宣セーショナル

宣承をひらく

流れに身を任せれば…

2011-08-31 13:06:52 | 日記
 中々困難な状況が重なり、朝方、ようやく9月の勤務割表の下地ができました。

 寝不足です。

 でも、もっと大変なのは実質の9月をどう乗り越えるかだなぁ。。。


 そんなこと思って、気分転換にブログ書こうとしたら、何と!長時間のメンテナンス中に引っかかり書けずじまい。。。

 うまく流れができないときは、そんなもんですね。


 うまくいかないときは、それなりに流されようと思うところです。大いなる流れに身を委ねる中に、また何かが自分の中に流れ始めるもんだから。。。


 成るようにしかならないのですから。。。ねっ。

何ともならない…ことはない

2011-08-30 06:01:05 | 日記
 どうにもならない局面が訪れる。手の施しようのないこと。。。

 そんな局面では、大切な〝今〟を投げ捨ててしまいたくなる。。。そんな時ってある。


 でも、そんな時、苦しい時ほど、思うことが二つある。

 一つは、


 「自分に与えられたご縁」


 もう一つは、


 「自分一人だけに与えられたご縁ではない」


 ということ。


 何ともならないことってあるけれど、それは、自分の範囲だけで自分の力だけで自分の経験則だけで解決しようと思ったときの話。自分だけで何とかしようとしているうちは何ともならないのだろう、そう思う。


 何ともならないことなんて、大きな世界から観れば「ない」のだろう。


 何事も何とかなる。


 その「何とかなったこと」に、自分を任せられるか、自分を許せるか。。。


 一人じゃないから。。。思いきって許してみたい、そんな局面を確かに歩いているから。。。



ケアって何だろう

2011-08-29 09:16:31 | 日記
 沿岸で業者さんが、撤去作業中にご遺体を発見したり、漁師さんが発見したりする状況が今も絶えない。…そんな話をいろんな方から聞いていた。この方々のこころのケアも必要だと感じている。

 特に、笹原留似子さんが多忙の中、今も尚、現地に出向き話を聞いてきてくださっている。


 大切な方が行方不明のままお盆を過ごした方々が、その特別な行事を境目に、海に飛び込んでしまう方も出てきているのだと。


 大切な人を見失ってしまった。自分も海で逝きたい……決してお気持ちは分かるなどとは言えないけれど、痛いほど、伝わってくる。
 〝大切な人の場所にいきたい〟って、痛いほどに感じさせられる。


 「こころのケア」と称して、様々なプロと呼ばれる方々が沿岸にお越しになった。

 しかし、そのカウンセリングのあり方が、今、残されたご遺族のこころに影響し始めているとも言われている。


 こころのケアって何だろう?


 私は、ケアとは、「治す」ことよりも、「寄り添う」「案じている」ことこそ、大切な要素だと確信している。

 技術や知識を持ったプロフェッショナル性も大事だけれど、それよりも、一人の人として、

「私はずっと傍にいますよ。案じていますよ。」

 って気持ちを高められたら、何も有資格者じゃなくても気持ちが救われる方だっているのだと思う。
 治る素質は、その人の中に元々あるものだから、関わる側の論理や見地から治そうとばかりするのではなく、元々お持ちの元気さを回復するまで「待つ気持ち」が関わる者には必要不可欠な資格だと思うのだ。


 こころのケア。


 専門性を語る前に、体験は違えども年齢は違えども、同じ人として同じく痛んでいるから、放っておけないから…って気持ちがなければ、私が助けてもらう立場だったら嫌だなぁ…って思うから。
 私のような感覚の人が居るとしたら、私も必要とされるかも知れない。

 私はただ、何とか生きてて欲しいと願い、案じているのです。

バスケットにて

2011-08-28 17:42:59 | 日記
 昨日、バスケット青年大会が沢内のトレセンで行われた。

 いつもの仲間たちが野球に出ていたり、チームを元気にするともや君が不在の中、ムードメーカーとしてワッキーさんが駆けつけて下さった。マネージャーにはなっちゃんにさきちゃん、そしてちーくん。


 サポートがありがたい中だったが、試合は……圧倒的に完敗した。


 相手はバスケ経験者組がそのままクラブチームとしてガンガンやっているチームだった。背もずっと高い相手。
 でも、果敢にみんながんばった。試合のできる喜び。


 完敗だったけれど、再び闘志の燃えた日となった。


 この歴史的完敗は、〝バスケ文化を西和賀に〟という新たな扉の開いた日。
 皆さん、よろしくです。

太田地区老人クラブ松友会さまにて

2011-08-26 20:37:12 | 日記
 今日は太田地区老人クラブ松友会さまにて講演をさせて頂いた。

 このレベルの皆さまの前は、本当に安心してお話しができる。

 それはなぜか?

 それは、『聞くプロ集団』だからである。

 要するに、よく笑って下さり、泣いて下さり、そして、聞いた先からスッカスカと忘れて下さる?という実力者だからである。
 〔すんません、今日のネタの余韻ですので、太田地区の皆さま、分かって下さいますよね。。。〕


 今日もまた、いい顔の皆さまに囲まれて、ありがたい〝今〟を与えて頂いた。


 おかげさまでした。。。


 
 さて、明日はバスケット。思いっきり戦ってきます!

