goo blog サービス終了のお知らせ 

MIYAGI VILLAGE

夏は雷、冬はからっ風、人は義理人情を重んじる・・・。

問題続続

2006-12-19 00:33:08 | 政治・経済
なんか書けば書くほど問題が出てきて、
いちいち、文献を読んで確認したり、考察することの連続。

ここに来て、「9条と13条が矛盾してるんじゃねーの?」
という大きな疑問が俺の中で出てきたわけ。

そういう記述が関連本にないけど、自論を展開しちゃってもいいんですね?

裏付けがないと「死亡」とかいうことってあります?

こういう解釈がめんどくさいことがあるから、憲法改正をして欲しいと思ってる、そんな俺。

そんな深夜12時半。

でも、まだ3000字。残念。

もっと速く書けるものだと思ってたけど、意外に書き始めると熱くなって、いちいち考えまくって、全然進まない・・・。

あぁ、朝が怖い。
締め切りまで、あと20回しか夜は来ない。

0字からの挑戦

2006-12-12 21:30:54 | 政治・経済
今日は卒論が0字なので、さすがにまずいと思って、先生のところに顔を見せに行ってきました。で、今は本を読み込んでいるところですと言い訳をして帰ってきました。

頑張っていきまっしょい!!

私の履歴書

2006-12-08 23:12:57 | 政治・経済
今日ふと読んだ新聞にナベツネさんの人生録が載っていた。

日経新聞の「私の履歴書」というコーナーである。このコーナーでは政財界の大物が自らの人生を振り返って記事を書いてくれるという、そりゃぁ、たまらんコーナーなんですが、今回はナベツネさん。

俺は日経はネットで見てるだけだったので、コラムまで目が回っていなかった。

さっそく先週分と今週分、あわせて8回分を読んでみた。

まだ始まったばっかで、ナベツネさんが読売に入社してすぐのところまでなんだけど、それでも十分面白い。昔は共産党員だった過去とか知らなかったし。

特に、ナベツネさんが兵役についてどう考えていたのかが興味深い。兵役に行ったら、絶対に死ぬ、生とは何か、死とは何かばかり考えていた。そして二度と来ない青春を謳歌したいと思っていたこと。

その当時の若者の正直な気持ちだと思う。

そして、戦後の記者生活では命を張って、奥多摩に潜伏する武装共産党員を取材したことなど、やはり日本を代表する記者であるナベツネさんの勇気や行動力はすごいと感じた。

明日から毎日、日経を読みたいな、って思いました。



さて、話は変わって今日は神宮な感じの日でしたよ。

上の写真を撮ってたら、いきなり肩をたたかれ、「隈講のない風景を撮ってもしかたないだろう」と言われる。相手は、神宮で一回肩を組んだことのある男である。一回肩を組んだだけなのに、つっこみを入れてくることのできる彼のパワーはすばらしい。

いったい彼はなんていう名前なんだろう。知らないんだよなぁ。

さらに帰りの電車でも肩をたたかれる。

振り返ったら、応援部の1年だった。

どうも~!と仲良さそうにしている1年生3人組。

襟には、応援部バッチが輝いていた。

俺は神宮球場によく行っているだけに、応援部からは顔を覚えられている。特に今年の1年とは、よくしゃべってたと思う。むこうから声をかけてくれるとはうれしかった。

そんな感じで今日はいい出会いが多い日だったと記しておきたい。

帰りに寄った「中華パンダ」という店の餃子がうまかった。



【今日の卒論の進行状況】
・有事法制関連法案を印刷。全100ページくらいあったので、家のプリンターのインクがぁぁ~。しかし、国民保護法は長い、ものすごいボリューム。
・国民保護法関連の書籍を100ページ近く読む。

・正直、無駄に過ごした一日だったかも。餃子でビール飲んでる場合じゃない。

・あと卒論のテーマは有事法制、特に国民保護法に特化したものを書こうと最近固まってきました。問題は国民保護法の圧倒的ボリュームをどうやって3万字にまとめるか、ですね。

日本の核武装議論

2006-11-20 23:29:01 | 政治・経済
興味深い世論調査が読売から出ました。


非核3原則、今後も「守るべき」80%…読売世論調査

世論調査・支持率
 読売新聞社の全国世論調査(11、12日、面接方式)で、核兵器に関して日本がとっている「持たず、作らず、持ち込ませず」の非核3原則について、今後も「守るべきだ」という人は、「どちらかといえば」を合わせて80%に上った。「改めてもよい」は計18%だった。

