宣セーショナル

宣承をひらく

トンネル

2010-10-31 07:13:48 | 日記
 初めての長いトンネルに入ると、『いつ終わるんだろ?』と思う。終わりを知っていればこそ、何とも思わずとも、いつ終りが来るか分からないトンネルは、やはりつらい。
 『仕方ない、受けてたとう!』と決意しても、『もうそろそろ終わりかな?』と少しでも思ってしまってしまうと、まだそのトンネルが続いていると分かった時のため息は、本当に深いなぁって感じる。

 この繰り返しの終わりの見えないトンネル。終わりそうで終わらない、一瞬、期待しては、また、一瞬にしてあわい期待は消えていく。


 所詮、人生、自力ではどうにもならないのだということを、教えてくれているのでしょうね。

重い空気は〝大切だった人〟の証拠

2010-10-30 16:38:49 | 日記
 昨日、偉大だった方のご葬儀が終わった。

 二週間前、奥様の葬儀を出したばかりだったが、周りは口々に、

『悲しいけれど、仲良かった夫婦だから…。』

 と涙しながら語った。その偉人は、近親者たちに、〝人の心〟というものがどんなものかを残してくださった。


 偉人は、奥様のご葬儀中、点滴を打ちながら奥の間で見守っていらした。
 偉人は、町に数々貢献しながらも、軽々しくその功績を口にしなかった。そのため、昨日の〝町長弔辞〟を拝聴するまで、身近な人さえ、そのすばらしき功績を知らず驚かされた。
 偉人は、ご自身が命懸けの大変な状況にありながらも、『ご住職のお身体、どうぞお大事に。』と、他人のことを気遣って下さった。
 偉人は、幼かった孫世代の人たちが口をそろえて、『育ててくれた。心を教えてくれた人』と言わしめさせた存在だった。
 偉人は、闘病生活の長かった奥様を最期ちゃんと看取ってから、すべてをきっちり繋いでから子供たち世代にバトンタッチなさった。


 空気の重いご葬儀は、寺の人間としても精神的緊張度は極めて高い。
 でも、ご一緒させて頂けたことで、本物の〝人の心〟に出遇えた。そして、それほどの偉人は、孫世代まで、きちっと心を繋げてから往生なさった場面に遇わせて頂いた。


 おかげさま。

頼もしき弟よ

2010-10-29 06:58:01 | 日記
 わが弟が、このスケジュールを前に、お参り助っ人として今夜、帰って来てくれる。土日のお勤めを手伝ってくれるというのだ。ありがたい。

 弟・宣明(せんみょう)は、ご葬儀を務めることはできないものの、ご法事を務める資格までは持っている。…とは言え、ペーパードライバーに近い状態で10年以上もいた中では、ご法事を務めることも簡単なことではないのである。その中で、先週の土日、ついに三つのお勤めを一人で全うしてくれた。しかも法話集を片手に読み上げる形ながら、ご法話までの完全バージョン。

 さすがに、お亡くなりになって直近のご法事は重過ぎるとして、○回忌というお勤めを担当してもらうのだが、それでも、ご家族の気持ちに寄り添うご法事と言う機会を代行してくれるというのは、容易なことではない。本当に感謝の念に絶えない。

 おかげさま、宣明くん。


【追伸】誤解のないように申し上げますが、弟が、西和賀に帰ってくる決意を固めた!?…というわけではございませんので、プレッシャーだけはお掛けにならないようにお願い致しますです。

『忙しいです。』と言ってしまった一日

2010-10-28 21:33:38 | 日記
 普段は、『忙しいでしょ?』と聞かれても、『時間ばかり無くなりますね。』くらいにして、〝忙しい〟とは、あまり口にしない。忙しいなんて、自分自身がいっぱいいっぱいの感じがするし、相手にも聞こえが良くないだろうから。『これぐらいで、忙しいなどと言ってられん!まだまだこの程度!』と言い聞かせている。

