バッカス日記

酒をこよなく愛し。屁理屈をこよなく愛し。そこで、ペンネームも「リクツ(理屈)バッカス」のオジサンです。

サクラ・サクラ

2016-03-31 16:34:25 | Weblog
桜が咲いた。



「桜通り」の桜も七部咲き・・・



みかも山、ソメイヨシノは未だだが、中腹の川津桜は今が満開。



カタクリ道には多くの人出。





何時もはガラガラのフラワートレインには、春休みの小学生を中心にパパママ、ジジババが鈴成り。いやはや、山で人に当る。

 

 

それでも、春の花は咲き乱れ、幸せな気分に包まれる。



麓の池の周りには、ちびっ子達の嬌声が響き、嬉しくなる。

次ぐ朝



早朝ウォーキング道の桜も七部咲き、



先週植えたプランターの花も根付いたのか花開いていた。

さて、点滴の友



「陸軍大将 今村均」
ジャワ方面軍司令官。敵味方とも最小の被害でジャワ島を占領。
各地を占領した日本軍の中で一番の善政を敷いた。
スカルノを政治犯収容所から助け出し、戦後インドネシアが独立する為の施策に協力した。
お陰で戦後インドネシアは大変な親日国になる。

その後、ラバウル方面軍に転出。ガダルカナル戦を教訓に、食料の現地生産に励み、ラバウルの要塞化も進めた。
米軍はラバウルを攻めた場合の被害を鑑み、終戦まで爆撃だけして決して進攻してこなかった。
お陰で従軍していたゲゲゲの鬼太郎の作家水木茂を初め、7万の将兵は死なずに済んだ。

軍人の中にも、無謀を嫌い、人の命を大切にした部下思い立派な人が居た。

所で、太平洋の激戦地ぺリリュー島の戦いで奮戦し、数倍の米軍を長期にわたって苦しめ最後に全滅した守備隊が最後に本国に打電した報告の終わりの言葉は・・・

「サクラ・サクラ」・・・

日本人は本当に桜が好きなのですねぇ~ 。