どうぶつのこころ

動物の心について。サルとか類人猿とかにかたよる。個人的にフサオマキザルびいき。

トマセロ『心とことばの起源を探る』1

2006-05-14 06:22:32 | 書籍
本日の記事で、ここここに便乗してその論文を読んだと書き、マックス・プランク進化人類学研究所マイケル・トマセロ(Michael Tomasello)の翻訳を紹介しました。

ところでトマセロ『心とことばの起源を探る』には、訳者たちが認知言語学者であるのが原因なのだと思いますが、心理学関係の訳語にちょっと気になるところがありました。原著をパスして邦訳に逃げた私が大きな顔でおせっかいできるわけではありませんけれども。というよりもむしろ、心理学者が知らない言語学の術語や常識については私にはよくわからないので、言語学者の手になる翻訳を読めるというのはたいへん嬉しいことだと思っています。

pp. 2, 3(原著pp. 2, 3)「ヒト科Homo)」
明らかなしかも重大な誤訳。ヒト科(Hominidae)ではなく、ヒト属Homo)です。分類の階級が違っています。

p. 2他(原著p. 2他)「記号(symbols)」
sign⇒記号、symbol⇒象徴という定訳になっていないことが気になるのではなく、たまに象徴という訳が出てきていたりして、訳語の統一がとれていないのが気になりました。

p. 10他(原著p. 8他)「表示(representation)」
representationに対しては表象が完全に定訳になっていると思います。表示だと、何かの状態を外から見てわかるようにすることを意味するように受けとられそうです。そうではなく、ここでは心的表象(mental representation)のことであり、何かの対象を心に思い浮かべることです。

p. 24(原著p. 20)「騙し行動(deception)」
単なるコメントになってしまいますが、近年は欺き行動というのが定着しつつあるように思います。

p. 33(原著p. 26)「ニホンマカク(Japanese macaque)」
ニホンザルMacaca fuscata)のこと。霊長類学、霊長類生態学、霊長類心理学の邦文でも、まずニホンマカクという表記はされません。

pp. 103, 172(原著pp. 77, 129)「象徴的な遊びすなわちふり遊びないしごっこ遊び(symbolic or pretend play)」「ふり遊び(symbolic play)」
2点あります。(1) symbol「記号」との統一がとれていない。(2) p. 103の訳し方が煩雑に見えます。ふり遊びという訳語は、symbolic playよりpretend playにふさわしいように思いました。ということで、ふつうにsymbolic play⇒象徴記号遊び、pretend play⇒ふりごっこ遊びでよいように思います。

p. 136(原著p. 101)「サル(apes)」
誤訳といってよいかもしれません。サルはmonkeyであり、中南米の新世界ザル(広鼻下目)およびアフリカ、アジアの旧世界ザル(オナガザル上科)のみを指します。ここではチンパンジーなので、類人猿です。

p. 148(原著p. 111)「連想的学習のプロセス(associative learning processes)」
誤訳。伝統的に連合学習過程が定訳となっています。大きく古典的条件づけオペラント条件づけとにわけられています。古典的条件づけのほうは軟体動物のアメフラシ(Aplysia spp.)にもできるので、総称の連合学習が連想的学習ではまずいことがわかります。

p. 170(原著p. 127)「バルバリー地方のマカク猿(a Barbary macaque)」
誤訳。Barbary macaqueで、種の通称です。バーバリーマカクMacaca sylvanus)。バルバリー地方にいるマカクはバーバリーマカクしかいないので、結果的にまちがってはいないのですが。

p. 170(原著p. 128)「知的操作(mental manipulation)」
心的操作では駄目だったのでしょうか。心的操作と訳そうとも知的操作と訳そうともあまりかわらないのだから、直訳でいいように思いました。

p. 175(原著p. 132)「動物王国(the animal kingdom)」
誤訳動物王国ではなくて、動物界です。界(kingdom)、門(phylum)、綱(class)、目(order)、科(family)、属(genus)、種(species)の順で、生物分類の階層が低く(細かく)なっていきます。

p. 176(原著p. 133)「特異的言語発達障害(specific language impairment)」
特異的言語障害に「発達」を入れた理由が気になります。言語障害や発達障害については素人なのでよくわかりませんが、この訳が定訳なのでしょうか。

pp. 274, 281(原著pp. 205, 210)「協調(cooperation)」「競争(competition)」
cooperation⇒協力、competition⇒競合のほうが馴染みのある訳のように思います。

pp. 281(原著pp. 210)「協同(coordination)」「共同(collaboration)」
定訳はないのだと思いますが、藤田(2007)を参考にすると、coordination⇒協調、collaboration⇒協働です(トマセロの邦訳2006よりも藤田2007のほうがあとに出版されていますけど)。クリストフ・ボエシュ、ヘドヴィゲ・ボエシュ=アヒャーマン夫妻 [link] の協力(cooperation)の分類に出てくる用語です。類似(similarity)→同期(synchrony)→協調(coordination)→協働(collaboration)の順に水準が高くなります。協調は、他者とほぼ同時に似たような行為をとる協力。協働は、相手とは異なる行為、つまり相手を補う行為をとる協力。
藤田和生 (2007, 印刷中). 動物たちのゆたかな心. シリーズ心の宇宙 (4). 学術選書 (22). 京都: 京都大学学術出版会.
ISBN4876988226