 けど、昨日から今日に掛けては、ついに『忙しい。』『疲れました。』とポロリ。。。
 こんなハードな日も滅多にないから、『疲れ』を感じ始めた時間から記録しておこうと思った。


 27日夜   紫波町のにいやま荘さんで、『看取り介護』の講演。
 28日朝   起きてすぐ、来月の勤務割りの仕上げに取り掛かる。
 8:30    出勤⇒勤務割り印刷し配布
 9:20~40  花巻市の民生委員の方々視察により、光寿苑の説明
 10:00   太田地区の方の49日法要&納骨〔雨も手伝って大幅に時間が押す事態に…〕
 11:02~  大野地区の方の35日法要&納骨〔前者のオーバー分も含めさらに時間が押す…〕
 12:08~  飯豊地区の方の35日法要&納骨〔前者のオーバー分も含めさらに時間が押す…〕
 14:30~17:00  花巻市のこぶし苑さんで対人コミュニケーションについての研修会参加
 18:00~  自宅に戻り、納骨に向かうための準備
 19:00~  川尻にて納棺~お通夜のお勤め
 20:30~  光寿苑にて月末支払のための決裁
 21:00~  自宅に戻り、明日の出棺~葬儀までの準備、そして今に至る。。。


 ほぼ、上に記載した以外の時間は車での移動だったわけで、ゆとりが全くない24時間だったわけで。雨で寒かったことも手伝って体力が奪われたこともありました。朝と昼の食事時間も10分弱だったわけで、すんません、『疲れたぁ~』と叫ばせて頂きました。


 さてさて、明日は、大切な方々の出棺・火葬・ご葬儀。ギアを入れ直してがんばっていきます!
 おやすみなさぁ~い♪

ただただ…②

2010-10-27 22:05:55 | 日記
 今日も、時間の許す限り、ただただ傍に居ようと心に決めて訪問した。

 そしたら、色んなエピソードをお話し下さった。嬉しかった。その中で、目を落とす瞬間に誰も間に合わなかったというお話があった。
 すかさず、僕は言った。


 『最期にみんなが寄り添えれば、それは幸せだと思います。でも、間に合わないこともご縁です。これまで、一緒にいらした濃厚な時間、私は知っています。それが何よりの、○○さん(亡き人)の幸せな時間だったと思いますよ。それだけ、皆さんは寄り添われてきたから……。』

 
 後は、一緒にただただ、言葉もなかったが時間を共有させて頂いた。特段、言葉のない中に、確かな亡き○○さんの温かい心を感じていた。


 ○○さん、道しるべをつけてく下さって、おかげさまでした。
 僕も、精一杯、アナタの繋いでくださったお心に、お応えしていきたいと存じます。 

ただただ…

2010-10-26 22:38:24 | 日記
 悲しい出来事が続いてしまった人を前に、何も言えなかった今日…。

 今、自宅で振り返っても、たとえ、今、もう一度同じシュチュエーションであったとしても、やっぱり何も言えない。そう思う。

 ただできることと言えば、一緒に、その場に居て、ただただ、悲しみの涙を感じることだけだ。僕には、それしかできない……そう思った。ふと、


 『笹原さんだったら、温かく包み込んでいくんだろうなぁ。どうするんだろうなぁ。』


 …って考えた。笹原先生は、やっぱり達人である。
 でも、僕には、ただ傍に居て、ただただ、悲しみの気持ちを感じようとする、それしかできないのだと、やっぱり思う。

「まんさく130号」が『アイデア賞』獲得しました!

2010-10-23 07:15:04 | 日記
 「まんさく130号」が『アイデア賞』獲得しました!



