・北方人種の青年2人からモルモン書を貰い受ける
先日、暑い夜に一人で歩いていると、後ろから呼び止められた、”チョット良いですか”
独特のヘルメットを着用したまんま北欧人のようなルックスの青年が2人、自転車を降りているところだった
多くの人が同じ経験を持つのではないだろうか、彼らはモルモン教の青年伝道師であった
覚えたての日本語で、”人間は死後どうなると思うか” あるいは、”天国の存在を考えた事があるか”、”死後あなたは天国に行くと思うか”、などの質問を投げてきた
若い彼らは、”音”として覚えた日本語で相手に問う事はできるようだが、こちらの返す日本語の意味を半分も理解できていない様子
見かねて(?)会話を英語に切り替えると、うち彼らも饒舌になりやがて笑顔も出、天国問答の後にはプライベート、明るく身の上話をしてくれるようになった
天国だの何だの言うのでピンと来て、”君らはユタから来たのか?”と問うと、高校を9月に終えたばかりの18歳だという、なるほど日本でいう桜の時期が終わって海外経験中といったところか
驚くべきは、日本に来てまだ4週間目、彼らにとって恐らく人生初だったであろう日本語は、ユタでたった2ヶ月学んだだけで日本、当地に送り出されて来たというではないか
たった18歳の若者にそのような任務を与える、という発想がまず素晴らしいと感じた、彼ら自身にとってもまたとない経験を積む事ができるのではないか
私が初めて海外に出た時にはもう大人になっていたが
さてモルモン教とは、歴史も浅く、1830年にニューヨークで興った新参の宗教だそうで、本来はThe Church of Jesus Christ of Latter-day Saints(末日聖徒イエスキリスト教会)、モルモン教の通称はその教典が”モルモンの書”であるところから来ているようだ
確かに青年2人は繰り返し、”The book”あるいは、"The book of Mormon”という言葉を使った
教徒が主張するところの”周囲からの迫害”から逃れて、現在のユタ州となる土地に本拠を漸進し、当初は合衆国政府からも独立した存在である、と主張していたが、その後1896年に正式にアメリカ合衆国45番目の州ユタとして組み込まれた、という変わった歴史を持つとの事
ユタは共和党の地盤でもあり、モルモン教はその発祥の経緯からもしばしば白人至上主義者である、と見なされているようだが実態は不明
これは教典の根幹部分が部外者には非開示になっているところからの憶測もありそうだ
当初からアメリカ原住民を人間と認めヨーロッパ大陸からの移住者との融和を説いた、とされているが、これは教典そのものの成立と深く関係していると言える
モルモンの教典は、古代アメリカの預言者モロナイの啓示を受けた青い目の移住者ジョセフ=スミスが、金板に彫られたヘブライ語の記録を見つけ、その内容から起こされたもの、とされている
この成り立ちからも、古代アメリカ人即ちアメリカ原住民はヘブライ語を理解する者でなくてはならないため、モルモン教では、アメリカ原住民はエルサレムから逃れたユダヤ人の末裔であるとし、そこから西へ移住した人がポリネシア人でやはりユダヤの子孫、黒人についても最初の人アダムとイブの息子カインの末裔である、と説くそうだ
アメリカ原住民を白人と同じ人間としたのは、当時の合衆国政府に対し、白人集団のモルモン教徒とインディアン部族で共闘体制を採っていたから、との見方もあるようで、時代も下った日本人の私には評価しようがない
実際私に話し掛けてきた2人組の青年は、正にヒトラーが好むようなヨーロッパ北方人種の特徴を備えた典型的ノルディックの様相だった
保守的とされる土地柄や、かつて奨励されていた教徒の純血性の保持、そしてその子孫であろう目の前の北方人種の青年2人を見ると、少しキナ臭い感じがなくも無い、いや、この未だ若い2名はきっと純粋な志から日本に来ているのだろうが
彼らは教典で勤労が推奨され、得た収入の10%を無条件に献上するよう教えられるそうで、言わば国家に払う税金とは別の税を負うようだ
いわゆる聖書とモルモン書の違いを青年に問うてみたが、彼らから明確な答えは出てこなかった、ただ、”1本の線で接続されている”、と繰り返すばかりだったが、これは必ずしも彼らの理解の低さを表すものではなく、当方の英語力の低さを察し敢えて簡易な説明に留めた可能性が高い
別れるまで盛んに”教会に遊びに来て欲しい、無料の英語のレッスンも受けられる”を繰り返していたが、"ありがとう、考えておこう”とだけ返しておいた
さて今手元に彼らがくれた”モルモン書”があるのだが、暇な時に中に目を通すものの、元々知識も無いので聖書との違いが私には分からない
今は未だ巻頭の”ニーファイ第1書”までしか進んでいないが、エルサレムを追われる前の平和で繁栄したユダヤ人の時代、父リーハイが神の啓示を受け、妻サライア、そして3人の息子と共に敢えてエルサレムを離れ荒れ野で暮らしているところだ
リーハイの末の息子ニーファイは、神の啓示を受けいとも簡単に人殺しを実行してしまうので、大いに驚かされる
殺人の被害者は権力者ラバン、殺害の動機はラバンが真鍮に彫られたユダヤ人の系統図をニーファイに譲らなかったためで、ラバンは、その奪い取った系統図によるとリーハイと同じヨゼフの子孫、言わば同族殺しか
神様は、”1人の人が滅びるのは、1つの国民が不信仰に陥って滅びてしまうよりは良い”と驚きの発言をして殺人の教唆をしたのであるが、神の言う”信仰”とは、神の指示に従って生きる事を指すようだ
他人の所有物を手に入れるためには、神が唆せば所有者を殺す事も厭わないという危険な発想に驚かされる、人間の側から湧出し定着した道徳の類ではなく、神の意志に従う事が正しいという価値観
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