宣セーショナル

宣承をひらく

北海道13組青年研修会にて

2014-06-29 13:12:45 | 日記
昨日、大恩寺さまの報恩講さんを無事終えて、そこから2時間先のサブのお寺を目指した。

途中、光寿苑から緊急連絡。お年寄りのお一人が急変してドクターも対応に当たってくださっているという中身だった。
ただただ、生きていて欲しい…そう願いつつ車を走らせた。

小一時間して、戻れなかったとの連絡が入った。

元気だった人との急な別れは、きつい。。。いろいろ教わったおばあちゃん。

ありがとうございました。


さて、所は変わってサブのお寺『士別市の教証寺さま』へ。

北海道13組で年2回行われているという青年研修会にてお話しさせていただく。
テーマは、

『東日本大震災からのメッセージ』

皆さん、真剣に聞いてくださった。始まってからしばらく、聞いてくださっている対象者が、坊さんたちとその奥さんたちだとばかり思いこんでいたのだが、半分の方は、それぞれのお寺さんが誘ってきたご門徒さんだったり同級生の方たちだったりと、幅広かった。

こう言う感じで若者が本堂に集える仕組みと雰囲気は素晴らしい限りである。

いい空気の中で、ちょっとしゃべりがダラダラ過ごしてしまい、伝えるはずの中身を随分割愛してしまった。
残念な講師にもかかわらず、皆さん、良かったと口にしてくださるのだから、ホントやさしい。。。

気分よく、懇親会はまた全力疾走してしまった(笑)


さてさて、本日からの報恩講さん、しまって行こう!!!

江別市大恩寺さま報恩講さんにて

2014-06-28 15:33:57 | 日記
昨日より、北海道江別市にあります大恩寺さまの報恩講でご法話を4座、務めさせていただきました!

いや、昨夜の夜の宴の部を合わせると5座!?(笑)
一番ハードだったのが、宴の部だったような(笑)

北海道の報恩講は、このようにかなり早い時期に行なわれるところもあります。おかげで今年は、うちの報恩講の秋と合わせて二つの時節に親鸞さんの報恩講がお勤めできる嬉しい年になりそうですね♪

大恩寺さまは、13年目と言う本当に新しいお寺。新しくご門徒さんになってくださった方が多くて、お寺さんもご門徒さんも一緒に仲良く聞法の道場を築き上げている雰囲気がとてもステキでしたね♪
うらやましい限り!

こちらのご住職と言い、坊守さん(奥様)と言い、子どもさんたちと言い、とっても気持ちの良い、すんません、こんなこと言うのもなんですが、私の好きなタイプの方々で、居心地良かったぁ♪♪♪

すっかり坊さんの初心を思い返させていただきました♪
元気出てきたぁ♪

さてさて、今夜は士別市に移動して、サブのお寺で青年研修会。
エンジン再始動でがんばれます!

どなたかいらっしゃいませんかぁ!?

2014-06-27 16:38:59 | 日記
生きていれば、予想だにしないことが起こるものですね。あれこれ体験してきたほうだと思っていますが、それをも越えることが重なって起こるとは…(笑)…もう笑えてきます。

…ということで、介護の職員となってくださる方、あるいは一時的でも部分的でも結構ですのでお手伝いくださるかたぁ、どなたかいませんかぁァァァ!?

待って待って、待っておりまぁ~っす!!!


さて、そんな中で心苦しくもありますが、お役目のため北海道に参りますた!

本日より北海道講話4日間!!!

気張ってきやっす♪

第6回専福寺親鸞教室『お葬式を考える』

2014-06-26 12:59:11 | 日記
昨日は、第6回専福寺親鸞教室の日。

今回は、お葬式のあれこれを考えるため、前々からスタッフ練習も繰り返されてきた『寸劇』披露の日でもある。
最終チェックも含めて、午前10時に本堂に集合し、練習に励んだ仮設劇団員。笑いを取り入れながらの芝居づくりは、練習の時点から和やかな雰囲気で進んでいった。

本番!

練習不足でペーパーを見ながらの芝居だったが、観ている門徒さまたちも、伝えたい意図や中身は理解してくださった面持ちでいらした。

芝居後は座談へ…。

さまざまな質問や風習が出された。


『他宗派が圧倒的に多い地区なので、自分たちも真宗の作法を知らないことが多かったこともありその作法になってしまう。』

『葬儀屋さんが強いため、そのまま言われるままに葬儀に臨んできた。』

『昔の土葬の名残もあり、未だに参列を組んで歩いて移動するなどある。』

『身内が亡くなったら、まず御寺さんに連絡したいけれど、真っ先に葬儀屋に連絡せざるを得ない。
(病院や施設で息を引き取ることが多く、その移動のためにどうしても葬儀屋への連絡が一番になる現情)』

