80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

自己実現を目指して

2017年03月01日 19時52分26秒 | 考える
3月1日 (水) 晴れ くしゃみがひどい。 風邪をひいたのか?
今日は、大安だって。

70歳、そろそろ「自己確認」の段階を卒業して、「自己実現」を目
指していく必要がある。
 
今は、そういう段階に来ているのではないか。

まぁ、これが「言葉遊び」に過ぎないのではと言われたら反論が
できないが、そんな風に思い始めた。
(いつから? ・・・昨日、今日あたりから・・・う~ん・・・。) 

本当は、いつもそばにいて、私を見ていてくれる、そんな仲間がい
てくれたらいいのだが、すでに70の私だ。
今さらそんなことを言ってみても、それはさすがに無理な話だろう。


いつも、そばからアドバイスをというより、実際の所、自分の行為
を承認して欲しいだけの話かも知れない。

人は99%無理を承知で、残りの1%に期待して生き続ける、とは
よく言われる事だ。

今の私は、他人の事より、自己確認という事で手を焼いている。
未だに、自分の考えをまとめ切れていない。

まだまだ、何か (こいつが問題なのだ!!) 出来そうで、
しかし、すでに何かを完成させていく時間がない 
 
・・・などとも思ってしまう。

毎日、目的もないまま、ただ自宅の部屋と、駅前広場のベンチを往
復し続ける。 
ひょっとしたら、何か 「目的」 でも落ちていはしないかと・・・。

半分、惰性、もう半分は微かな希望、あるいは期待。
いやいや、人生とは、いつ何が起こるかは、神ならぬ身、誰にも、
無論当人にも・・・。  

一人で生きていくのは寂しいが、何人かで、ワイワイ暮らしていく
のは面倒くさい。


人が生きていく。
出来るか出来ないかではなく、やるかやらぬかという問題なのだ。
とにもかくにも行動が第一。 
ひょっとしたら失敗するかも知れないが、大成功する可能性だって
「0」ではない。


しかし、何もやらねば、何の結果も出ようはずがない。

まぁ、夢を暖めるのもいいが、暖めすぎて火が付いて、あっという
間に燃え尽きてしまうというのも、どうかなとは思うのだが。 

「分かり合いたい」と、人は言う。
しかし、所詮は生きてきた道が別々だ。
今後、生きていく道もまた別々だろう。

他人同士が、そうそう簡単に理解し合えるというものでもあるまい。
人間同士、ほとんどが勘違いと、誤解の積み重ねと言っていい。


思い違いで、他人を恨むなどというのは、筋違いもいいところ。
むしろ、他人に頼り切った自分を責めるべきだろう。

何やかや、遠慮、遠慮の積み重ねで、本来の自分自身を見失うな。
自分の「大切な残り時間」も、遠慮会釈もなく、何も言わずに通り
過ぎていくだけだ。


相構へ、相構へて、心の師とはなるとも、心を師とすべからずと、
仏は記し給ひしなり。   「義浄房御書」  日蓮聖人