分かっていないそうで、その最大の理由は、当時の中国の史書に登場するこの五王の記述が、日本側の正史、つまり天皇系が編さんした歴史書にはないからだそうだ
正史に記述が見られない理由は2つのうちどちらか、1つは、編さん者にとって都合の悪い事実だから、1つは、自分の歴史ではないから、そんなところではないかと想像
無題4
この”頭上注意”の鳥居は、神社のいわゆる(表)参道に設けられているものだが、この参道の先の小高い丘の上の神社は、後世の人が、巨大前方後円墳の正しい価値を認識せずに(?)、前方後円墳の後円部を切り崩して造られたものだという
江戸時代に崩されてしまったこの古墳、全長120m!、前方部幅62m、後円部直径64m、とただただ巨大で、海上交通を支配した王族の墓であるとされる
無題5
門前に伸びる参道から臨む赤い線で示す辺りには、本来は後円部があったとされる
マニアの私から見れば複雑な心持ちになってしまう
無題3
神社として再開発してしまったため、往時の、その壮大であったろう姿を留めていないのが大変残念である
陸上競技場に行くと、100mが実に長い距離であると分かるが、何しろそれを大きく超える全長120mなのだ
無題16
恐らく自然の地形を利用し盛ったり削ったりで形を整えたものと推測するが、それにしても120mもの人口物を造る事ができたとは、大きな権力や財力の持ち主だったのだろう
この手の遺跡遺構を見るたび、他人を自分のために働かせる原動力は恐怖だったのだろうか、それとも何かの利益を与えたのだろうか、と思う
きっと富のばらまき、公共事業的な意味合いが強かったのだろう、と想像
無題15
私に置き換えてみると、友人に日当をやって引越しを手伝わせるのが限界か、いや、今やそれも難しいか
無題12
いくつか鳥居をくぐり参道を歩き切り、広場を抜けて、元の後円部に造られた階段をトコトコ登り切ったところにまた平らな広場があり、そこが神社の本殿
被葬者のいる後円部を削り取ってしまってその場所に建てたもの、不敬である、なぜならこの神社に祀ってあるのは被葬者とは違う人物
上の赤い線は、削り取られる前の、本来の前方後円墳の円墳部分の盛り土高さを示すものである
無題11
神社本殿の最高部と、本来の盛り土が同じ高さだった、と推測されるそうだ
ここは海に程近い場所なのだが、造成当時は白い石が敷き詰められ、海を行き来する船からも、とんでもない遠方からも、それはそれは目立っていた事だろう
無題14
こちらは前方後円墳をほぼ真横から見た構図
見えているのは後円部のみで、巨大な前方部は画面から遥かはみ出してしまっている
その巨大さが理解できる
無題7
神社本殿から後方に伸びる社
ここは後円部と前方部の境目付近になる
前方に見えている斜面は、前方部から地平に伸びる斜面そのものである
無題8
立ち木に覆われた上に元来の地形がかなり崩れてしまっているが、前方部の斜面を見ている
写真では全く伝わらないが巨大である
無題13
前方部の先端付近
地平まではかなりの高さがある
無題10
前方部の始まりを臨む
地平に伸びる斜面がよく保存されているのが分かる
無題17
コチラは我が家の移動式前方後円、新パピちゃん
パピちゃんの後円部が丸く見えている
前方部は画面奥側に伸びている
髪型からか、ちょんまげが似合いそうな頭の丸みである



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