 北朝鮮の核実験実施を受け、政府や自民党内の一部に出ている「日本が核兵器を持つべきかどうか議論をしてもよい」との意見については、「反対」が計51%、「賛成」は計46%で、賛否が割れた。

 男女別では、男性では「賛成」(計52%)が、「反対」(計46%)を上回った。一方、女性は「反対」(計56%)が「賛成」(計40%)を引き離した。

 政党支持別では、自民支持層で「賛成」(計51%)が「反対」(計46%)を上回ったが、民主支持層では「反対」が計56%、「賛成」は計42%だった。

 北朝鮮の核問題をめぐる6か国協議が再開される見通しになったが、この協議で北朝鮮の核開発問題が解決に向かうことを期待できるかどうかでは、「期待できない」が74%で、「期待できる」20%を大きく上回った。

(2006年11月20日20時26分 読売新聞)


うむむ。核武装議論をするべきでないと考えている人がまだ半分以上か。議論は問題ないだろうと俺は思うんだけど。議論をすれば、絶対に日本は核武装するべきでないという結論に達するので、日本が核武装することはありえません。なので、心配するほどのことじゃないと思う。

むしろ、北の脅威=核保有があったのだから、国際的には日本が核武装するのではないかと疑うのは当たり前なわけであって、ここで一切の議論を行わないほうが不自然。ここで北に対する抑止力として核を持つのか持たないのか、その結論をいったん出しておくのも悪くないことだろう。

当然結果は核保有せず、になるんだから安心しよう。まぁ、その理由としては、

①核開発にかけるお金がない、
②もし、アメリカの核の傘を離れるなら→在日米軍削減→日本の国防力増強の必要性→金がかかる&徴兵制になってしまう、
③NPTを脱退した場合、日本の外交は崩壊する。アメリカ等からの技術供与が凍結され、またウランの輸入も止められるため日本の原子力発電所が停止→国内電力の半分がつかえなくなる→産業も崩壊

などなどが考えられる。こんなリスクを背負ってまで核開発を行う必要はない、だから日本に核は不要、そう結論付けるための議論を行うことに問題はないでしょう。

あと、非核三原則。これは微妙。「持たず・つくらず」は堅持すべきだが、「持ちこませず」は疑問。もし、最悪の自体があった場合、アメリカに「核を持ち込んで」もらわなければ、戦力の均衡は保てないわけで、条件付であれば、持込を認可してもいいのでは?

新京の都市計画Ⅱ

2006-11-15 21:15:19 | 政治・経済
今日も昨日の続き。

新京の街並みにおいては緑を大きく取り入れることに注意が払われていた。

建国当時は、不毛の大地に過ぎなかった満州の土地も、豊富な貯水池や植樹の成果もあって、今では中国でも最たる杜の都に成長しており、木が大きすぎて対向車線側の建物が見えないほど。

このような樹木を伴った都市計画は日本では戦前、明治神宮外苑で行われたものがその最たる例だとされている。早慶戦の際に、集合場所となっている銀杏並木もその一例。あの並木が外苑の入り口となっており、その先に運動施設が集中する形をとっている。あの銀杏並木を設計した折下吉延はその後、満州に渡り、日本の公園行政の祖となった。

このような背景を踏まえ、今日は神宮外苑へフィールドワークに向かった。

↓写真:現在の神宮外苑の様子



右下から伸びる銀杏並木、その先に環状道路を設定するなど、かなり機能的な道の計画となっており、何よりこの緑の量が特筆される。銀杏並木から見ると、その先には絵画館が見えるようになっており、美しい。


↓写真:今日の神宮外苑の様子





今日、実際に神宮外苑に行って思ったのは、やはり、フィールドワークをしなければ分からない、実感できないこともあるということだ。神宮外苑の緑は都会の真ん中に突如現れる癒しの空間であり、都市においてこのような空間があることは非常に重要である。満州国新京においては、東京において実施できなかった緑の都市を実現しようとしていたことは特筆できると思う。現在の長春ではその規模はいささか縮小されて入るものの、旧官庁街である人民大街を行けば、緑濃き都を実感できる。

このような感想を金曜の発表で活かしたい。






PS.なんか今日のフィールドワークは終わりも爽やかでした。結局のところ、あのホームランがすべてでしたねー。残念です。ゼミもあったのですが、まぁ、今日は彼らの思いを汲み取りに行ってきましたよ。これで、野球部も応援部も俺も神宮引退です。いやぁ、悲しい。でも、なんか爽やか。やりきった感があるかな。

