宣セーショナル

宣承をひらく

なぐられても

2010-05-26 13:00:00 | 日記
 心身の双方を殴られたとしたなら、中々その相手を許せないものである。
 生涯、許さない!なんて人も多いのかも知れない。僕だって、そう思うのだろう。

 けれど、もし、相手が本当にその事を人生かけて謝って反省して生きているとしたならば、いつか許しの心を僕自身が持つべきなんだろうと思う。
 その相手の人が、もしかしたら僕自身の逆の姿かも知れないから。

 何で殴るようなことをしてしまったのか。何で殴ることしか手がなかったのか?あるいは、殴りたくなるような原因が、僕自身になかったのか?

 相手の行為だけを責めるだけ責めたら、一歩引いて、ひろく観てみなければならないんだと思う。

 

晴れる

2010-05-25 12:47:03 | 日記
 先日、脚本家・演出家の大峰順二先生と始めてお逢いすることができた。
 西和賀には何度もいらしているとのお話だったが、何と初対面。けれど、お話を伺い初めてすぐにとてもホッとさせられた。
 それはきっと、人間の深い部分をよく見ていらっしゃいながら、それでいて、その深い部分へ温かい空気を注いでくださる、包み込んでくださる、と表現したらよいだろうか。僕にはそんな表現しかできないが、コアの部分に触れるとどうしても重くなりがちなのに、なぜか心地よい。とってもいい感触だった。

 日本各地のまちづくりの課題についてお話を伺ったのだが、それがまたおもしろい。大峰先生は、『現実目線に立ちながら、それでいて夢を描こうとされる(プラスの発想)』感覚の方に感じられた。だから心地よかったんだろうかと思っている。
 現実目線に立つことはとても大事。ところが、現実論の場では、よく重くため息が出がちになってしまう。


 現実に立ち、そこからどう夢を描けるのか?
 大峰先生といると、何だか心が晴れる気がした。

 まずは何事も、晴れた気持ちを持つことから始めることは生きる意欲そのものだから、先生に感謝である。

読む力と聴く力

2010-05-24 13:24:47 | 日記
 どんな表現も、読み手と聞き手によって勘違いされることは世の中多々ある。

 特に、ある特定の人のことを言っていることではなくても、自分のことを言われたと勘違いして、その人を許せない!…なんてこと、日常よくあることだ。

 そのほとんどが、その言葉や行動だけを鵜呑みにして起きてしまう勘違い。


 要は、よくその人同士で語ってみることが肝心である。すると、理解不足や認識不足、または思い込みであった、なんてことも沢山あって、確認作業を本人同士がやらないで、他人を通してあれこれ語ってしまうから、いろいろまた勘違いを生む。 
 誤解がとけたのなら、その後は、『ごめんごめん』って素直に言い合えればそれで良いのだと思う。


 腑に落ちないことは、直接語り合うか、『まっいっか』って流せるくらいの寛容さが必要だなぁって、普段の僕自身にも強く思う今日この頃である。

しつこいようですが…

2010-05-23 13:11:52 | 日記
 しつこいようですが、寺子屋のご案内です。
 ある方から、『貼り付けのチラシが小さすぎて見えない』とお言葉頂きましたので、ここに内容をあらためて載せます。

【日 時】2010年6月5日(土) 14:00~17:00
【場 所】碧祥寺本堂
【内 容】①オープニング
     ★さわうち太鼓百年座公演『いのちの太鼓』《雨天中止》
     ②トークショー
     ★Dr島田先生&納棺師・笹原先生による『今、いのちを語る』
     ③しゃべり場
     ★参加者の皆さんと…『みんなで語るいのちの話』
【その他】参加費無料!出入りも自由!
【問合せ先】太田宣承 090-4049-1659

 それではお待ちいたしております。


【追伸】外部でこの寺子屋について勘違いなさっている噂があるそうですので、今一度確認させていただきますが、『元子供による寺子屋事業』は、政治活動でもなければ、宗教活動でもありません。

 一人一人がお互いから元気をもらいあっていく、本来の自分に帰る場所、それが元子供による寺子屋ですので、お間違いならないようお願い致します。

最後の運動会にて

2010-05-22 16:46:10 | 日記
 2010年5月22日、僕の母校である沢内第一小学校最後の運動会が開催された。

 この9年間、『こんな天気は経験が無い。』と区長さんが絶賛するほど、快晴の中の運動会だった。ちゅうか、暑すぎるくらいだった。おかげで日焼けし過ぎて、『飲んできたの?』と間違われるほどだったけど…。

 本当にすばらしいひと時だった。

 子供たちによる最後の餅まき。そのシーンで、親友でもあり同級生でもある圭ちゃんがポツッとつぶやいた。


 『宣承くん、これで最後なんだな。ホントに最後なんだなぁ。。。俺と宣承くんとキョウスケとジュンとヨシアキとトモコとユミコ…卒業生で関わってんの7人だけだったんだな。あと、みんな出でいってしまったんだな。終わってしまうんだな。』

 しみじみ語る圭ちゃん、何て心意気のある友なんだと頭が下がる。きっと、自分たちが育ててもらったこの学び舎で、この最後の運動会を見届けられたのは俺たち7人だけだったんだと言っているかのようだった。

ありがとう、圭ちゃん、そしてみんな。

寺子屋へどうぞ

2010-05-21 22:13:39 | 日記
 6月5日の『いのちを語る』寺子屋に向けて、気持ちが高まってきた。

 島田先生と笹原先生のテンションも上がってきたかな!?
 
