宣セーショナル

宣承をひらく

『この記憶だけは消さないでください』

2015-01-31 09:11:13 | 日記
昨日は一週間後に控えた雪見そりの準備のため、そりを車庫から出してきた。
テロンテロンの道路に足をもっていかれながら、町道を引っ張った。なんだかこの準備の段階はエンジンがかかる。

2月7日、よろしければぜひ雪見そりのお手伝いにいらしてくださいませ♪


さて、どうしても書きそびれた言葉を今日は書きたくて、やっぱり書くことにした。

昨日紹介したGOMAさんには女のお子さんがいる。

映画の中では、そのお嬢さんが自転車に乗れるようになったシーンがあった。
ビデオでその姿を撮影しながら、GOMAさんはお嬢さんに言った。


『おぉっ、○○ちゃん、自転車に乗れるようなったねぇ。すごいねぇ…。』


その日の日記にGOMAさんはこう綴っていた。


『神様、どうかこの記憶だけは消さないでください。』


……覚えていることがあたり前で、明日の自分もあたり前にやってくると思いこんでいる私。

どれだけかけがえのない日常なのか。かけがえのない大切な記憶なのか。

GOMAさんの気持ちには決して立てないけれど、GOMAさんに私というものの本性を見抜かれて、少しだけ、ほんの少しだけちっさいながらに大事に考えさせられている。

おかげさまです。

男組発…映画鑑賞研修会

2015-01-30 12:50:07 | 日記
 一昨日の夜は、久しぶりに男組企画の職員研修会をケアマネ・Kくんが開いてくれた。

 中身は、Kくん推薦の映画を観て、後は呑んで語るというシンプルイズベストなものである。
 今回は、参加者の半分が若手(!?)女性職員ということもあり、なんとも雰囲気も違う意味で良くなってきた感触があった。

さてさて、何の映画かというと、タイトルは、

『フラッシュバックメモリーズ』

というもので、GOMAさんという大阪府出身の音楽アーティストのドキュメンタリーであった。

 オーストラリアの先住民アボリジニの民族楽器『ディジュリドゥ』奏者である彼のドキュメンタリー映画。Kくんは映画上映前に、


『僕の紹介する映画は大体がつまらないと言われますが…』


とか言っていたけれど、よくもまぁ、これほどマイナーな映画に目をつけるものだと、逆に感心していた。

 けれど、映画を見終えたときの率直な感想は、『感性にビンビンと伝わってくるすばらしいドキュメンタリーだった』ということ。Kくんに感謝だった。


 さてさて、映画の話に戻ろう。

 GOMAさんは、このデイジュリドゥという民族楽器を携えて20代前半からオーストラリアに渡る。数年後、拠点を日本に移し国内外で大型音楽フェスティバルの参加等勢力的に参加していた。2009年には自身の10周年の活動を映像制作してまとめていたのだが、その年の11月26日、首都高で追突事故に遭遇。一命はとりとめたものの、『記憶の一部が消えてしまう』『新しいことを覚えづらくなる』といった高次脳機能障害の症状が残り、後にMTBI(軽度外傷性脳損傷)と診断された。一時は自身が演奏していたデイジュリドゥが楽器であることすら分からないほど記憶を失っていたのだという。


 過去の自分の写真や映像をみても、なぜその時の自分が笑っているのかも分らない。

 事故当時のことも何が起こったか分らない。

 家族との会話も友達との会話も、分からない。

 彼は彼の日記の中でこう胸の内を語っていた。


『会話も過去の記憶があるから成し得ること。

僕だけ、どこの時間軸にも所属していない気がする。』



心にドンときたひと言だった。

 しかし、それでも、家族の献身的支えや周りの熱心な応援があって、2011年にはデイジュリドゥ奏者として復活を果たす。

 記憶がなかったり、今のことをすぐ忘れてしまっても何故、演奏ができるのか。
彼は言った。


『体にしみついた記憶が演奏させる』


 人の体と潜在能力の奥深さを感じていた。
 前向きになっては、また記憶がなくなる現実の苦悩との狭間で落ち込んだり…。前へ後ろへ上へ下へと行き来する心情を感じさせられた。