『住職が足しげく通って、葬儀屋や強い親戚たちにはちっと説明するようにがんばってもらえれば、浸透していくのではないか。』


最後はこれらをお聞きした上で、まとめの講話をさせていただいた私。

改めて、坊さんがしっかり足を運び、丁寧に耳を傾けながら、その家その家それぞれの儀式を一緒に創らせていただく大切さを切に感じた時間だった。


おかげさまでした。

鹿児島の母語る

2014-06-24 12:54:29 | 日記
 鹿児島に住んでいる私の母は、ニュースを観ては、時折熱き、熱すぎるほどのメールをくれます。句読点もないのが特徴的ですが…(笑)。

(原文)

安倍総理のやり方に疑問を持たない国民が多いのは戦後教育を受けた私達60代が平和憲法が出来た意味を子供に伝えて来なかった責任かも知れませんね経済の為なら福島の事が有るにもかかわらず原発を国外に売りこんだり武器を売る為自衛隊に防衛なんてきれい事を言って憲法を変えようとする危険を考え無いとは…私達は日本は未来永劫戦争とは無縁の国だと安易な気持ちで日々暮らして来た60代の半数は家族の為に集団就職したので子供は勉強させてやりたいと思う気持ちが働いて稼いで子供を高校大学に入れる事だった一生懸命だった方向が間違ってたのでしょう今が日本は戦後一番危機だと云う事を国民政治家が知って平和な日本に帰るにはどうすれば良いのだろうと毎日考えていますが解りません



以上の文を、以下のように少し読みやすくしてみました。

(手直し)

 安倍総理のやり方に疑問を持たない国民が多いのは戦後教育を受けた私達60代が平和憲法が出来た意味を子供に伝えて来なかった責任かも知れませんね。

 経済の為なら福島の事が有るにもかかわらず、原発を国外に売りこんだり武器を売る為、自衛隊に防衛なんてきれい事を言って憲法を変えようとする危険を考え無いとは…。

 私達は、日本は未来永劫戦争とは無縁の国だと安易な気持ちで日々暮らして来た。

 (現在の)60代の半数は、家族の為に集団就職したので、子供は勉強させてやりたいと思う気持ちが働いて、稼いで子供を高校大学に入れる事(が目指すべき方向だという考え)だった。

 一生懸命だった方向が間違ってたのでしょう。

 今が日本は戦後一番危機だと云う事を、国民政治家が知って、平和な日本に帰るにはどうすれば良いのだろうと毎日考えていますが、解りません。


 母の言葉に息子がなんなんですが、グッと熱いものがこみ上げてきている今日この頃です。

光寿苑のゴッドマザー往く

2014-06-23 18:25:58 | 日記
 昨日、お葬式のあった光寿苑のおばあちゃんに手向けた弔辞みたいなものをそのまま掲載したいと思います。


 御 礼 の 詞

 『苑長さぁん、介護保険になって、年寄りの環境が変わるって聞いだども、良ぐなるのか悪ぐなるのか、世の中の事、教えてくだしゃい。』


 私が光寿苑に勤め始めてまだ2~3年の頃は、介護保険が始まったばかりの頃で、社会福祉協議会様の『声の広報』等で激変する福祉現場の情報を得ていたKさんは、私が出向くと、よくこのような質問をされたものでした。
 それが栄養士であれば食事の質問であり、事務職員であればお金のこと、介護職員であれば生活そのもののことなど、相手によって質問を変えていた貴方の姿が思い出されます。

 光寿苑が始まったのが昭和53年4月5日、Kさんが光寿苑にいらしたのは同じ年の4月6日ですから、暮らしは、何と36年3ヶ月となっていました。まさに光寿苑の顔。

 目が不自由でいらした分、耳がいのちだったKさん。私たちの声を全部聞き分けていらっしゃいましたね。まだ20代だった頃の私などは、Kさんに苦言を呈されてからかわれては腹を立て、笑われていたことをよく思い出します。
 腹を立ててしまったそれから数日後には、亡き私の父のことやお寺の良いところなどを言ってくださって、気づけば、数日前に腹を立てていたこともすっかり治まっている。

 その度に、Kさんは私たちの性格や人間性をよく知っていらしたのだなぁ、上手だなぁと思わされたものでした。光寿苑のことは、誰よりも熟知していたご意見番でありました。

 中身ははっきりとは申し上げられませんが、厳しくからかうようなKさんの言動の中には、

 『言葉だけにとらわれていてはダメだよ。本質を見なさいよ。』

 と言われていたのだと、今になって気づかされています。

 ここ数年のKさんは、威勢の良さはなくなり、すっかりあの厳しい言葉も聞かれなくなっていました。昔、日課だった歩行も病気してからできなくなってきて。それでも、『まだ歩がねば…。』と歩行練習を申し出られては訓練されていましたね。

 心身が弱っていらしてからは特に、甥様ご夫婦を頼りにしていらした日々。実の御子さん等のいらっしゃらなかったKさんにとって、本当に大切な存在だったことでしょう。

 そして、今、思うのです。

 甥様ご夫婦も私たち光寿苑職員も、きっとKさんとって本音をぶつけられる家族に成れていたのだろうなと。あの厳しい言葉も、その後に出てくるやさしき言葉も、家族としての想いが詰まっていたのだと気づかされたのです。