最後の直井のあいさつはよかった。「4年間、授業中は演芸のことだけ考えてました。応援部だけでなく、学生のみんながいたからこそ、感動を共有できたと思います。この悔しさは下級生が必ず来年引き継いでくれると思います。」
あえて、学生注目!でなくて、素のままでしゃべってくれたから、なお響くものがあった。今日の応援部リーダーの学注は自身の体験を語るものが多くて、泣けるものが多かった。本当に最後なんだな、と思うと悲しい。指揮の小林さんがいなくなってしまうのも悲しい。彼女は最後までファイティングスピリットがすごかったです。「激」という言葉がこれだけ似合う女性はいません。あのタクト使いができる指揮はしばらく現れないと思います。

まだ、ラグビーがあるから、俺の応援戦記は続くんだけど、これで一つの区切りがつきましたね。

サンキュー、神宮仲間たち!

(来年の田村・松本・浅見の代も見守るけどね、保護者として笑。今の一年とも仲いいから、しばらくは神宮通わないといけないか・・・。来年からは控えめに観戦したいと思います。神宮仲間のM君も学ランはもう着ないって言ってたしね。寂しくなるなぁ。)

明治神宮野球大会決勝
亜細亜大学5-2早稲田大学

都市計画を語ってみるtest

2006-11-14 22:32:42 | 政治・経済
今週の金曜にテーマカレッジで発表を行うので、それに対する勉強を行っています。

テーマは「満州国首都・新京の都市計画」

えぇ、けっこう難しいテーマですよ。

しかしながら、新京の都市計画を学ぶことは非常に重要であることを俺は中国旅行で認識せざるをえなかったのです。なぜなら、新京の都市計画は日本人が行ったものの中で史上最大の大きさの都市計画であり、この計画が日本の都市計画史における最大の華ともいうべきものであると確信するからです。

戦後の東京を見て欲しい。

雑多な町並み、個性のない町並み・・・、はっきりいって美しさが感じられない街に育ってしまった。これは、戦後焼け野原となった東京が無秩序に成長拡大してしまったことによる。

江戸の頃にさかのぼると、東京は士農工商に別れた機能的な街であり、江戸時代においては十分な機能を有していた。しかし、時代は明治に移り、都市そのもののあり方が変容した。歴史的な日本家屋ではなく、西洋の技術を取り入れた近代的な街へ生まれ変わる必要性が現れる。しかしながら、すぐにはその計画は実行に移せず、東京は維新後もインフラ設備不足の二流都市となる。

これに一石を投じたのが関東大震災であった。多くの犠牲者を出した、関東大震災ではあったが、これを機に東京は計画都市へと生まれ変わる。欧米の都市を参考に、下水道の完備した、緑の多い街へと生まれ変わった。

(このときに生まれた美しい道のいくつかは、今高速道路の下に埋もれ、暗く日の届かない道になってしまい、また、歩車分離のなされた美しい軌道敷きの道は、車の交通量増加という理由で無秩序に拡大され、美しさのない無機質なものとなっている。緑多き公園は高層建築の下に消えた・・・。)

この東京復興を指揮したのが東京市長・後藤新平である。この後藤が新京の街をつくることになる・・・。

とまぁ、こんな感じで、日本の都市計画の集大成とも言うべきものが中国大陸の小都市で行われたというわけ。

何もない更地から、あれだけの街を創造したという日本人の力を俺は研究したいと思ったんですねー。

まだまだ、調べたりないんですけど、とにかく金曜日に向けて頑張りたいと思っています。頑張って本読むぞー。しかし、東京の都市計画も学べてラッキー、本当にいい機会だと思います。

満州の開拓計画はマジで勉強になるんで、オススメです!

卒論への助走

2006-10-31 21:23:48 | 政治・経済
今日は家でダラーッとしていたので、暇な時間を使って、ゼミのみんなの卒論企画書を一通り眺めたりして過ごしてました。

なんというか、みんな、すごいしっかりしてますなぁ、という印象。

対して俺は何も考えてない。

最近やっと本を読み始めたばかりで、企画書なんて書けるレベルにない。

しかし、期限は迫っているわけで・・・。

なんとかテーマを早く決めないと・・・。

寝るまでの時間を使ってちょっと考えてみようかな・・・。

日本の安全保障問題に関わる問題を扱いたいわけだけど、問題点は限りなく多いし、どこに焦点をあてようか、すごい悩む。俺は軍事には詳しくないから、法のシステムとかの問題になるんだろうけど、さぁ、どうしましょう、って感じ。

