宣セーショナル

宣承をひらく

宮里藍さんおめでとう

2009-07-27 23:34:02 | 日記
 ついに、女子プロゴルフの宮里藍さんが、悲願の全米ツアーで優勝を果たした。実に渡米から4年。もがき苦しんだ光景を何度と見てきた。サイズからいって、世界で戦うにはあまりにもハンデがあった。
 しかし、今、見事にそのギャップを打ち破った。
 優勝インタビューでは、

『決して遠回りではありませんでした。私なりの時間の掛け方で辿り着いたと思います。』

 なんて素敵な言葉だろう。苦しかったこと悲しかったこと、すべての道のりをまるごと自分のものとして語る器は、優勝するにふさわしい器である。精神ステージの高い彼女だからこそ、その頂きにぜひ立って欲しかった。

 おめでとう、宮里藍さん。

別れから生まれる宝物

2009-07-21 00:01:31 | 日記
 『別れは出逢いの始まり』

 これはよく言われる言葉。別れがあればねまた新たな出逢いがある。
 僕の場合、大きな別れは人生で6つある。

 1つは、3年以上付き合ってた大学時代の彼女との別れ。

 2つ目は、大好きだったバスケット引退が試合に負けて終わったという別れ。

 3つ目は、生きる指標だった父・受宣さんとの死に別れ。

 4つ目は、大好きだった関西との別れ。

 5つ目は、母・文子さんが家を出るという生き別れ。

 6つ目は、一つ年下の叔母・雪絵ちゃんとの死に別れ。

 その別れがあったからこそ逆に出逢ってきた人は沢山いるし、人生の岐路にもある意味出遇ってきたことは間違いない。別れが僕を強くし、人にしてくれたことも間違いない。大切な人などとの別れがなければ、今の僕は決していない。


 そうなんだ。大切な人やものとの別れを通してしか出遇えなかった真の宝物は、自分という人間だった。自分自身に出遇えたのは、『別れという出遇い』があったからである。

 あらゆるご縁は、いつも、『お前自身になれ。ありのままのお前自身になれ。』と言い続けてくれているのではないだろうか。そう思う、今、この時間であった。

ライバルがいること

2009-07-20 23:41:44 | 日記
 自分がどうしても負けたくないライバルが人生のどこかでいただろうか?
 僕にはいた。

 今夜、さっきまで、『あの時、お前に出逢っていなかったら、今の自分はいない。』そんな番組をやっていた。顔も見たくないほどのライバルがいて、10数年後再会してお互いを認め合うというようなものが多く描かれていた。

 遇いたくないほど…という相手は僕には居なかったが、その番組出演者が語っていた『こけろ!俺だったら勝てる!』というような心境になった相手は確かにいた。

 僕の場合は、勝負の世界ではなかったものの、ライバルだとハッキリ自覚していた。相手の人は、そうではなかったとは思う。けれど、僕にとってはそうだった。

 その人が存在してくれたおかげで今の太田宣承があるのは間違いない。彼にはなくて自分はあるものは何か探し続けた日々。懸命に自分のオリジナリティーを磨き続けた日々。あの頃は、自分が自分であるために!……ただそれだけだった。
 それが今、そんな自分のためだけだったような程度の意識がそのまま、この町を残したい、次世代の子供たちに繋ぐ世界を残したい、歳をとって身の回りのことができなくなっても『おかげさん』って純真な笑顔で言えるお年寄りの世界を創りたい……自分を含めた多くの人や環境や未来をよりよく創っていきたい意識に変わっていた。

 そう、ライバルがいたから。彼との競争心が自分自身を確立させ、そして、自分のことだけしか考えていなかった小さい男を変えさせてくれた。


 思いっきり挑める相手、空間、時間……これを持つこと。たった一つでいいから、途中で投げ出さない、これだけは譲れない何かを持っていること。それは、最終的に結果に結びつかなくてもいい。結果を追い求めたプロセスがあればこそ、後に結果は違っても違う形で魂を燃やせる何かを見つけ出させてくれるんではないだろうか。

 ライバルは、志しある者の前に必ず現れるのだから。。。

 

愚痴の捨て場

2009-07-19 10:17:30 | 日記
 昨日、毎月定例の碧親会というお寺の勉強会があった。
 歎異抄八条を進めながら、今回のしゃべり場は、
『あなたの愚痴の捨て場は?』
というものでやってみた。
 そこで参加19名の方々から出た言葉。

☆旦那に聞いてもらう  ☆女房に聞いてもらう  ☆友達に聞いてもらう
☆酒を飲む  ☆寝る  ☆めちゃくちゃ働く  ☆車を飛ばす
☆釣りをする  ☆旅行する  ☆地団太踏む  ☆間をおく
☆誰もいないところで大声で叫ぶ  ☆お参りする