 長い時間、光寿苑を見守り、愛して下さって、心よりおかげさまでした。



 これがKさんへの思いでありました。

 Kさん、最期まで医療行為をご自身で選ばず、最期の瞬間も見定めていらしたのではないかと思うほど、常に自分らしく全うされた96年。

 歴史がまたひとつ、幕を閉じました。

 おかげさまでした。

盛岡赤十字病院退職者柞の会にて講演会

2014-06-22 22:35:49 | 日記
今日は、朝から夕方のお葬式での弔辞づくり…。光寿苑の歴史でもある36年3ヵ月もの時間暮らして下さった方への弔辞だけに、たくさん思い出があって中々まとまらず苦労した。

やっとのことで書き上げて、一路、講演会場のホテル東日本へ…。

盛岡赤十字病院退職者『柞の会(ははそのかい)』総会での講演だった。
実は、去年もご指名頂いたのだが、日程が合わずにお断りしていたのである。それでも根強くご指名いただき、今年の講演会へとつながった。

テーマは、


『こころの健康づくり
~生きづらくても生きる・こころの力~』


という、この度ご指名くださった植田さんが、以前どこかで講演させていただいたテーマを気に入って頂いていたそれに決まったのであった。

持ち時間40分…結果的には55分に延長いただいて、それなりに形にはなったのかなぁと、終わってからの皆様の反応に安堵したのだった。

汗だくの私。

その後、夕方のお葬式へと向かわせていただいたのだが、その中身につきましては、また明日♪

ではでは、おやすみなさいませ♪

超寝不足からの~講演ライヴ!

2014-06-21 09:03:36 | 日記
いやぁ、サッカーワールドカップのせいなんでしょうか。。。ブログの更新に時差が出てしまってますねぇ。

時差のせいなんですけど、一昨日のことを少々…(笑)。

夜中、光寿苑のお年寄りの急変対応が続き、車で行き来したりしながら、睡眠時間は1時間ほどでそのまま出勤していた。
頭がボーっとしていたため、午前中、また1時間ほど仮眠の時間をいただいた。ただ、興奮状態で、結局目を閉じているだけ…。

何とか凌ぎながら、夜の講演のため花巻市へと向かう。

向かった先は、花巻市社会福祉協議会さまの職員研修会。

職員数は270名。そのうち200名ほどの職員さんが参加なさっていた。
すごい人数に、私の開口一番は、


『えぇ、こんだけ職員さんいらっしゃるんだったら、一人ぐらいうち(光寿苑)に来てくれたいいんですけどねぇ(笑)。』


だったのだが、笑いは起ったものの、その後の問い合わせはないところである(笑)。

講演テーマは、


『福祉と掌を合わせる日常』


1時間という時間であったため、いつも通り食べ残し講演だったが、汗だくで走りきった。
皆さん、聞き上手の方々だったおかげで、寝不足ふらふらの講演も、とっても暖かい一体感に包み込まれながら、終えられたのだった。

その夜、2日間の寝不足だった私は、アルコール2杯飲んでいる途中で、眠りについていたのだった(笑)。

サイクルは、いまだ時差に影響されたままの本日♪

このご縁を誇りに思うから護りたいと願う

2014-06-19 17:23:49 | 日記
一所懸命、丁寧にその場を大事にして生きてくれる人を私は護りたいと思う。

一所懸命、丁寧にしていても、悲しいことや辛いことに直面してしまうのが人の生きる場所。

悲しきこと辛いことが重なるときがある。

それは人生の山場。

世の中のそれぞれの人生の交錯する中で、たまたま身近に重なり起こったこと。

直面してしまったとき、人生にまじめな人は、そこに『やれることはなかったのか』と自己を責めている。

そんな人たちと共に生きていられるご縁がありがたく、そして、誇りに思う。

誇りに思える仲間を、やはりその姿勢でいいのです…と護り抜きたいと思う。

視察受け入れからのまんさく仕上げ

2014-06-18 18:18:40 | 日記
今日は午前中、秋田県東由利地区民生児童員の方々が光寿苑の視察&講演拝聴にいらした。

一時間の時間の中で、民生児童員と介護事業所の連携についてのご質問や、施設の入居要件など素朴なご質問がされていた。
一個一個丁寧にお答えしていた最後に、参加者のお父様がおっしゃった。


『私、受宣さんの代の頃、よく研修に来させていただいた者です。
あの頃と、人も中身も変わったとは思いますが、大事にすべき考え方とか取り組み方は、一貫して尊厳ある福祉を大事になさっているのだなぁと感じました。』


先代から受け渡された光寿苑の存在意義と使命を、今一度思い返し噛みしめさせていただいた瞬間だった。

その後は、昨晩から取り組んでいた『まんさく182号』の仕上げの時間をいただき、何とか完成~納品となった。

昨晩は、1行書けば眠くなり寝て、またしばらくして起きて取り組む。また1~2行書いては寝てしまう…。この繰り返しを何度したことか。。。結果、思い切ってこの時間は眠る!って決めて寝た方が無駄がなかった気がするけど…。

何はともあれ182号、無駄なものは何もない!の精神で作り上げました!とさ。。。

はぁ、眠いぃぃぃぃ。。。