やっぱ「集団的自衛権」かなぁ・・・。

でも、これ難しいんだよねぇ。

卒論を見据えたステージへ

2006-10-18 22:57:35 | 政治・経済
まぁ、昨日はいろいろブログに書いたけど、俺が言いたかったことは先生が言ってくれましたなぁ。サンクス、重範。

やっぱ製造業だよね、日本は製造業、よく分かってらっしゃる。日本を支えているのは大田区にあるような町工場であり、それらがダメになったときに日本は壊滅的な被害を受けるだろう、そうならないために君たちが日本の製造業を支えるんだ!ってねぇ、就活のときの、俺の自己PRとまったくいっしょだし、なかなか先生と俺の共通項も多いようなことが分かってきて、うれしい気分。

俺が製造業を支えようと思ったのは、日本から見た国際情勢を見据えた上での俺の判断ですからね、そこを評価してもらえるのはすごくうれしい。

働く=金稼ぎ、ではない。一人一人働くことが積み重なってこの社会は形成されている。その1パートの個人が金を多く稼いだところで、社会に与える影響など微々たるものだし、少しそこが盛り上がって社会のバランスが圧迫されることにもなるかもしれない。しかし、社会の根幹を支える基幹産業がごっそりなくなってしまったらどうだろう。その社会は言うまでもなく崩れる。

社会の均衡を崩さないために、一人一人が自分の与えられた役割をきっちりこなしていくことが重要だ。特に根幹を支える人たちがしっかりしないと、社会全体が崩れてしまうので、そこにいる人は特に踏ん張りが必要。

そんな感じで、戦略的労働論を議論してもおもしろいと思うんだよね。

本質を突け、とよく先生は言うけど、外堀の議論をするのがゼミらしいわけじゃないんだよな、やっぱ。どうせなら本丸を突くような議論をしたい。

あるゼミ生が言ってたこと・・・
「(労働基準法で守られているからといって)権利ばかり主張してる論調はおかしいかも」

そうなんだよね、なんていうか個人主義が多いかもね、社会全体を見据えた意見っていうのが欲しいよね。もちろん法律に書かれていることが履行されることは重要だとは思うけど、権利があるから休む、有給くれ、俺はきちんと働いてるんだから解雇するんじゃねぇ~よぉ~!というような意見を気軽に主張できてさえいれば世界はハッピーか?って言ったらそうじゃないと思うんだよな。

そして、就活のときに誰もが口にする「社会貢献」という言葉、それは何なのか、もう一度考え直してみるといいかも・・・。

ソフトの面ばかりが強調されていないだろうか、ハード面がすっからかんなんていうことはないだろうか・・・。

自分が働くことによって生み出される利益は何もお金だけじゃない、サービスを受ける人の幸せだけじゃない、実は自分が働くということは社会全体につながりうる行為であり、社会の中の自分をきちんと認識して生きていかなくちゃいけないと思う。

そうした点を今日あたり語り合いたかったかな。来週は機会があったら発言してみようかな。今日は、意見が盛り上がってて、つけいる隙がなかったからね。まぁ、テーマがパートの権利とかそういう風に限定されていたから仕方がないんだけど・・・。

さて、あと今日はついに先生から卒論の指示がありました。
いよいよ、やつを仕上げるときが来たか。

まだ構想を練ってる段階で、他のゼミ生より若干遅れてる感じ。ていうか、卒論のことなんか、ロクに考える時間ないから、考えてなかったんだよね。

目次やらなにやら、けっこう大変そう。10月中には方針を決めて、11~12月に一気に書いちゃおうと思います。内容は、いい意味で適当に書ければいいかな。

国際協調のあり方とか、そういう方向で書きたいかな。(国際援助ではないぞ、日本の外交及び防衛のあり方みたいな感じの内容ね。)



めまぐるしい勉強の日々、充実の4年後期を!!