 様々出されたわけであるが、その中で結論的に出てきた言葉。

★結局、一人では解決できるものではなくて、人や自然環境などの力を借りて助けられている。おかげさまだよな。
★自分自身そのものが愚痴だと思う。だから愚痴はなくならないけれど、そんな自分を教えてくれる存在が居てくれることが幸せなことだ。

 参加の皆さんの言葉、とてもジーンときた。
 愚痴っぽい自分だということに気づくもう一人の自分がいるということ。『あぁまたやってしまった。』と客観視できる自分がそこにいる。それを知らせてくれるのが、周りの人や環境だということを確認し合ったやさしい時間となった。

 おかげさま。

Age35

2009-07-14 23:30:07 | 日記
 本日、あっさりと35歳になった。もうそんなになるんだね。

 20歳くらいの頃、ドラマで『Age35』とかいうのやってて、全く見たことはなかったけれど、主題歌がシャ乱Qの『ズルイ女』だったことだけはなぜかメチャクチャ覚えている。『デデッ、デッデデッ』で始まるやつね。

 あれから15年経つんだね。そう思うとビックリする。あの頃はバスケットばっかりやってたっけな。

 失ったものも沢山ある。手から離れていったものも沢山ある。でもその分、新たに手にしたものもまた沢山ある。

 後悔はない。失ったものも手にしたものもどれもご縁。良くも悪くも、今が事実自分自身だからね。

 失わなければ、決して遇うことのできなかった今がある。今日、見過ごしてしまった大切なものも、今から新たに出遇う大切なものも、自分自身の分別では測れないほどの重さがそれぞれある。


 今日、本当は休みだった。施設のトラブルで病院に行かざるを得なかった。そしたらたまたまプライベートのS先生にバッタリ他院で遇えた。

 何か、強いご縁を感じるのである。気のせいかも知れないけれど嬉しかった。

お医者さん

2009-07-13 12:21:20 | 日記
 現在、沢内病院には3人の常勤医師がいらっしゃる。どの方もすばらしく、医者としておもしろい方々である。
 その中でも、今回は関東出身のS先生について語りたくて仕方がない。S先生は、この5月にいらしたばかり。。。まだまだ土地に慣れていらっしゃらない様子だが、各医療機関や福祉事業所についてはかなり調べていらっしゃるようで、初めてお話しさせて頂いた時は、光寿苑の理念というか性格というか、概ねご理解くださっていて嬉しかった。

 先日、ある方のこれからについて、ご家族を含めて面談があった。大きな意味で終末期に差し掛かっていらっしゃるその方の方向性を話し合ったわけであるが、いくつかの選択肢があり、決断していくのは容易なことではなかった。
 個人情報が分かってしまわないように、詳細は書けないけれど、様々語り合った最後に、先生はこうおっしゃった。

【S先生】最後に私から一つ言わせて頂いて宜しいでしょうか。
これだけ多くの選択肢がある中で、一つを選択していくというのはとても難しいことです。実際、どの選択が正しくて、どの選択が間違っているか分かりません。
 ただ、どの選択が一番○○様にとっていいのか?…と子供さんが一生懸命考える、支えるというプロセスがすごく大事なことだと思います。
 選んだ道が良かったとか間違ったとか、後悔していく必要はないです。この考えるプロセス、最期の時間をどう過ごして欲しいか。
 割り切ってしまえば楽です。でも割り切ってはいけない。考えれば考えるほど難しい問題です。自分自身や身内の人が一生懸命考えること。人のことを一生懸命考えることが、自分のことを考えていることになっていくんだと思います。
正しい、正しくないということではないので。


 とっても感激だった。こんな温かい先生と一緒にいられることがありがたいのである。
 西和賀町の福祉と医療、再構築に向けて、気持ちが高ぶってきた。

看取り期に思う

2009-07-11 08:57:41 | 日記
 今回の看取りで改めて感じたことなのだが、残されるご家族にとって、どんな看取りが受容への糸口となるかいつも考えてきた。
 死の受容はみんな一様ではない。厳然たる事実を前に、腹をくくって受け止めようとする人。何が最適か模索する人。混乱し悲しみの淵に立つ人。それぞれである。

 だから、たとえば、この娘さんにとっては、お母様に付き添う看取りの時間が1日でもあればいいなぁ。。。とか、この旦那さんにとっては、奥様との昔語りをする時間が必要だな。。。とか、あるいは、この息子さんにとっては、看取り期だけではなくて、これからのお参りの時間や日常の時間という〝時間の経過という優しさ〟が必要だな。。。とか。

