本日の記事で、ここやここに便乗してその論文を読んだと書き、マックス・プランク進化人類学研究所のマイケル・トマセロ(Michael Tomasello)の翻訳を紹介しました。
ところでトマセロ『心とことばの起源を探る』には、訳者たちが認知言語学者であるのが原因なのだと思いますが、心理学関係の訳語にちょっと気になるところがありました。原著をパスして邦訳に逃げた私が大きな顔でおせっかいできるわけではありませんけれども。というよりもむしろ、心理学者が知らない言語学の術語や常識については私にはよくわからないので、言語学者の手になる翻訳を読めるというのはたいへん嬉しいことだと思っています。
ところでトマセロ『心とことばの起源を探る』には、訳者たちが認知言語学者であるのが原因なのだと思いますが、心理学関係の訳語にちょっと気になるところがありました。原著をパスして邦訳に逃げた私が大きな顔でおせっかいできるわけではありませんけれども。というよりもむしろ、心理学者が知らない言語学の術語や常識については私にはよくわからないので、言語学者の手になる翻訳を読めるというのはたいへん嬉しいことだと思っています。
pp. 2, 3(原著pp. 2, 3)「ヒト科(Homo)」
明らかなしかも重大な誤訳。ヒト科(Hominidae)ではなく、ヒト属(Homo)です。分類の階級が違っています。
p. 2他(原著p. 2他)「記号(symbols)」
sign⇒記号、symbol⇒象徴という定訳になっていないことが気になるのではなく、たまに象徴という訳が出てきていたりして、訳語の統一がとれていないのが気になりました。
p. 10他(原著p. 8他)「表示(representation)」
representationに対しては表象が完全に定訳になっていると思います。表示だと、何かの状態を外から見てわかるようにすることを意味するように受けとられそうです。そうではなく、ここでは心的表象(mental representation)のことであり、何かの対象を心に思い浮かべることです。
p. 24(原著p. 20)「騙し行動(deception)」
単なるコメントになってしまいますが、近年は欺き行動というのが定着しつつあるように思います。
p. 33(原著p. 26)「ニホンマカク(Japanese macaque)」
ニホンザル(Macaca fuscata)のこと。霊長類学、霊長類生態学、霊長類心理学の邦文でも、まずニホンマカクという表記はされません。
pp. 103, 172(原著pp. 77, 129)「象徴的な遊びすなわちふり遊びないしごっこ遊び(symbolic or pretend play)」「ふり遊び(symbolic play)」
2点あります。(1) symbol「記号」との統一がとれていない。(2) p. 103の訳し方が煩雑に見えます。ふり遊びという訳語は、symbolic playよりpretend playにふさわしいように思いました。ということで、ふつうにsymbolic play⇒象徴(記号)遊び、pretend play⇒ふり(ごっこ)遊びでよいように思います。
p. 136(原著p. 101)「サル(apes)」
誤訳といってよいかもしれません。サルはmonkeyであり、中南米の新世界ザル(広鼻下目)およびアフリカ、アジアの旧世界ザル(オナガザル上科)のみを指します。ここではチンパンジーなので、類人猿です。
p. 148(原著p. 111)「連想的学習のプロセス(associative learning processes)」
誤訳。伝統的に連合学習過程が定訳となっています。大きく古典的条件づけとオペラント条件づけとにわけられています。古典的条件づけのほうは軟体動物のアメフラシ(Aplysia spp.)にもできるので、総称の連合学習が連想的学習ではまずいことがわかります。
p. 170(原著p. 127)「バルバリー地方のマカク猿(a Barbary macaque)」
誤訳。Barbary macaqueで、種の通称です。バーバリーマカク(Macaca sylvanus)。バルバリー地方にいるマカクはバーバリーマカクしかいないので、結果的にまちがってはいないのですが。
p. 170(原著p. 128)「知的操作(mental manipulation)」
心的操作では駄目だったのでしょうか。心的操作と訳そうとも知的操作と訳そうともあまりかわらないのだから、直訳でいいように思いました。
p. 175(原著p. 132)「動物王国(the animal kingdom)」
誤訳。動物王国ではなくて、動物界です。界(kingdom)、門(phylum)、綱(class)、目(order)、科(family)、属(genus)、種(species)の順で、生物分類の階層が低く(細かく)なっていきます。
p. 176(原著p. 133)「特異的言語発達障害(specific language impairment)」
特異的言語障害に「発達」を入れた理由が気になります。言語障害や発達障害については素人なのでよくわかりませんが、この訳が定訳なのでしょうか。
pp. 274, 281(原著pp. 205, 210)「協調(cooperation)」「競争(competition)」
cooperation⇒協力、competition⇒競合のほうが馴染みのある訳のように思います。
pp. 281(原著pp. 210)「協同(coordination)」「共同(collaboration)」
定訳はないのだと思いますが、藤田(2007)を参考にすると、coordination⇒協調、collaboration⇒協働です(トマセロの邦訳2006よりも藤田2007のほうがあとに出版されていますけど)。クリストフ・ボエシュ、ヘドヴィゲ・ボエシュ=アヒャーマン夫妻 [link] の協力(cooperation)の分類に出てくる用語です。類似(similarity)→同期(synchrony)→協調(coordination)→協働(collaboration)の順に水準が高くなります。協調は、他者とほぼ同時に似たような行為をとる協力。協働は、相手とは異なる行為、つまり相手を補う行為をとる協力。
pp. 281(原著pp. 210)「容易化(facilitation)」