 それでも、GOMAさんのつづる未来へ向けた言葉たちに心打たれた。


『未来を信じて生きること』
『すべてのことが必然におこること。この事故もこの体になったことも必然と思えてきた』
『記憶を失っても、生きた証を残すことはできる』



 私が私自身の人生に何を感じ、何を思うか。

 この映画、いや、GOMAさんの生き様にふれられたこと、この御縁、おかげさまです。


【参考資料】『フラッシュバックメモリーズ3D』映画チラシより

平成26年度 光寿会実践事例発表会

2015-01-29 12:52:06 | 日記
昨日は、光寿会の実践事例発表会の日。
介護現場から3つ、栄養士・調理から1つの発表があった。

昨年度までは、研究発表という形をとっていたが、それだと研究時期に力は入るものの、継続性に中々結びつかないということから、実践事例の発表へとシフトしたのである。

実際の現場での取り組みを言葉にし発表する形であれば、研究のために余計かかっていた時間は緩和され、実際の動きをそのまま見直したり検証したりすることにつながるし、なにせケアの見える化につながることで、士気も上がるのではないかというねらいがあった。

実際、発表を聞いた職員の中から、


『去年までよりずっといい発表だった。』
『どれもすばらしい。普段から、いろんなことをやれていると実感できた。』
『がんばりと工夫に涙が出てきた。』


などなど、多く聞かされて、グッと気持ちが高ぶった。


エントリーのチーム名と中身をご紹介すると、

①チーム名 『風呂浪漫(ばすろまん)』〔特養・介護〕
⇒テ ー マ 『個浴の実践』

②チーム名 『脱・オムツプロジェクト』〔特養・介護〕
⇒テ ー マ 『排泄から産まれた様々な変化』

③チーム名 『The 調理』〔特養・栄養士〕
⇒テ ー マ 『お年寄りの嗜好に添った食事づくり』

④チーム名 『はるか』〔小規模多機能〕
⇒テ ー マ 『〝誰も帰って来ない…〟〔地域の理解と協力を得ながら〕』


どれも、日頃の工夫と努力、意識の高さを感じるものだった。
特にも、実践できていることだけではなく、足りない点や今後の改善すべき課題をあげたチームが圧勝で最優秀賞を獲得した。

お年寄りの気持ちを中心として、普段のあたり前のケア〔食事・排泄・入浴等々〕に取り組むことが個別ケアなんだと改めて実感しているというような発表もあったり、質疑応答では、旬の食材の提供は季節感へのアプローチでもあるから、この辺で言うと、ハタハタという骨の多い魚やお年寄りたちが大好きなモチを、もっとソフト食を活かして提供できないものかという意見交換も成されていて、とても頼もしくその場で拝聴させていただいた。

人手が少ない状況下でもこの日に照準を合わせて、忘れそうになる志しにも触れながらも、それでも工夫し一丸となって個別ケアを創っていこうとする発表は、発表会のための発表ではもはやなく、これからの私たちの関わりと暮らしをよりよくしようとする現場の風そのものだった。

ありがたかった。

また、できること一つずつ始めよう。

おかげさまです♪

理想像を創りあげているもの

2015-01-28 12:55:58 | 日記
数日前の『あさイチ』をたまたま見かけたとき、『良い母親像との悩み』みたいなことを特集していた。

働きながら子育てしている人に会った人は、専業主婦の自分をくすんでいると感じていたり…。
キャラクター弁当を上手に作ったよ…という他のお母さんのブログを眺めては、できていない自分をダメだと思っていたり…。

番組の中でも言っていたけれど、『子どもよりも自分がどう見られているか』に捉われ過ぎていはいないかという指摘もあった。

その良いお母さんの理想像をつくりあげる、比べて評価しているものとして、一番影響力〔だったかな!?〕あるのは何か?というアンケートを世間のお母さんたちに聞いたというものがあった。

誰なのだろう!?

一番と言えば、姑さんなのかな?ママ友なのかな?

そう思っていたら、そのアンケート結果は、


『自分自身の価値観』


だったのだ!

