ためらわずに負け顔を見せていく。
それでマイナスになることはない。
ゼロになるだけのことだ。
・・・多分。 (やはり、ちょっと自信がない。)
まぁ、実際は、そんな、心許せる相手がいればの話なのだが。
言ってみれば、相手と信頼関係を築いていくことが必要。
群馬から戻ってメールを開く。
何と1,500通ちょっと・・・!!!
これだけ大量のメールをチェックするとなると、かなりの「思い切り」が必要だ。
開封する場合の基準 (逆を言えば、自身のメール発信にも言える。) として、
発信者名とその内容、すなわち「標題」の大切さを感じる。
「何これっ!!」と思わせる標題・・・。
メールを開いて、そこに自分の名前を見つけると、ちょっぴり心が揺れる。
自意識過剰と言われれば、それまでのことだが。
「言わなければ、何も伝わらない。」
ずっと言い続けてきた言葉だが、実際問題、なかなか言い出しづらいことが多い。
結果、相手には何も伝わらず、一人悶々とする。
・・・分かっちゃいるけど・・・。
私は本当に誰かに必要とされているのだろうか?
悲しいことだが、そう思えない自分がいる。
「自分に提供できる価値」とは何だろうか?
それが知りたい!!
タバコの量が増えている。
喫煙に意味があるとは思わないが、ついつい・・・。
4月20日(月)
他人のことは考えるな。 考える必要はない。
お互い、独立した人間だ。
自身の意見を持っている。
話してくれないのは残念だが、
それは「こちらが話し相手にならない存在」だということだ。
自らを恥じるべきなのだろう。
人は自分の利益にならないことはやりたがらない。
とは言え、いつも考えてしまう。
今さら、考えてみても仕方が無いことなのかもしれないが、
私は他人にとって、どのような存在なのだろうか?
それより何より、
まずは、自分自身を確立することが必要なのかもしれない。
これから群馬へ出掛ける。
頭痛とまではいかないが、何故か少しふらふらする。
9:00 アパートを出発。
DVDの返却。 開店前なので、返却ボックスに投函。
いざ、群馬へ・・・。
新宿を出た頃から電車の窓に雨粒が・・・。
傘を持って来ていない。
まぁ電車の中では必要ないが。
10:45 急行無し。
大宮行き各停に乗車。
まっ、急ぐ旅でなし、のんびり行こう。
時刻の約束はない。
約束は明日だ。
赤羽、10:53
戸田公園、11:00
本庄、 記録なし。
「頼りない奴だと思っていた。
実は、頼っていなかっただけだ。」 ○○運輸CM。
ためらわず負け顔を見せる。
それでマイナスになることはない。
ゼロになるだけのことだ。 (どこから引っ張ってきたのか?・・・記録なし)
今、何がやりたいのか?
4月21日(火) 伊勢崎 晴れ
「蜘蛛の呪い」
部屋に一匹の蜘蛛さんが・・・!!
蜘蛛さんはどうも苦手だが、殺すのは躊躇してしまう。
なるべく殺さず、部屋から追い出すようにしている。
まぁ、相手は益虫であると言われているし、
何より、かにより、「蜘蛛さんの呪い」が怖い風来居士だ。
現在の日本は、長期にわたる好況から一転、不況の道を辿りつつある。
本来ならば、オリンピックに向け、さらに好況が継続するはずだが、
そんな感じが、全くしてこない。
と、テレビでコメンテーターが言っていた。
・・・言われてみると、そんな気がしてくる今日この頃。
金は、いくら多くとも、いくら少なくとも、使わなければ同じことだ。
大還暦まで、あと50年少々。
まだまだ死ぬ気はないが、ちょっと「死」について
考えてみるのもいいのかな・・・などと。
塩分の取り過ぎは、「脳梗塞 」に繋がる・・・とか。
情報過多?
ちょっぴり気にかかる。
余計な一言(?)が、余計な気遣いを生むとのこと。
いやいや、やはり気にすべきだろう。
よく考えてみると、(考えるまでもなし!!・・・と、言われそうだが)
私は役立たずだ。
私は何の役にも立っていない。
ただ、誰かの喜ぶ顔が見たいだけのことなのだが・・・。
今さら・・・。
重ねて同じことを問われると、やはりうるさい!!
どうやら、他人には、とにかく余計なことは言わない方がいいらしい。
誰もが、それぞれ、何やかや考えている・・・!!
無門関 第29則
非風非幡
・・・
祖云、不是風動、不是幡動、仁者心動。
・・・
無門曰、不是風動、不是幡動、仁者心動・・・
・・・
頌曰
風幡心動 一状領過
只知開口 不覚話堕
風が動くのでもない、幡が動くのでもない、心が動くのみだ。
・それはそうなのだが、「心が動いている」ということに
こだわってしまっては、それは、一つの見方であり、偏見と言える。
禅の教えは、・・・こだわるな。
正しいことにさえ、こだわってはならぬと教えている。
~ひろさちやのウルトラ禅問答
『無門関』を読む (株)四季社・・・より
「私は何者なのか?」
問いにとらわれるな。
「非風非幡非心」・・・風に非ず、幡に非ず、心に非ず。
何、素直に自分を演じていけばよい。
所詮、人は自分自身にはなりきれないものなのかもしれない。
などと。
・・・
それでマイナスになることはない。
ゼロになるだけのことだ。
・・・多分。 (やはり、ちょっと自信がない。)
まぁ、実際は、そんな、心許せる相手がいればの話なのだが。
言ってみれば、相手と信頼関係を築いていくことが必要。
群馬から戻ってメールを開く。
何と1,500通ちょっと・・・!!!