促進。社会的促進を参照。
p. 282(原著p. 211)「ハエの王(Lord of the Flies)」
種名はカタカナ書きといっても、ハエの王はやりすぎだと思います。文学作品は漢字でじゅうぶんで、『 』つきで『蝿の王』のほうがしっくりくるように感じます。
p. 282(原著p. 211)「マッドマックス(Mad Max)」
ついでにここでこちらも、『 』つきの『マッドマックス』にしてしまう。
こちらに続く。
07-03-23追記 coordination、collaborationについて、およびfacilitationについて。
明らかなしかも重大な誤訳。ヒト科(Hominidae)ではなく、ヒト属(Homo)です。分類の階級が違っています。
p. 2他(原著p. 2他)「記号(symbols)」
sign⇒記号、symbol⇒象徴という定訳になっていないことが気になるのではなく、たまに象徴という訳が出てきていたりして、訳語の統一がとれていないのが気になりました。
p. 10他(原著p. 8他)「表示(representation)」
representationに対しては表象が完全に定訳になっていると思います。表示だと、何かの状態を外から見てわかるようにすることを意味するように受けとられそうです。そうではなく、ここでは心的表象(mental representation)のことであり、何かの対象を心に思い浮かべることです。
p. 24(原著p. 20)「騙し行動(deception)」
単なるコメントになってしまいますが、近年は欺き行動というのが定着しつつあるように思います。
p. 33(原著p. 26)「ニホンマカク(Japanese macaque)」
ニホンザル(Macaca fuscata)のこと。霊長類学、霊長類生態学、霊長類心理学の邦文でも、まずニホンマカクという表記はされません。
pp. 103, 172(原著pp. 77, 129)「象徴的な遊びすなわちふり遊びないしごっこ遊び(symbolic or pretend play)」「ふり遊び(symbolic play)」
2点あります。(1) symbol「記号」との統一がとれていない。(2) p. 103の訳し方が煩雑に見えます。ふり遊びという訳語は、symbolic playよりpretend playにふさわしいように思いました。ということで、ふつうにsymbolic play⇒象徴(記号)遊び、pretend play⇒ふり(ごっこ)遊びでよいように思います。
p. 136(原著p. 101)「サル(apes)」
誤訳といってよいかもしれません。サルはmonkeyであり、中南米の新世界ザル(広鼻下目)およびアフリカ、アジアの旧世界ザル(オナガザル上科)のみを指します。ここではチンパンジーなので、類人猿です。
p. 148(原著p. 111)「連想的学習のプロセス(associative learning processes)」
誤訳。伝統的に連合学習過程が定訳となっています。大きく古典的条件づけとオペラント条件づけとにわけられています。古典的条件づけのほうは軟体動物のアメフラシ(Aplysia spp.)にもできるので、総称の連合学習が連想的学習ではまずいことがわかります。
p. 170(原著p. 127)「バルバリー地方のマカク猿(a Barbary macaque)」
誤訳。Barbary macaqueで、種の通称です。バーバリーマカク(Macaca sylvanus)。バルバリー地方にいるマカクはバーバリーマカクしかいないので、結果的にまちがってはいないのですが。
p. 170(原著p. 128)「知的操作(mental manipulation)」
心的操作では駄目だったのでしょうか。心的操作と訳そうとも知的操作と訳そうともあまりかわらないのだから、直訳でいいように思いました。
p. 175(原著p. 132)「動物王国(the animal kingdom)」
誤訳。動物王国ではなくて、動物界です。界(kingdom)、門(phylum)、綱(class)、目(order)、科(family)、属(genus)、種(species)の順で、生物分類の階層が低く(細かく)なっていきます。
p. 176(原著p. 133)「特異的言語発達障害(specific language impairment)」
特異的言語障害に「発達」を入れた理由が気になります。言語障害や発達障害については素人なのでよくわかりませんが、この訳が定訳なのでしょうか。
pp. 274, 281(原著pp. 205, 210)「協調(cooperation)」「競争(competition)」
cooperation⇒協力、competition⇒競合のほうが馴染みのある訳のように思います。
pp. 281(原著pp. 210)「協同(coordination)」「共同(collaboration)」
定訳はないのだと思いますが、藤田(2007)を参考にすると、coordination⇒協調、collaboration⇒協働です(トマセロの邦訳2006よりも藤田2007のほうがあとに出版されていますけど)。クリストフ・ボエシュ、ヘドヴィゲ・ボエシュ=アヒャーマン夫妻 [link] の協力(cooperation)の分類に出てくる用語です。類似(similarity)→同期(synchrony)→協調(coordination)→協働(collaboration)の順に水準が高くなります。協調は、他者とほぼ同時に似たような行為をとる協力。協働は、相手とは異なる行為、つまり相手を補う行為をとる協力。
pp. 281(原著pp. 210)「容易化(facilitation)」
促進。社会的促進を参照。
p. 282(原著p. 211)「ハエの王(Lord of the Flies)」
種名はカタカナ書きといっても、ハエの王はやりすぎだと思います。文学作品は漢字でじゅうぶんで、『 』つきで『蝿の王』のほうがしっくりくるように感じます。
p. 282(原著p. 211)「マッドマックス(Mad Max)」
ついでにここでこちらも、『 』つきの『マッドマックス』にしてしまう。
こちらに続く。
07-03-23追記 coordination、collaborationについて、およびfacilitationについて。