 いやぁ、嬉しい。この賞の出処は、全国福祉施設協議会の『広報コンテスト』によるもので、毎年開かれています。今年は206部の応募の中からのベスト7選出。先日、賞金とでかい賞状と受賞作品パンフレットがドドンと届きました。
 総評をそのまま転記しますと、


 〔アイデア賞〕特別養護老人ホーム光寿苑「まんさく」(岩手県)。モノクロ、手書き主体でレトロ感を出している。表紙に降りしきるぼたん雪の中を疾走する雪見橇(そり)。風防付きで学生が引く“命のリレー”に利用者も童心に返って満足そうだ。方言も楽しいが、惜しむらくは縦組みと横組みの混在が煩わしい。


 …ということは、縦組みと横組みの混在が無ければ『きっと最優秀賞だったんだな。』という負け惜しみを、施設内で語っております。しかし、うちの広報紙がレトロ感を出していたとは新発見。これからは、この線を伸ばせばいいのかな?
 しかし、1999年5月から毎月欠かさず送り出してきた手書きの『まんさく』が、このような形で評されたのは、本当にうれしいのです。他の受賞作品をみても、カラフルでデザインは業者委託の完成度の高いモノが多い中でね、手作り新聞の受賞。いやぁ、嬉しい!!!


 来年は、頂点目指します。読んで下さっている皆さま、おかげさまっす。

松本人志という人

2010-10-22 06:43:18 | 日記
 復活したプロフェッショナルで、お笑い芸人の松本人志さんが映し出されていた。
 天才、カリスマと呼ばれ、それゆえに、立ち止まれない孤独の辛さ。
 こんなことをおっしゃっていた。

 
 『笑いのうらに、悲しさがある』
 

 笑いを追求するゆえの表裏一体の感覚。しかし、辛くとも、その歩みを止めない。


 『過去の笑いを、捨て続ける』


 この精神力こそ、松本人志を松本人志たらしめる、あの想像を超える既成の枠を超える発想力を生み出すのだろう。


 お笑いの世界観だけのことではなくて、どんな分野にも生きる感性なのだと、心より大切に感じさせられた。

表裏…

2010-10-21 18:37:41 | 日記
 体験してみなければ、見えてこないことはいっぱいある。
 けれども、
 体験してしまったからこそ、見えなくなってしまうものもいっぱいあるのだろう。


 前者は現実的観点
 後者は感性からなる想像&創造的観点

 
 そんなところだろうか。


 どちらにしても、進んだその先の自分は、どちらであっても自分に変わりはない。
 どっちに転んでもおかしくなかった自分の中で、どっちの視点の可能性もあったであろうことを忘れたくない。

プロセス

2010-10-20 22:36:11 | 日記
 今まさに、あるご家族の接遇について、行政とTさんと光寿苑とが、悩みまくっている。対応しても考えても、ゴールを見据えることさえ今はできない。どこに向かうのか分からないまま、あきらめない断らない気骨を持つ現場職員のいる光寿苑は、またもや厳しい状況に向き合うことにした。どれだけ大変でも、行き場のない人を見捨てられないすばらしき人たち。

 こんな職員がいてくれて、本当に僕は幸せである。

 そしてもう一つ嬉しいのは、包括支援センター&保健福祉課&医療保健室の職員さんたちが、喧々諤々としながらも、答えの見えないこの一件のために、本気で考えぶつかっている。そして、ケアマネTさんもまた心配して心配して向き合って下さっている。大変な一件なのだが、『ごめんなさい。』って言いたくなる一件なのだが、その皆さんの必死の姿に、黙ってはいられないのである。その姿が、このプロセスが嬉しいのだ。

 緊急会議が昨日は2時間半、今日は3時間、さらに明日も何時間あるやら……。出口の見えないこの一件。どう転ぶか分からないし、楽観的なブログに見えるかも知れないけれど、ため息ばかり出てしまうこの一件に必死に知恵を振り絞る人たちに、みんなの喜びが補償もされていないこの一件に立ち向かう人たちに、拍手を送って欲しい。

 そして、役場職員の文句ばかり言っている人が居るとしたら、どうか、この姿勢を知って欲しい。
 少なくとも、今、目の前にいる福祉系配属の方々は、本気でこのプロセスに気をもんで向き合って下さっているのだから。


 おかげさま。