結局のところ、良いお母さん像をつくり、苦しさの根源となっていたのは、自分自身の中にあったという答えを、過半数の方が答えていた。

これには、何かある意味安心させられた私。

いかなる時も、外に問題があるように思ってしまう私という存在。けれども、最も気にしているのは私であり、外に向いた価値観であった。
自分の気付かぬうちに凝り固まった私自身の価値観に気づけたのなら、フッと楽になれる瞬間が与えられる。


私は私でいい。。。

簡単にそうはなれないし、そればかりではいけないときもあるけれど、それでも、苦しみの根源を自分の中に見出せたとき、今までと同じ一歩かもしれないけれど、今日の一歩、また一歩踏み出せるのだと思う。

やっぱり私は、私のままで今日も歩いていこう。

碧祥寺親鸞教室はじまりました♪

2015-01-26 12:25:32 | 日記
四番目がインフルエンザとなっていたり、お葬式があったりと、落ち着かない週末を過ごしていたため、またもタイムリーではないのだけれど、去る1月24日の土曜日は、碧祥寺の親鸞教室が開幕いたしました。

登録は67名もの方にしていただいたが、様々な諸事情で欠席もやむを得ず…。
それでも、第一回目は当日飛び込みの方も数名含めて47名の方々がお見えになり、その他にスタッフとして5名のお寺さんたちが駆けつけてくださって、真冬の本堂がとても賑々しくて、とっても嬉しい気持ちで過ごしておりました。

碧祥寺親鸞教室の年間テーマ(ある意味スローガン)は、

『そうだ!お寺にいこう。 ~心の荷物を降ろす場所~』

と題して進んでいきます。


気軽に立ち寄ってみたくなるお寺へ…
心の荷物を降ろしにこられる場所へ…
等身大の自分を大事に温めなおせる時間を…


私たち、お寺に住む人間の努力や姿勢も勿論だけれど、それだけでは成し遂げられないこのスローガン。
皆さんにこの教室を通して足を運んでいただきながら、皆さんと一緒に、そういう場所を創造していきたいと願っています。


毎回来られなくてもいいんです。
ぜひ、一回でもいいので…遊びにいらしてくださいませぇ♪

碧祥寺親鸞教室、はじまりました♪

あの日の自分に重ねて…

2015-01-24 23:14:29 | 日記
昨日は、盛岡市の見前地区保健推進員さん主催の『こころの健康づくり講演会』にて講演させていただいた。

先方からいただいたテーマ、

『ふと思う 今考える 自分が死んだとき』

という、これまでの死生観関係の講演とは、少し論点が違うものだったため、あれこれ新たなものも想像しながら、めずらしく頭の中であれこれシュミレーションして臨んだ講演会だった。

中学生だった頃、両親からすすめられた本を思い出した。

『子どもたちよ、ありがとう』

という、41歳の若さで、癌でお淨土へと往かれた女性の手記。中学生の頃、父・受宣さんの法話を拝聴したとき、この本を受宣さんは泣きながら朗読していた。
それを聴きながら、感銘を受けつつ号泣した日の自分を思い出していた。

今、あの頃の受宣さんの年齢となり、同じ部分を朗読させてもらって。。。

結果、号泣しながら、読めない状態になってしまったあの頃の親父の姿とおんなじ自分がいた。
あの日の受宣さんと自分自身に遇えた気持ちでいた。

講演は、半分も食べ残し、テンポも悪くって、全く納得いかないものだったけれど、それでも、聴いて下さった多くの皆さまに、「よかったよ。」と言っていただけて…。

私のほうが、やっぱり……

おかげさまでした。

食と命を探求…からの災害対策を学んだ日

2015-01-22 05:53:18 | 日記
昨日は、JAいわて花巻女性部北上地域支部・西和賀地域支部リーダー研修会にて、講演させていただいた。

この研修会の全体のテーマが、『地産地消と伝えたい食農活動』とされていて、講演の後には、各支部が腕によりをかけて作ってきた料理を皆さんと一緒に味わい、研究するというものだった。