これだけ大量のメールをチェックするとなると、かなりの「思い切り」が必要だ。
開封する場合の基準 (逆を言えば、自身のメール発信にも言える。) として、
発信者名とその内容、すなわち「標題」の大切さを感じる。
「何これっ!!」と思わせる標題・・・。
メールを開いて、そこに自分の名前を見つけると、ちょっぴり心が揺れる。

自意識過剰と言われれば、それまでのことだが。
「言わなければ、何も伝わらない。」
ずっと言い続けてきた言葉だが、実際問題、なかなか言い出しづらいことが多い。
結果、相手には何も伝わらず、一人悶々とする。
・・・分かっちゃいるけど・・・。
私は本当に誰かに必要とされているのだろうか?
悲しいことだが、そう思えない自分がいる。

「自分に提供できる価値」とは何だろうか?
それが知りたい!!
タバコの量が増えている。

喫煙に意味があるとは思わないが、ついつい・・・。
4月20日(月)
他人のことは考えるな。 考える必要はない。
お互い、独立した人間だ。
自身の意見を持っている。
話してくれないのは残念だが、
それは「こちらが話し相手にならない存在」だということだ。
自らを恥じるべきなのだろう。
人は自分の利益にならないことはやりたがらない。
とは言え、いつも考えてしまう。
今さら、考えてみても仕方が無いことなのかもしれないが、
私は他人にとって、どのような存在なのだろうか?
それより何より、
まずは、自分自身を確立することが必要なのかもしれない。
これから群馬へ出掛ける。
頭痛とまではいかないが、何故か少しふらふらする。

9:00 アパートを出発。
DVDの返却。 開店前なので、返却ボックスに投函。
いざ、群馬へ・・・。

新宿を出た頃から電車の窓に雨粒が・・・。
傘を持って来ていない。

まぁ電車の中では必要ないが。
10:45 急行無し。
大宮行き各停に乗車。
まっ、急ぐ旅でなし、のんびり行こう。
時刻の約束はない。
約束は明日だ。
赤羽、10:53
戸田公園、11:00
本庄、 記録なし。
「頼りない奴だと思っていた。
実は、頼っていなかっただけだ。」 ○○運輸CM。
ためらわず負け顔を見せる。
それでマイナスになることはない。
ゼロになるだけのことだ。 (どこから引っ張ってきたのか?・・・記録なし)
今、何がやりたいのか?
4月21日(火) 伊勢崎 晴れ
「蜘蛛の呪い」
部屋に一匹の蜘蛛さんが・・・!!

蜘蛛さんはどうも苦手だが、殺すのは躊躇してしまう。
なるべく殺さず、部屋から追い出すようにしている。
まぁ、相手は益虫であると言われているし、
何より、かにより、「蜘蛛さんの呪い」が怖い風来居士だ。
現在の日本は、長期にわたる好況から一転、不況の道を辿りつつある。
本来ならば、オリンピックに向け、さらに好況が継続するはずだが、
そんな感じが、全くしてこない。
と、テレビでコメンテーターが言っていた。

・・・言われてみると、そんな気がしてくる今日この頃。
金は、いくら多くとも、いくら少なくとも、使わなければ同じことだ。
大還暦まで、あと50年少々。
まだまだ死ぬ気はないが、ちょっと「死」について
考えてみるのもいいのかな・・・などと。
塩分の取り過ぎは、「脳梗塞 」に繋がる・・・とか。
情報過多?
ちょっぴり気にかかる。
余計な一言(?)が、余計な気遣いを生むとのこと。
いやいや、やはり気にすべきだろう。
よく考えてみると、(考えるまでもなし!!・・・と、言われそうだが)
私は役立たずだ。
私は何の役にも立っていない。
ただ、誰かの喜ぶ顔が見たいだけのことなのだが・・・。

今さら・・・。
重ねて同じことを問われると、やはりうるさい!!

どうやら、他人には、とにかく余計なことは言わない方がいいらしい。
誰もが、それぞれ、何やかや考えている・・・!!
無門関 第29則
非風非幡
・・・
祖云、不是風動、不是幡動、仁者心動。
・・・
無門曰、不是風動、不是幡動、仁者心動・・・
・・・
頌曰
風幡心動 一状領過
只知開口 不覚話堕
風が動くのでもない、幡が動くのでもない、心が動くのみだ。
・それはそうなのだが、「心が動いている」ということに
こだわってしまっては、それは、一つの見方であり、偏見と言える。
禅の教えは、・・・こだわるな。
正しいことにさえ、こだわってはならぬと教えている。
~ひろさちやのウルトラ禅問答
『無門関』を読む (株)四季社・・・より
「私は何者なのか?」

問いにとらわれるな。
「非風非幡非心」・・・風に非ず、幡に非ず、心に非ず。
何、素直に自分を演じていけばよい。
所詮、人は自分自身にはなりきれないものなのかもしれない。

・・・
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