宣セーショナル

宣承をひらく

カダリアウ 座

2017-10-27 06:25:38 | 日記
先週末、もう一週間なってしまったが、かんな福祉相談支援事務所の開業5周年記念事業として『カダリアウ座』と銘打ったトークショーでお話しさせて頂いた。

まずは、この事業所の代表・高橋岳志くんを座長として、ソウルメイトの高橋博之くんとの三人で語り合うこととなった。いわゆる1974年度誕生組である私たち。
テーマは、『社会的包摂と権利擁護』と題されたが、そこに縛られることないフリートークが展開されていた。
結果、楽しくワクワクする時間を久々得た感覚だった。懇親会に席では、他の方々の大事なメッセージも聞けたので、もう少し深めて話し続けていたい感覚が、週明けて今日も残っている。

その中で、心に留まった言葉をいくつか…。

『今、世界はスマフォ一つで何でもできる市場となっている。上海では現金を持ち歩かないのが主流。商品のQRコードを読み込んでスマフォで決済する仕組み。その辺の屋台でさえ、会計はQRコードにかざして済んでしまう。今に日本もそうなっていくのだろうけれど、このスマフォがないと生きていけないという時代って本当に困難な時代。扱えない人を排他していくようなね。』

『お年寄りや何らかの障がいある人、時代に取り残された人は排他されていく傾向に世の中がある。そんな社会になっていることに違和感がなくなっていることが怖い。』

『沖縄の問題も、福島の問題も、水俣の問題も、根底にあるものは同じ。命に経済を盛り込んでしまったことをどう抱え向き合っていくのか?』

『都会だと、自分の好きな人とだけ付き合っていけばいい。でも田舎って、嫌いな人とも一緒に生きていかなければならない。自分の思うようにならない。そこを受け容れて行くことが大切なのに、都会は、不都合なものは平気で排他していく世界。』

『ある友人女性が、若い頃と都心に住んでいて毎日ギュウギュウの満員電車に押し込まれていたとき、あの電車に押込まれたときは、人としての感情のスイッチを切らないと対応できなかったって言ってた。』

『不祥事を起こした某学校の教師が、子どもたちに言ったそうです。
〝今、本当にうちの学校は大変なときです。この大変な時を乗り越えるには、一人では戦えません。スーパーマンを待っていても来ません。
だから、私たち皆でスーパーチームになろう!誰か個人が輝くのではなくて、輝いているチームの中の一人に皆がなろう!〟
自発的に考え、そう語った教師を誇りに思うと語っていた先生がいました。』

『世の中、区別して、〝分ける〟ことで整理されていく。これは人の思考として元来持っているものだそうです。だから自然に分けていく先に差別も生まれてしまう。だからこそ、一緒にする〝融合〟という考えを意識的に持つことがまた出て来る。これも大事。でも、その分けるにも融合するにも、どちらにも漏れてしまう人がいる。その狭間で対応できない人が出て来る。それが何らかの障がいのある人であったり、認知症の人であったり。その狭間で苦しんでいる人を支えるのがソーシャルワーク。排除や対峙するより、どうやって融合していけるか。』

『成年後見人の役目は、その人の最期をきちっと看取っていくことではないかと考えています。』

『いのちというのは、どうであれ其々の〝言い分〟がある。動物であれ、虫であれ、障がい者であれ、誰であれ、いのちの言い分は平等にある。』


等々、ステキ過ぎる感性に囲まれた時間は、あっという間に過ぎていった。
おかげさまです。

思考した時間=人生の財産

2017-10-26 05:05:24 | 日記
先日、娘の通う小学校の校長先生と飲ませていただく機会に恵まれた。

つい最近、体育の面で文部科学大臣賞を獲得したり、先日の学校公開での算数の授業の進め方でも大変評価いただいたとのことだった。
その算数のことについて、校長先生、実にステキなことをおっしゃった。


『算数の授業で教師が大事にしたいことは、答えが合っていたかじゃなくて、速く何問解けたかでもなくて、その〝思考した時間〟が大事なんです。例え答えが間違っていても、速度が遅くても考えた時間・取り組んだ時間がその子の人生の財産になるんだもん。将来、自分で考えて自分で判断して自分で行動できる大人になって欲しいと願って授業を進めていきたいですよね。』


