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80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

廃屋始末

2015年09月26日 23時53分42秒 | 考える
9月26日(土) 午前

私の存在感、アイデンティティー・・・。
この所、そんな言葉ばかり、頭に浮かぶ。  

私は他人にとって、一体、どんな価値があるのだろうか?
(そう、必要なのは、ただそれだけだ。)

彼にとって、私は、単に住居の提供者・・・ 
それ以外の存在ではない。
(正直、そうは思いたくないのだが・・・。)



町で、身体が思うように動かないお年寄りを見るたびに思ってしまう。
私がああなってしまったら、彼はどう対応するだろうか?
     ??


私の思いのように、空に雲が増えてきた。 


バスに乗る。  
傘を持たずに家を出たが、この後、天気の保障はない。

バスの通り道の横に、今にも崩れそうな廃屋が1軒あった。 

通るたび、建て替える資金が無いのかな、などと勝手な想像をしていたが、
今日はきれいな更地になっていた。


所詮、人の住めぬ廃屋は、所詮、解体されて更地になる運命らしい。  

何の仕事も見つからない私、
最後は、あの廃屋同様の道を辿るのかも知れない。


そう、他人のことまで悩めるような立場では無い。

お互い、個性を持った大の大人なのだ。


人は、人の運命は、本当にその時になってみなければ分からないものだ。
今晩はともかく、明日の朝、何が起きているかは想像もつかない。


出来るのは、皆に、素晴らしい朝がやってくるのを願う事だけだろう。  


しかし、だからといって、迷っていても仕方がない。
迷いは相手があってこそ、初めて起こる。

相手に私が見えていない以上、当方が迷う必要など、これっぽっちも無い。