pp. 281(原著pp. 210)「容易化(facilitation)」
促進社会的促進を参照。

p. 282(原著p. 211)「ハエの王Lord of the Flies)」
種名はカタカナ書きといっても、ハエの王はやりすぎだと思います。文学作品は漢字でじゅうぶんで、『 』つきで蝿の王のほうがしっくりくるように感じます。
ゴールディング, W. (1975). 蝿の王. 新潮文庫 コ-7-1. 東京: 新潮社.
ISBN4102146016

p. 282(原著p. 211)「マッドマックスMad Max)」
ついでにここでこちらも、『 』つきのマッドマックスにしてしまう。
ミラー, G. (director) (2001). マッドマックス [DVD media: region 2]. 東京: ワーナー・ホーム・ビデオ.
ASINB00005HU2K

こちらに続く。


07-03-23追記 coordination、collaborationについて、およびfacilitationについて。

トマセロ『心とことばの起源を探る』2

2006-05-14 06:22:32 | 書籍
こちらの続き。

p. 301 訳者解説「進化心理学
長谷川と長谷川(2000)進化心理学プレマックとプレマック(2002)比較認知科学動物認知論)だと思います。隣接分野とはいえ、毛色が違います。トマセロは比較認知科学の側だと思います。
長谷川寿一 & 長谷川眞理子 (2000). 進化と人間行動. 東京: 東京大学出版会.
ISBN4130120328
Premack, D. & Premack, A. (2002). Original intelligence: Unlocking the mystery of who we are. New York: McGraw-Hill.
ISBN0071381422
プレマック, D. & プレマック, A. (2005). 心の発生と進化: チンパンジー、赤ちゃん、ヒト. 東京: 新曜社.
ISBN4788509520

p. 302 訳者解説「「類人猿は猿真似をするか?」という題名は*Tomasello(1996)のものである
単なるコメントですが、トマセロ(1996)のその題名があるのは、ヴィザルベルギとフラゲイジー(1990)「Do monkeys ape?(サルは猿真似をするか)」が先にあったおかげでしょう。
Tomasello, M. (1996). Do apes ape? In B. G. Galef Jr. & C. M. Heyes (Eds.), Social learning in animals: The roots of culture (pp. 319-346). New York: Academic Press.
ISBN0122739655
Visalberghi, E. & Fragaszy, D. (1990). Do monkeys ape? In S. T. Parker & K. R. Gibson (Eds.), "Language" and intelligence in monkeys and apes: Comparative developmental perspectives (pp. 247-273). Cambridge, England: Cambridge University Press.
ISBN0521459699[paperback][hardcover]
ヴィザルベルギとフラゲイジーにはこんな論文もある。
Visalberghi, E. & Fragaszy, D. (2002). "Do monkeys ape?" Ten years after. In K. Dautenhahn & C. L. Nehaniv (Eds.), Imitation in animals and artifacts (pp. 471-499). Cambridge, MA: MIT Press.
ISBN0262042037

奥付 著者略歴
トマセロの略歴からトマセロとコール(1997)『Primate cognition』の共著者だというのを除外してあるのは意図的なものなのでしょうか。『Primate cognition』は、トマセロにとって比較認知科学者としての代表作だと思います。
Tomasello, M. & Call, J. (1997). Primate cognition. Oxford: Oxford University Press.
ISBN0195106245

07-03-23追記 前のページの最後のほうを分割してこのページを作成。

霊長類の因果理解

2006-05-14 06:13:48 | 思考・問題解決
A13 Visalberghi, E. & Tomasello, M. (1998).
Primate causal understanding in the physical and psychological domains
Behavioural Processes, 42, 189-203. [link]