校長先生!めっちゃ、美味い酒でした♪あざっす♪

ふろジェクトチームのその後…

2017-10-19 21:53:57 | 日記
今年も西和賀町医療介護福祉研究発表会がありまして、今回、光寿苑の発表の年です。

前回、〝自分だったらどんな入浴をしたいだろう〟という観点から立ち上げた『ふろジェクトチーム発足』についての発表から早4年。
風呂場の大規模改修や入浴介助技術向上のための研修等々、その後の『ふろジェクトの歩み』を発表いたします♪

私、リハーサル前に特別に観させて頂きましたが、泣きそうでした。。。

泣いてはいません。。。

ただ、現場の苦労と工夫、そしてお年寄り目線の入浴を模索し応対している姿と心意気を感じ、頭が下がる思いで噛みしめました(涙)。。。

だから、泣いてはおりません。。。

ぜひ、お時間作って観にいらしてください。


【期 日】 2017年10月24日(火)
【時 間】 18時半 ~ 20時頃まで
【場 所】 銀河ホール(西和賀町上野々)
【その他】 入場料や入場資格要件はございません。どなたでも入れます。



ではでは、お待ちしておりまぁす♪

フォトジャーナリスト・安田菜津紀さん⓶

2017-10-18 06:43:07 | 日記
続・安田さんの話。
丁度、昨日、『IS』いわゆるイスラム国が事実上壊滅したとの速報が流れた。
拠点の最後の砦となっていたシリア。安田さんはフォトジャーナリストとして、このシリアには何度も足を運んでいるという。


『まだISの動きなどなかった頃、シリアという国にはすでに行っていました。
シリア人はとても優しくて、温かい人間性の人たちが多いんです。ここまで親切なの?というくらい親切丁寧に接してくれる。シリア人のこの誇りともいえた人間関係は、戦火に巻き込まれ打ち砕かれてしまったのです。』

『今(今年8月時点)のシリアに出向き、そこに残っているシリア人の方々に会うと、どこの国から来たのかと聞かれることがあります。「日本から来た」と答えると、皆さん、握手をしてくるんです。そして、彼らは、

〝何で自分たちが、日本人と聞いて握手をするか分かるか?〟

と尋ねてきます。その理由を聞き返すと、

日本人は、広島・長崎があのような惨劇に見舞われて以降何十年と、国としてどこの国も攻めない、傷つけていない国だからだよ

と言われるのです。この意味がどれほど大事な意味を持っているか。』


この話を聞いた時、ジャーナリスト・むのたけじさんの言葉を思い出していた。


人を一人殺しても重罪に課せられる。なのに、戦争になるとどれだけ人を殺そうが英雄とされてしまう。こんな事があっていいのが?人を殺してしまったら、どんな立場であろうとも罪で無いのぎゃ!?』


全国母親大会に弟と二人で参加した私。私の母親世代の中でも活発な5千人超の方々に囲まれて圧倒された環境下ではあったものの、この講演を拝聴できたことは本当に意味があった。今も尚、考えさせられている毎日だ。

フォトジャーナリスト・安田菜津紀さん①

2017-10-17 12:49:39 | 日記
この夏、久々に感動した講演会があった。

フォトジャーナリストの安田菜津紀さんの講演である。全国母親大会in岩手の特別講演に安田さんがくるとあって興奮してしまった私。サンデーモーニングという情報番組に度々出ていた彼女の考え方にはいつも感心させられていた私は、母親でもないんだけれど、こんなチャンスはまずない!是が非でも拝聴したい!と思い、申し込んだのだった。
母親大会の意義もきちっと理解しないまま参加するのはいかがなものかと迷いながらも、結果、参加できたことで視野が深まり、おかげで母親大会の存在価値というものを初めて参加した私ですら感じ取れた時間となった。
 安田さんの講演には、現代人への示唆が沢山盛り込まれていた。その中からまずは一つ。

