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宣セーショナル

宣承をひらく

やっぱり、だから生きよう

2012-06-17 09:32:03 | 日記
 昨日まであったことがあたり前じゃなくなる。

 昨日までいた人が忽然といなくなる。

 失うということは、執拗なまでに私の胸を締めつけてくる。

 つらく悲しく、耐え忍ぶ時間と、今でも信じられない気持ちが交錯する。


 出逢ってきた時間は短くとも、〝この人は!〟と互いに感じる感覚には時間は差ほど必要としないもの。
 だから、それほどそこまで感動できる出逢いがいつもある訳じゃないから、失ったときの衝撃は強い。


 やがて私もいなくなる。


 そのとき、こんな気持ちで泣いてくれる人がどれほどいてくれるのだろう。

 今まで出逢ってきた多くの人や場面を思い出す。

 その一つひとつが私を支え、育ててくださった。良いことも悪いことも、好きな人も苦手な人も……すべて、今の私となるために大切なもの。


 この今の辛さも悲しみも、未来の私のやさしさとなると言い聞かせる。必ずそうなる。。。


 だから、失ったそのことだけじゃなく、それほど辛く思うほど、その人たちが与えてくれた喜びの時間・ケンカした時間・充実の時間、悩んできた時間・笑いあった時間を思い出そう。

 その時間は紛れもなく、このタイミングで惹かれあい、心を共有しあえた者同士の宝だから。


 ずっと、私の感性の中で生きていく。


 そして、私がやがていなくなっても、誰かの感性の中に生かさせて欲しいと願い、今を生きたい。

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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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感謝の想いをこめて… (meaning)
2012-06-17 12:49:35

Don't hesitate to seek help me if you need anything at all.
返信する
灯火に成る為には (cb1965)
2012-06-17 19:31:18
 祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。…

 お疲れさま。仮設住宅の生活も一年が経過した。2011.3.11我々は『諸行無常』について思い知らされた。そして、先週もかけがえのない仲間を失い、とどまる事がない。『生・老・病・死』が人の常ならば、『愛別離苦』も生きる上では必ずやってくる。大人達は精神をコントロールするが、遺された三人の息子達が不憫でならない。これ以上彼等に試練を与えるなと願うのだった。

 神仏を尊び、神仏に頼らず。

 宮本武蔵と無頼派好きの俺は、今までこの考え方が基で変わらんだろう。昨年、住職・副住職と出逢い、西和賀の地に刺激を受けた。最近は偶然なのだが、仏教の本を手にして『仏陀の教え』を読んでいる。前述の言葉(生老病死、愛別離苦)がそうである。釈迦苦行像の写真はまるで痩せこけた今の俺のようだ。被災後は特に住む所や、持ち物にこだわらなくなった。投稿する行為は自分の考えを整理したり、瞑想していると言える。振り返るなら、今までの内容は全てそうではないか。コレも縁起か。因果なのか。修行する為に生を受けたのか。読み込むたびに考え込んでしまう。昔、京都に滞在した際には偶然『比叡山延暦寺根本中堂』を訪れている。その時は其処がどういう所か知らなかったがね。今と成っては不思議なものだ。

 お疲れさま。
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meaning さま (1000)
2012-06-18 07:03:46
 横文字で粋に返せず残念ですが、ありがとうございます!
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cb1965 さま (1000)
2012-06-18 07:06:35
 神仏を尊び 神仏に頼らず

 いいですね、私も同じくそう思っています。

 私たちが今、深い悲しみと共に生きていられるのはまさに、私たちの業縁なのですね。

 よろしくお願いいたします。
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