物理学的領域および心理学的領域における霊長類の因果理解
霊長類因果性を理解しているかどうかについての証拠を呈示し、それについて考察する。因果性を理解するには、生物は、2つの事象が空間や時間のなかでたがいに連合されている〔結びつけられている〕ことだけを理解すればよいのではなく、その2つの事象をたがいに結びつけている何らかの「媒介力(mediating force)」があることを理解していなければいけない。その媒介力とは、それらの事象を予測したり操作したりするのにも使用されうるものである(たとえば、重力といった物理学的力physical forceや、意図といった心理学的力psychological force)。 物理学的領域においては、道具使用の研究からわかったことだが、含まれている物理学的力の観点からすると、オマキザルは道具の機能を因果的に理解しておらず、自身の行動の一定の側面を自身の行動が産みだす結果と連合させることを学習しているだけである。類人猿では、新奇課題に取り組むのにさまざまな形式の見通しを用いていておそらく物理的力を理解しているだろう――ヒトの子どもには及ばないにせよ――という意味で、道具使用に含まれる因果関係を理解している可能性を示す兆候がいくつか見られる。 心理学的領域においては、ヒト以外の霊長類は、自分自身の行動を発生させる動物的存在(animate being)として同種個体〔同じ種に属する個体〕を理解していて、それで彼ら〔ヒト以外の霊長類〕は、同種個体を操作するには物理的活動をおこなうのではなくコミュニケーション信号を出さなければならないことを理解している。しかし、心理学的存在(psychological being)には、意図や、世界と行動的に作用しあうのを媒介するほかの心的状態を伴うのであり、ヒト以外のどの霊長類にも、他者を心理学的存在として理解している――ヒトの子どもが生まれて2年目のあいだのどこかの時点でしはじめるように――という証拠は、ほとんどない。 霊長類がどのように周囲の世界の因果構造を理解しているかを理解するのにわれわれがもっと厳格になろうとするのであれば、もっと広範な問題解決状況を含むさらなる研究が必要とされる。
キーワード:類人猿(ape);連合過程(associative process);子ども(child);認知(cogniiton);模倣(imitation);サル(monkey);因果性の理解(understanding of causality)。
エリザベッタ・ヴィザルベルギ(Elisabetta Visalberghi)とマイケル・トマセロ(Michael Tomasello)とによる霊長類因果理解(causal understanding)についてのレヴュー。

物理学的領域で引用されているのは、フサオマキザルCebus apella)、チンパンジーPan troglodytes)、ヒトHomo sapiens幼児でおこなわれたトラップチューブ課題(trap-tube task)。フサオマキザルのトラップチューブ課題は以前に紹介。さらに、物理学的領域については、トラップチューブ課題をおこなっている同種個体を見て成績が向上する(ないし模倣する)かどうかを見ている。

※ 京都市動物園に(トラップのないほうの)チューブ装置があるそうです(こちら)。写真も鮮明なので、参考にご覧ください。また、同動物園には、ハチミツ釣り装置もあるそうです(こちら)。ハチミツ釣り装置も、チューブ装置と同じく、フサオマキザルの心理学的な道具使用研究の初期(1980年代後半)から使用されている装置です([link])。

前者の一連の研究については、[link]、[link]、およびLimongelli, L. (1995). PhD Thesis, Università di Romaを参照している。後者の一連の研究については、ヴィザルベルギの以下の章、[link]のpp. 47-68の論文、Modena, I. & Visalberghi, E. (1998). Età Evolutiva, 59, 11-20、および[link]を参照している。
Visalberghi, E. (1993). Capuchin monkeys. A window into tool use activities by apes and humans. In K. Gibson & T. Ingold (Eds.), Tools, language, and cognition in human evolution. Cambrdige, England: Cambridge Univerisity Press.
ISBN052148541X[paperback][hardcover]

模倣(imitation)は、社会的知性の研究が隆興するにつれて、社会的文脈で論じられるようになった。
明和政子(著), 松沢哲郎(監修) (2003). なぜ「まね」をするのか: 霊長類から人類を読み解く: Evolutionary Neighbors. 東京: 河出書房新社.
ISBN4309251765

心理学的領域で引用されているのは、社会的問題解決(他者の行動、さらに高次には意図にかかわる問題)。また、ジェスチャー(身振り言語)の獲得を引用している。

前者の一連の研究については、[link]、[link]を参照している。後者の一連の研究については、Tomasello, M., et al. (1985). Journal of Human Evolution, 14, 175-186、Tomasello, M. (1989). Primates, 30, 35-50、Tomasello, M. (1994). Primates, 35, 137-154、Tomasello, M. et al. (1997?). Evolution of Communication, 1 (2?)、ヴィザルベルギの未刊行論文、Tomaseelo, M. & Camaioni, L. (1997). Human Development, 40, 7-24を参照している。

と、何の説明にもなっていないことを書いてお茶を濁しました。ここここマックス・プランク進化人類学研究所マイケル・トマセロについてとりあげていたので、今回、便乗して放ってあった論文を読みました。トマセロの翻訳が2月に出ています。今回の論文は、この本のpp. 18-31あたりにかかわります。
Tomasello, M. (1999). The cultural origins of human cognition. Cambridge, MA: Harvard Univerisity Press.
ISBN0674005821[paperback][hardcover]
トマセロ, M. (2006). 心ところばの起源を探る: 文化と認知 (大堀壽夫, 中澤恒子, 西村義樹, & 本田啓, Trans.). 東京: 勁草書房.
ISBN4326199407

これについて、マーク・D・ハウザーがこの本の書評を書いている([link])。標題の"Et tu Homo sapiens"は、シェイクスピアジュリアス・シーザー』の"Et tu, Brute"から。ハウザーの書評には、要約と反論がまとめられている。かなり短いが。

このまま次の記事に続きます。
2006-05-26追記
ハウザーの書評について。
2006-07-31追記
別のブログにリンクさせていただきました。