2006-10-11 20:54:04 | 政治・経済
昨日は重村智計教授(テレビにもよく出てる有名な教授、授業中も携帯鳴りっぱなし。ワイドスクランブルに授業中に電話出演したのにはビックリ。)の授業で、北朝鮮の核実験問題について討論。オールのダメージが残っており、睡眠不足とレポート作成に伴う疲労もあって、ロクに議論に参加できなかった。あと、まわりのレベルが高い。考えるスピードが速い。負けないように、次回は俺も、もっと積極的に手を挙げていこうと思った。

明けて今日はゼミで愛国心問題について討論。今日のゼミの意見は総じて左気味。意見が偏ってたなぁ。反対ばっかだったけど、教育基本法改正には賛成ですからね、俺は。孤軍奮闘しちゃうよ。「みんな同じ方向を向くのは怖い」、って先生も言ってたらね。

なんつーか、改正の悪点ばかりしか、思いつかないのはどうしてなんだ?ニュートラルに考えることができない人多すぎ・・・。左でもない、右でもない、ニュートラルな位置にまずは立ってから、その先に進もうよ。

教育基本法を現状に合わせて改正していくのは危ないと言う、それは、教育の危機を招きかねないから、って理由。現状にある教育の危機を生み出す教育の大元の法律を変えることは必要じゃないのかなぁ。変えてよくしよう、という発想をすることも可能だと俺は思う。

まぁ、俺が改正に賛成である最大の理由は、日本人自身の手による教育の基本法を作るべき、という理由なんですけどね・・・。やっぱ60年間も、条項が少なくあきらかに現状に対して不足感の否めない法律を使い続けてきたそのツケが出てるのかな、って思うんですよ。憲法にしてもそうですけど。

最近、半藤一利さんの昭和史戦後編(名著!)を読んでるんですけど、戦後間もない頃の井日本人にとって、GHQ占領下でつくられた憲法は、まさに革命的で、戦争で傷ついた日本人にとって宝もののようなものだったんだと思います。そのありがたさがすばらしすぎて、60年間が過ぎ去ってしまった。自らの手で作った憲法を持たない国・日本、その違和感を埋めようとしなかった。

俺はそろそろ、戦後の呪縛から解放されてもいいんじゃないかな、とそんな気がしてます。

まぁ、何はともあれ、いろんな視点から問題を見つめることは大切です。そう、それを言いたかったんです、今日は。
多様な価値観は許容されるべきだし、それを認めて自らの取るべき道を選択していくべき。偏狭な考えに陥らないよう、俺はこれからも努力していきたいな。




PS.明日は英会話の授業と、日本経済の行方を考える授業と企業の広告戦略を考える授業・・・、頭を毎日切り替えなくちゃいけなくて、ホント大変です。でも妥協せずに、毎日めちゃくちゃ勉強したいです。

夏はめちゃくちゃ遊んだので、後期はめちゃくちゃ勉強します。遊びも勉強もできるのはあと半年しかないですからね、一生懸命にやらなければ未来の自分に申し訳ないですよ。

もう俺は全然勉強の知識足りないし、話にならない。やるしかない!!

歴史って、政治って、難しい

2006-10-06 21:59:03 | 政治・経済
今日は2限のテーマカレッジ(オープン教育センター設置のゼミ)に久しぶりに行って、日中関係に関する意見交換を行ったり、夜19時からの太田光のマニフェスト番組を見たり、新聞を読んだり、半藤一利さんの昭和史を読んだりして、歴史や政治について深く考える日だった。

たった一日なのに、多くの人の話を聞けたり読んだりできたから、すごく勉強になったかな。

印象に残ったのは二つ。

テーマカレッジの先生の言葉と、テレビの金美齢さんの話かな。

テーマカレッジでは日中の、特に今年は満州国に関して中心にやってるんだけど、実際に満州へ行って、思った感想やそれらを述べた後の先生の言葉っていうのが、ひどく的を射てたかな。

「満州国について、日本人のほとんどが知らない」

「中国人も満州国について調べようとしていない」

満州国って言う存在が歴史のかなたに置き去りにされてるような状態だったんですよ、今までの60年間って。日本でも、中国でも、「満州国ってのは悪だからいけない」、それだけで済まされてしまった。

しかし、詳しく調べると、満州国っていうのはひどく現実を見据えた政府であったことが見えてくる。岸信介や鮎川義介なんかが中心となって満州国をまともな政府にしようと努力していたことが伺える。

満州国では建国の理念として「五族協和」というのがあった。この五族というのは、満州人、日本人、漢人、朝鮮人、蒙古人のこと。五族が融和できるような政策を実際に努力していたという事実が実はある。それが治外法権の撤廃、という事実。満州国では当初、日本人に対する治外法権があったのだけど、それが1937年には廃止されている。これは満州国の自立性を確保するための政策であり、特筆されるべき事実である。なぜなら他の列強でこのような植民地政策をとった国はないのだから。