 それぞれの必要な場面がうまく用意されたとき、残されるご家族の表情は、悲しみのこわばった表情とは変わり、本当に美しいほど、やさしく穏やかな表情に変わるのである。これは本当に見事である。言葉では表現はできないほど、いいお顔なのである。


 そのようなお顔に触れられた時、私たち職員も一人の人間として、やさしくならせてもらえるのである。

みんなで演出した看取り

2009-07-10 08:36:53 | 日記
 先日、久しぶりに光寿苑での看取りがあった。

 このAさんは、何度と山を越えてきた方だったが、ついに、今回は越えられなかった。命の限界まで行き切られたために、頬などがこけていた。危篤の知らせを聞いて駆けつけた御兄弟方々、一様に、

『何で!?こんな急に?こんなになってしまって残念だなぁ。』

と耳元で喋ってしまう状況。これはまずいと思い、

『耳は最期まで聞こえていますよ。だから、お気持ちはわかりますが、いっぱい昔の思い出お話ししてくださいよ。今、正に人生を振り返っている時間ですから。』

そう呼び水を出すと、妹さんに当たる方が若い頃の思い出をお話しし始めた。その後は、もう留まることなく皆さんが懐かしい昔話を代わる代わるして下さったではないか。
 重たい空気が、一変して穏やかな空気に包みこまれたことは言うまでもない。お身内みんなに囲まれて、ご自身たちの力で看取りを演出していかれた。Aさんの表情もだんだん穏やかになっていく様子だった。
 おひとりの男性の方が、

『あれ!?顔色良くなってきたね。呼吸も穏やかだしね。』

そう言った。みんな頷いた。

 そうなのだ。最期の時間、確かに耳に届いている。その方にとって大事な人たちの声をどれだけやさしく届けられるか。このことが、今、まさに往く人にとって欠かせない時間となるのだから。


 おかげさま。

光寿会チャリティコンサート

2009-07-05 16:40:10 | 日記
 来る10/23(金)の夜、光寿会のためにチャリティコンサートが催される。ホント、申し訳ない気持ちと感激の気持ちでいっぱいである。

 いらっしゃるのは、あのウィーンフィルなどでもご活躍されているお二人の方。
 事の始まりは、昨年、朝日新聞に光寿会の親子三代の記事が載ったことが発端だった。
 ウィーンフィルなどのプロデューサーの方がウィーン在住の日本人女性の方で、たまたまウィーンで朝日新聞を目にして感激されたとのことだった。それでぜひ、光寿会のためにチャリティーを!…という運びだったのである。

 初めてご一報頂いた時は、あまりのデカイお話に緊張しまくって拝聴したものだった。
 そのこともあり、今年は寺子屋コンサート企画をしないのである。実際には、何と4組のアーティストから申込があったのだが、もったいないけれどお断りしている状況なのだ。10/23に集中したいのだ。

 詳しいことは今後また書き込むとして、今回は日時等までお知らせしたい。


【期日】2009年10月23日(金)
【時間】18:30~20:00
【場所】銀河ホール
【料金】一般2,000円  高校生以下1,000円
【内容】チター&ソプラノコンサート

 ウィーンフィルのコンサートは、こんな料金では決して聴けません。ぜひ、お早めにお声掛けくださいね。

看取りを語る…そこで発見したこと

2009-07-04 15:50:54 | 日記
 昨日、遠野のある施設で『看取り』について講演させて頂いた。総勢50名くらいだっただろうか?いやぁ、久しぶりにメチャクチャ緊張した。
 実は五月の初めから、七月の半ばまで、何と毎週講演という信じられない時期を過ごしている。だから緊張しないかと言うと様々形態が違うもんだから、そうは中々ならない。…というのも、日総研などで話をした際にも50名ほどで規模は同じだったのであるが、何せ面々は方々からお集まりになっているため、緊張が分散する。ところが、一施設でやる場合、アウェーはただ自分一人だから、緊張が一極に集中するのだ。
 しかも、専門的に勉強しようとしている皆さんに対して一時間半の中で看取りを語るのは、結構難しいのである。どこにポイントを置くべきか?何を求めていらっしゃるのか?

 結果、ある程度ご満足頂けた様子だった。その後の懇親会での介護の方のお年寄りを思う温かい言葉に触れられてとっても嬉しかった。それに、あそこの施設は生活相談員の方がめちゃくちゃ奥の深い柔和さを持った方である。あの方がいるからこそ、あれだけ多くの職員もまとめられるんだと思った。

 どの方も、とってもやさしいオーラをお持ちだった。あの施設なら、『尊厳ある看取り』はできると感じた。後は、チーム一丸となってドクターを動かすことが大きな課題の様子だけど。きっとやれる。そういう空気のよい施設で講演させて頂けたことはまた宝となった。

 おかげさま。