80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

慣れと惰性と。

2015年03月25日 05時43分25秒 | 考える
退職後、何度も同じ事を考えていた。

今後、一体何をしていけば良いのか?

どうやって、無為、無目標の生活を満たしていけばいいのか?
今、この「目標の見えない生活」に戸惑っていると言い続けてきた。


その実、目標とは自分自身が決めるもので、本質的に、誰かが導き示してくれるものではないとは、どこかで考えていた。
あくまで自分自身が動かぬ事には、何一つ変化することはないのだ・・・と。

しかしまた、私がいなくとも、勝手に進展する、動いていくことは多いことも事実。
実際には、それがほとんどと言っていい。

この矛盾・・・??


しかし、私でなければ出来ない事、それもまた存在するはずだ。
・・・そう思いたい!!
私でなくてはならないことを見つけ、そして行動していく。
それこそが、今後、私の生きていく意味なのだろう。


人は皆、目標を持ち、目標達成のため行動している。

私は・・・
もっと、勉強しておけば、
もっと、行動的だったら、
もっと、他人と付き合っておけば、
もっと、貯金をしておけば、
・・・もっと、もっとの後悔ばかり、

今更どうしようもない。

どうしようもない事が多すぎて、何とも・・・。


とにかく、常に、「人生は、今、ここから、」 ・・・総てが始まる。


他人が働いているところを、傍から横目で眺め、今の私に何が出来るかなどと、
いや、何をさせてもらえるか、・・・などと考えている自分がいる。

そう、取りあえず、考えている ・・・それだけ。


働き口が見つからないのは、多分、自身の見栄が大きな障害だろう。

「俺は他人にこう思われたい。
    こうは思われたくない。」
そういうつまらない欲。

二枚、三枚、欲の皮を、むしり取っていけば、人間生きていけないことはないはずだ。


人との出会い

他の人を頼るわけではないが、他の人と親密な繋がりを持っていく。
いこうとする。

それが理想、それが必要。

そこから総てが回り出す・・・ような気がする。


「根」と、幹と、枝と、葉と、「果実」。
見えない「根」が養分を蓄え、大きな「果実」を育てるもとになる。

インターネットで、そんな話をしていた。

思考が価値を創造していく。
成長が豊かさを創造する。

土に埋もれた「根っこ」 = 自分 ・・・ を説明すること。
自分が何者であるのか?
そう、私には、もう一度、自己確認が大切、必要だ。


出来る人間は出来る理由を考え、
出来ない人間は出来ない理由を考える
、という。
なるほど、そういう事だったのだ !!


「金」それ自体は、良くも悪くもない。
金の価値は持つ者自身が決める。

金が総てでは無いが、金が無ければ出来ないことが多いことも、また事実。
う~ん、・・・出来れば、もっと金が欲しい。


・・・たら、・・・ればの世界から脱却しなければならない。

人生はそれほど短くはないが、無駄に迷い続けていけるほど長くはない。



自分の身の回りを見つめ、丁寧に暮らすということも、大人の作法と思いたい。
   弘兼憲史の「大人の作法」心得帳   新講社

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