 さらに気持ちを高めるべく、オープニングに『さわうち太鼓 百年座』をお呼びして、いのちの鼓動を感じながら没頭したいと考えている。

 う~ん、いのちのコラボがうれしくてうれしくて、ワクワクしている。

本日は弐講演

2010-05-20 17:44:29 | 日記
 本日は弐講演。

 朝は北上で一発目。。。帰ってきて光寿苑に視察受け入れで盛岡の団体様をお迎えして二発目。。。

 いやぁ、楽しんでしまった。あんなに楽しくていいものだろうかというほど、聴いてくださる方々が実にいい表情で頷いてくださるから僕も勘違いしてノリノリになってしまうのである。

 ああいう時の空気は、しゃべる側にも聴いてくださる側にも、双方にとって実にいいものである。楽しい時間だった。幸せ者である、あんな場面を持っていただけて。

 おかげさま。


【追伸】しかし、講演後は、別人のようにヘナヘナになってしまう。それだけ、出し尽くして講演を終えるのだ。祖父の祖電さんは、講演をすればするほど元気になる人。正直、考えられないというか、到底別次元の人だなぁと、客観的にみていたところであった。

バスケっ!

2010-05-19 23:17:22 | 日記
 ちゅうか、このブログは、一日で複数つけられることを今知った(半笑い)。。。

 ちゅうことで、本日の二度目のネタはバスケっすぅ。

 何と、先週から二週連続でバスケした。すげぇ楽しかったなぁ。こんなの二年ぶり。
 高校時代、人生を再生させてくれたと言っても言い過ぎではないバスケを、20年後の今、やれている幸せ。
 うん、実にすごいことだ。

 一城のご主人さまに誘われて、毎週水曜日にわれらの仲間と一緒にバスケ!…新鮮でおもしろかったなぁ。
 う~ん、『おもしろい』って言葉しか出てこないのぉ。だって、スポーツの中で最高におもしろいんだと思い込んで止まないのがバスケだからなぁ。実におもしろいんす。
 先週は、『しんどい』しか出てこなかった。心身ともに興奮して眠れなかった。今夜は眠れそうだな。

 
 しばらく、バスケにはまり込みそうな今日この頃である。

もんすたぁ~

2010-05-19 07:11:43 | 日記
 モンスターと呼ばれる人種は、あちらこちらに出現している昨今。

 先日、ある小学校の先生がおっしゃっていた。

 『ちょっと変わっている子供には、変わった親がいることがよくあります。特に今は、携帯電話のメールで親御さん同士が繋がっていて、何でもかんでも情報が横流しされてしまうんです。
 例えば、私の経験で実際あったことなんですけど、子供さんに対して、叱って言った言葉を子供さんから聞いた親御さんが、その言葉だけに腹を立てて、どうしたと思います?他の親御さんたちに、「うちの子供がA先生に、●●●って言われたみたい。ちょーウザい。最低!無視だね、あんなの!」なんてメールを一斉送信されたんです。さっきまで仲良く話してたはずの親御さんが、たった一言の取られ方で敵になってしまうなんてこと、実際にあるんですから…。正直、怖いです。』

 言葉の表面だけ、その言葉だけをクローズアップしてしまえば、勘違いや偏った都合のよい解釈になることは誰でも予測できるはずである。

 やっぱり、その背景にあるものや前後にあるものに目を向ける習慣を身につけないとね。

ちっさい自分

2010-05-18 23:28:33 | 日記
 明日は、一日お参りの日。
 光寿苑で天寿を全うされた方の火葬からご葬儀まで勤めさせていただく。

 僕自身、迷っている時、あるいはストレスを感じてイライラしている時、お参りが助けて下さる。きったない気持ちでいる日常を一掃して下さる、それがお参りの場である。

 きっとそこには、自力では到達しえない、『君自身になりなさい!』という他力の導きがあるからだろうと思う。自力は尽くしたい。尽くして尽くして、折れそうな時、必ず、何らかの形(他力)で助けてもらってばかりの自分。

 そんなちっさい自分だと知らされた時の安堵感はたまらないものだ。

 
 明日もまた、一生懸命お勤めさせて頂きながら、ちっさい自分に遇わせて頂こうと思うのです。