私は食のことや農業のことで語れるものってほとんどないので、食・生きるということの根本的・基本的考え方やありがたさに言及した小一時間となった。

皆さま喜んでくださって、その後の食事がまた美味しかったものだから、すっかり満腹になって笑顔にさせられていた♪

おかげさまです。


一旦、光寿苑に戻り、午後からは西和賀町社会福祉大会に出向く。

今回の講師は、盛岡地方気象台の吉田さんという方。吉田さんの基調報告では、過去に発生した主な気象災害事例の詳細や被害規模の大きいもの等々、多くの事例を報告いただいた。最後は、西和賀町の積雪・降雪データについての説明などもあった。

二部は、パネルディスカッションということで、パネリストはその吉田さんと、平成25年夏に甚大な豪雨被害にあった雫石町社会福祉協議会主任の澤口文香さん、西和賀町役場総務課管財防災グループ主任の藤島和さん、若畑の里づくり委員会委員長の藤原輝夫さん、そしてコーディネーターに西和賀町社会福祉協議会事務局次長の廣田宏さんの5名によって繰り広げられた。

目新しい情報は大きくは特になかったけれど、どれも実践していることなど具体的だったので、改めて災害対策の基本と原点を考えさせられるいい時間となった。
殊に、災害時の自助の判断力と行動力、情報収集の大切さを実感した。

実際に起こったら…その災害の種類や規模によっては、災害ボランティアセンターのあり方や場所の設置も役割分担も変わってしまう。さまざまな想定をしながら、シュミレーションのディスカッションをしたい!と、悪い癖の一人で燃えながらの帰路となった♪

おかげさまでした。

新たな私と出遇っていこう

2015-01-21 06:12:36 | 日記
昨日は、20歳の若さで病気のために急に往ってしまわれたYくんの49日満中陰法要の日を迎えた。

いつものごとく、私には何も語れるようなものはなく、ただ精一杯、お勤めをし、少しだけご法話させていただくしかなかった。

ただ、この度、最初の枕勤めにあがった際、お父様とお母様からお聞きしていたことがあり、そのことから私なりに考えたことを実現できたことで、一つの安堵する時間となっていた。

それは、太田祖電前住職と二人で、この満中陰をお勤めすること…だった。

実は、お父様とお母様からお聞きした話とは、Yくんが小学校高学年のころ、こちらのご自宅でご法事があった際、祖電さんのお勤めのマネをしたり、『サインください』とせがんだことがあり、祖電さんも、


『大した子だなぁ♪』


と喜んでいたのだと言う。
『そういうおもしろいところのある子でした。』と、周囲の方からもお話を伺い、ご逝去から3週間過ぎたころ、祖電さんに話したところ、『行く!』と言ってもらえていたので、短い時間ながら出向かせていただこうと計画していたのである。

体調もよく、吹雪にもならない天気のおかげで、実現の運びとなった。

皆さん、『よぐ来たごどぉ…』と喜んで声を掛けてくださっていた。
『こんな寒い時期に、何もそこまでしなくても…』と思う方もいらしてもおかしくはない。当然あり得る考えだと思う。

それでも、Yくんとの関係と記憶、そして、ご家族とのこれまでの中で、この選択は私の中で必然のイメージだった。
もちろん、祖電さんの気持ちと体あってのことだったけれど、なにせ、ご家族が喜んでくださったことで、祖電さんも感無量の面持ちだった。