被災地でのボランティアの心得

2011-08-25 17:10:10 | 日記
 『被災地でのボランティアの心得について、お話し下さい。』


 と、西和賀高校さんからお話し頂き、1~2年生の皆さんの前で昨日はお話しさせて頂いた。
 皆さん、真剣に聞いて下さって、あっという間の70分が過ぎた。

 この後、1年生と2年生はそれぞれ時期をずらして、被災地ボランティアにいくのだという。

 純粋な眼差しと不安混じりの表情を溶かすのも私の役目と受け取り、純粋な気持ちには純粋な気持ちでお話しするのが一番だと信じて思いっきり全身使ってお伝えした。


 最後の柔和な表情からすれば、高校生の皆さん、しっかり受け取ってくださったかな。。。

 あなた達のような純真なボランティアは、大歓迎されることでしょう。


 怪我しないように、いってらっしゃ~い。

2011-08-25 09:12:54 | 日記
 看取り期と今週月曜日に診断され、『今日~明日が山』とされた方が、昨日、自分の部屋に戻られた。

 いい意味で、〝ドクターの診断〟を裏切ったことに、みんな喜んだ。


 反応もなくなり、血圧も測れなくなっていたAさん。そんな中、旦那さまと息子さまが交代で寄り添って下さった3日間。どうしても親子の折り合いがつかない時期も長く過ごしてきたお二人だったが、親愛なる妻のため母のため、無言ながらすばらしい連携で付き添って下さった。

 息子さまが3日目の夜、母の寝ている横でおっしゃった。


 『オレね、本当に母さんには何も恩返しできないできたんですよ。他の兄弟もこの通り、遠方から駆けつけないしね。本当に申し訳なくて。だから、精一杯自分のやれることっていえば、これ(寝泊まり)しかできなくて。』


 毎日仕事をして、そのまま夜は泊まって下さって。。。十分素敵な恩返しだと思った。


 翌朝、息子さまがお帰りになった後、Aさんに話しかけた。


 「息子さん、ずっと付いてくれだね。Aさんの母心、息子さんに通じたね。届いてよかったね、Aさんの心。。。」


 Aさん、何と頷いて、目を開けようとして下さった。
 その後、前のようにはなれないけれど血圧も戻り、ご自身の部屋で過ごされている。


 究極のとき、医学を超える〝力〟が存在する。
 それは、このご家族の思いであったり。。。この絆が自然なるAさんの能力を引き出させたのではないかと感じた。

追伸

2011-08-24 07:48:43 | 日記
 こんな補足をしなくてもいいとも思うところだけれど、世の中には、この字面ばかりとらえる人もいるので。。。


 沢内病院のスタッフさん、いいなぁと思う、ステキな人だなぁと思う人も多くいらっしゃる。このことだけは補足したいところである。現に、うちのばあちゃんの入院では、ステキな看護師さんが沢山いらしたから。。。


 今一度言いたい。


 建物よりも大事なのは、そこにいる人のやさしさとプロフェッショナル性。
 そして、それを支えるものこそ、〝病院をどういう場所にしたいか〟という、病院スタッフ全員が同じ理念というベクトルを持って進めることと、住民も、〝どうあって欲しいのか〟という、苦情に終わらない、建設的な意見を伝えることではないか?…そう思うのである。


 今、この時代に、病院を新たにする大義は何であるのか?


 みんなで護るというその拠点のキーワードは、島田先生のおっしゃる通り、〝多種多様な連携〟と言えるのだと思う。


 きっちり読みとって下さる皆様にとっては、くどい文章になってごめんなさい。。。

沢内病院移転整備計画

2011-08-23 07:40:00 | 日記
 沢内病院が2014年に向けて移転整備計画が進められている。

 地域のシンボルだけではなく、他市町村の機関連携をはかるべく掲げられた構想である。
 規模的にも、入院ベッド数を減らさず、診療科も内科・外科・歯科・眼科・小児科・整形外科の6科体制をとる予定だという。


 さまざま構想に期待もふくらむが、民の気持ちからすれば、とにかく求めるものは、『行きやすい雰囲気を持ったスタッフ』がいてくれることがすべてである。どんなに設備が整っても、上から目線のような場所からは人は離れていく。


 以前、S先生がおっしゃっていたように、


 『医者は疾病を治療しようとして考えて、患者さんが、『お腹痛いんだけど、風邪がらくるんだべが?』と尋ねると、「医者が診断するんだから自分で勝手に決めないよ。」って医者っているんだよね。
 でも、かかってくる患者さんたちは、〝お腹が痛い〟っていうのを分かってくれるお医者さんを求めているんだと思う。医者が診断するんだけれど、その痛みを分かってあげられたら…そんな医者に僕はなりたいんだよね。』


 そういう病院にいきたいのだ。

 
 これを言えば、〝それは町医者に行けばいい〟っていう先生もいるかも知れない。でも、たとえ役割や機能は違っていたとしても、患者の不安を感じ取ろうとして下さるお医者さんがいることが、一人でもいることが、そして、そんな看護師さんたちがいることが、これからの沢内病院の生命線になるのだと思う。


 診断名という〝事実〟を知ることはとても大事なことかもしれない。

 でも、それ以上に、その事実を知るまでのプロセスと、知ってからのプロセスは、より大事だと僕は思うから。


 そう。
 北上のC先生やH先生やS先生のような。。。〔身近なところばっかり言ってすんません。いいお医者さんは全国にまだまだいらっしゃいますけど。。。〕