 『私の夫は陸前高田市出身。東日本大震災後すぐから、私は陸前高田のボランティアに入りました。義父は津波にのまれながらも一命を取り留めましたが、義母は帰らぬ人として見つかりました。失意の義父をどう支えてあげられるか。私はフォトジャーナリストでありながら、この大震災の地ではシャッターを切る気持ちには中々なれませんでした。
そんなある日、朝陽に照らされた一本松を間近で見る機会に遭遇します。後に〝奇跡の一本松〟と呼ばれたその松に、太陽の光も相まって生命力の強さを感じさせられたのです。〝よく生き残ったね…〟この感動を〝義父にも見せてあげたい〟と思い、その写真を義父にすぐに見せたのです。
ところが、義父の反応は、私が想像していたものとは違っていました。

〝貴方のように7万本の松を知らない人は、これに生命力や希望を感じるかも知れない。けどね、7万本の松と一緒に生きてきた私にとっては、辛い姿でしかない。二度と私の前でその写真を見せないでくれ。〟

私は気づかされました。
私たちメディアの者は、様々な場面の裏側に、置き去りにしてきたものはなかったかと。確かに、同じ高田の人であっても、あの一本松に奇跡や希望を感じる人たちも多くいると思います。それを否定するものでは全くありません。同じあの一本松を色んな感じ方で捉えている人がいることを見落としてはならないと、義父の言葉にその原点を教えられたのです。
義父は2013年に亡くなりました。今でも義父の残してくれた大切なメッセージは、フォトジャーナリストとしての私の心に深く刻まれています。』

 この母親大会で彼女が発したメッセージは、ともすれば、私の都合で相手に押し付けている日常の私たちの姿そのものではなかったかと振り返らせて頂いた時間だった。

今日は、このお話しまで。

お寺の行事のお知らせ

2017-10-15 22:25:38 | 日記
秋もめっきり深まって参りましたが、お寺の行事をお知らせいたしますね。

➀お寺で演劇
【タイトル】走れタカシ ~僕が福島まで走った理由~
【日 時】2017年10月28日(土) 18時半開場  19時開演
【場 所】碧祥寺本堂
【入場料】1000円

⓶碧祥寺報恩講2017
【内 容】お参りと法話会「親鸞聖人のご命日を通じて仏教に出逢う場所」
【日 時】
*大逮夜…2017年11月4日(土) 13時半~16時半(途中入場や途中退場オッケーです♪)
*ご満座…2017年11月5日(日) 10時~12時半(途中入場や途中退場オッケーです♪)
【持物や服装】
普段着でオッケーです。念珠(数珠)をお持ちであればいいですね。


気軽にご参詣くださいね♪

受け止め方の温もり

2017-10-10 12:45:26 | 日記
以前、ある福祉の仲間から聞いたほっこりする深イイ話。


60代で若年性アルツハイマー型認知症が発症していた奥様が、旦那様の前で言った。
『私、どんどん忘れていくの…』
寂しげにつぶやいた。


すると、旦那様は微笑んで返した。
『僕が覚えているから、いいじゃないか…』


映画のような感動の場面を、私は見逃し聞き逃してはいなかったかと、思い返している今日この頃。

仏教的『鳴かぬなら』論

2017-10-08 16:28:24 | 日記

信長「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」
秀吉「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」
家康「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」



3人の武将の有名なこの句の表現は、それぞれの性格と捉え方を実によく表している。

仏教的な、あるいは福祉的な捉え方だと、

『鳴かぬなら…いや、本当は鳴いていたのを気づいてあげられなくてごめんね。』
『気持ちよく鳴かせてあげられなくてごめんね』


と言った表現になるだろうか。

私たちは日常の中で、
『挨拶ぐらいしたらいいのに…』
『お礼の言葉もないのか』
『一言いってもらえず残念だ』

などと言っていること、実は多いのではないだろうか。
相手に言いにくい雰囲気や空気や表情をしてはいなかったか?
そんな自分の姿も客観的に見られないまま、相手にだけ要求している私はいないだろうか。

深呼吸して、我が身の姿をじっくり謙虚に見つめつつ、さて明日を迎えてみたいと思います。