さらに、ユダヤ人の移民の推進やソ連から逃げてきたロシア人が多数住んでいた、という事実もあり、満州国を多民族国家として自立させていこうとしていた当時の日本人の努力があったのは事実だったのだ。(もちろん、政治的軍事的に、日本の傀儡政権であったというのは事実である。しかし、日本人が傀儡政権を使って、多民族国家を形成さていこうとしていた、という事実に俺はスポットを当てたい。)

俺も、上記のような事実を大学4年生になる今の今まで知らなかった。いや知らされなかったというのが正しいのかもしれない。日本において、満州国をはじめとした植民地政策は、すべて悪で済まされてしまっているのだから。

しかし、満州へ実際に行って、俺の認識は変わった。満州の土地にある日本が遺した建造物は、どれも日本に残る近代建築物をはるかに上回る、超A級の歴史的文化的価値のある建造物ばかりであった。長春(旧首都:新京)のあの建造物群を見せられて、日本の満州国経営はいい加減だった、と思う人はいないだろう。それくらい、現地に赴いたことは説得力のある歴史からの教えだった。

それらについて知った今だからこそ、今日の先生の言葉に重みを感じた。

歴史はさまざまな側面から切り込むことができる。そして、さまざまな側面を知らなければ語ることはできないものだと思う。教科書に書かれた歴史だけで知ったつもりになって語っているのは、実は、極めて危険な状態なのだ。右・左・自虐・自讃などと歴史はさまざまに語られるが、それぞれの立場を理解し、またそれ以外にもたくさんのことを学んだ上で、初めて歴史をおおっぴらに語る資格が得られるんじゃないだろうか?

俺は、その資格を持つに値する人間になるべく、これからも自分なりに歴史について学んでいきたいと思う。



そして、もう一つ、金美齢さんの言葉。

金さんの言葉が生まれたのは、憲法9条を変えるべきか残すべきか、という議論の過程でなんだけど(ちなみに金さんは憲法9条改正に賛成派)、日本の旧植民地であった台湾出身で、実際に米軍による空爆で、多くの死に直面し、自身も生死の境をさまよった経験のあるという、金さんの言葉はすごく重みのあるものだった。

戦争体験者で改正反対派のおばあさんが「戦争が終わったとき、9条とはなんてすばらしいものなんだ、と思った。戦後平和だったのは9条があったからじゃないんですか?」と言ったんですね、それに対する金さんの反論。

「戦後日本が平和だったのは日米安保があったからです。9条があれば平和?何もしてなくても、1996年の台湾総選挙のとき、中国は台湾海峡に向かってミサイルを撃ち込んできましたよ。これが止まったのは、アメリカが2隻の空母を台湾海峡に派遣してくれたからです。戦後、日本のまわりをアメリカの第7艦隊がずっと回ってくれていたという事実を忘れてはいけない。」

さらに原口一博衆議院議員は憲法9条を宗教に過ぎないと切り捨てた。「戦前の国家主義も憲法9条もいっしょです。それのせいで、現実を見ることのできなくなる、一種の宗教なんです。」と。

俺は、この流れを見て、あ~、確かにそうだなぁ、と思った。根拠のない理想論よりどれだけ効果のあることだろうかと思った。俺は憲法9条のおかげ、という側面もあると強く思っているけど、金さんや原口さんの反対する、「憲法9条のおかげだけで平和」、とは思っていない。

現実を正しく見据えること、そして、過去を正しく分析すること、これはきちんとやらなくちゃいけない。日本人はこの作業が苦手な人が多いんだけど、昨日の寺島さんが言っていたように「時代認識」をきちんと持っていなければならないんだと思う。

理想論は本当に美しい、だけど、理想論を妄信して時代を誤った教訓を日本人は忘れてはならない。ロマンも大切だけど、俺はリアリストとしての自分を常に忘れずに持ち続けたいね。



(写真上は、長春の溥儀の住んだ皇宮にある江沢民前国家主席による石碑。「勿忘九一八」とある。9・18とは満州事変の引き金となった柳条湖事件の日付。この日から受けた屈辱を忘れるな、という意味の石碑。日本では9・18という日時があまり重要視されずに教育されていることを考えると、日中で歴史の着目点が違うことに気づかされる。
写真下は長春の満州国国務院。国務院とは国会のこと。ここで、張恵景首相を頭とする内閣と多くの国会議員が政治を司っていた。傀儡政権とはいっても、カタチの上はきちんとした政府としての体裁は整っていた。ちなみに、現在ここは吉林大学の医学部として今だ現役バリバリで使われ続けている。60年たってもその威容は健在で、中国の文化財にも指定されている。)