御斎〔おとき…食事〕の席で、Yくんのお母様がおっしゃった言葉が、また心に残った。


『悲しいことだけど、それだけじゃなくて、また新たな心境に遇ってるの。

時間が解決するということはないと思うけど、時間の経過と共にいろんな気持ちになったり、変化していく気持ちと一緒に生きていこうと思っています。

ちょっと前に、東京でYと二人で電車乗って、吊皮持って立った時、

「母さん、白髪あるぞ。」

って言われて、染めたらいいかって聞いたら、『うん』って言っていたから、私、老けてられないって思って。今度、遇う時にも驚かれないようにしておきたいと思ったの。』


微笑んで言ってくださったお母様の瞳の奥のYくんのこころを感じていた。

また、ここからも私にもご一緒させていただければ…。

周波数

2015-01-20 18:36:59 | 日記
昨日、ある方が、


『分かる人に見てほしいと思って持ってきました。
周波数の合う人じゃないとわからないし、きっと宣承さんなら大事にしてくれると思って。』


と、その方にとっての大事な大事なものを持ってきてみせてくださった。

それが何なのかはここでは触れられないので、とっても分かりにくい話になってしまうけれど。。。

とてもありがたい言葉だったし、他の誰でもなく、私のところに持ってきてくださった心。。。坊さんという立場があるから…それは間違いなくあると思う。

でも、私は気の利いた言葉もお伝えできないまま、ただ、それを拝見させていただいて、その物の奥深さと感受性の豊かな世界に絶賛するだけだった。

それでも、そんな程度の私なのに、


『見てもらってホッとしました。』


と言ってくださったその方。

いや、むしろ、その方の感受性の豊かさと周波数の幅の広さ、解釈の深さというものを感じさせられたことは、私にとってありがたい時間だった。


こうして坊さんはまた、育てられていくのですね。

おかげさまです。

Cばっちゃんを想う

2015-01-19 18:22:08 | 日記
 今年、早くも3人目のお年寄りのお見送りとなった。

 先日は、数え100歳のCさんが往った。初七日が過ぎたところで、お葬式で贈らせていただいた言葉をここにつづらせていただく。


 御 礼 の 詞

 気づけば、あっという間のお別れに、ご家族皆様にも最後のときに逢わせて差し上げられず、私たちの中にそのことが気がかりとしてあるのが、今の気持ちであります。それでも最後の日となってしまった1月12日には、娘様・Tさんには何度も何度も足を運んでいただいて。意思を伝えることはできなくなっていらしたけれど、それでも、Tさんの存在感は、Cさんの中にしっかりと感じとっていらしたのだと、勝手ながらですが、そう思っていた時間でありました。

 Cさんの光寿苑での暮らしが始まったのは、2012年師走でありましたから、丸2年が経過していました。現在の状況がわからないというような認知症状をお持ちではありましたが、それをものともしないほど明るく笑い飛ばしたり、時に関西弁を使って冗談を言っては、私たちを笑顔にしてくださるCさんでありました。
 Cさんとの関わりの中で、普段着のCさんとして忘れられない言葉といえば、私たち職員の手を誉めてくださる言葉でありました。ふと私たち職員の手や腕を見ては、


『あらぁ、キレイな手ねぇ♪』


と、シゲシゲと手を誉めてくださるものだから、何となく初めは恥ずかしいような気分でもありましたが、いつからかは、そう誉められるのが嬉しいような気持ちに変わっていてね。自分自身では思ってもみないことであっても、笑顔で誉めるということが、いかに人を幸せな気持ちにさせることか、いかに場の空気をやわらかくしてくれるものなのかと、改めて私たち職員は教わる時間でありました。

 そして、Cさんと言えば、本当に品のある可愛らしい笑顔。大先輩に対して不躾な表現だとは思いますが、周囲をホッとさせてくださるその笑顔は、Cさんと関わるすべての人たちの宝物でありました。
もう一つ忘れられないのが、2年前の真冬に施設内で鍋パーティーをやった夜のこと。初めは、『お酒はきらい』と言って飲もうとされなかったCさんでしたが、宴が進むにつれてビールをお飲みになってね。あまりに飲みっぷりが良かったので、にごり酒を勧めたら、それも美味しそうにサラッと飲み干したCさん。


『昔だば、二合くらいは飲めだよ。』


とケロッと言い放ち微笑まれた貴方のほほ笑んだ表情が今でも鮮明に残っています。

 そんな貴方も、ここ最近は体調がすぐれないことが多くなってきて、その度にTさんや旦那様・Sさんは、足しげく出向いてくださっては、Cさんに思いやりもって接し続けてくださいました。それはCさんにとって、本当に心強いことだったことでしょう。

 昨日、子どもさまたち8人が一堂に会して会いにいらしてくださった時の写真を見返していました。和気あいあいとして、どこか安心したような写真の中のCさんのやさしい顔を見ながら、改めてS家の皆さまのあったかい空気を思うのでした。
おかげさま。              

 合 掌