関とおるの鶴岡・山形県政通信

安心して住み続けられる山形県をめざして、住民の暮らし、県政の動き、そして私の考えと活動をお知らせします。

新しい仲間を歓迎

2008年03月16日 | 活動報告
 最近、日本共産党に入る人が増えています。

 昨年の参議院選挙で、「戦後ずっと続いてきた自民党政治はもうたくさん」という国民の願いがはっきり示されました。

 ところが、願いを託した民主党は、いきなり「大連立」に走り、自民党と同質の政党であることを自ら明らかにしました。

 その後も、道路特定財源、後期高齢者医療制度、在日米軍問題などなど、あらゆる問題で、「民主党は何を変えるのか」という大きな疑問が広がっています。

 そういう中で日本共産党の存在意義がわかりやすくなり、日本共産党に入る人も、昨年秋頃から全国で毎月1千人ほどになっています。


 今日は、地域の党支部の新入党者歓迎会に出席しました。

 今回入党した方は、私からみると親の世代の方ですが、長年ご商売を続けながら日本共産党を応援してきてくれた方です。
 「党は、厳しいところ」というイメージがあり、「自分が入るなんて思ってもみなかった」そうですが、今回改めて誘いを受けて、「党の人は皆まじめで、優しい」「自分が入ることが何か役に立つなら」と入党を決意して下さったものです。

 歓迎会の会場は、えるさんでもなく、寿司屋でもなく、支部長のご自宅。
 料理は党員の手作り(とは言っても、元調理師の方もいて、味の方はプロ級)。
 質素ながら心のこもった歓迎会で、暖かい気持ちのあふれる、楽しい会になりました。


 日本共産党は、「まじめで、自分のことだけでなく、社会のこと、周りの人のことを思いやれる人なら誰でも入る資格がある」開かれた政党です。

 特別の能力は求められず、一人ひとりの得意を活かし、自主的、自発的に活動します。

 もっともっと沢山の方に入って頂きたいと思います。  

郷土の先人、池田勇作・郁を忍ぶ

2008年03月16日 | 市政全般

15日(土)、治安維持法犠牲者:池田勇作と郁を追悼する会に参加しました。

 池田勇作という人は、鶴岡出身の戦前の日本共産党活動家で、鶴岡で労働者の文化運動を起こした後上京、論壇で全国的に注目される活動をおこなった方、郁とはその妻であった方で、勇作は治安維持法で投獄されて獄死、郁も投獄され、出獄後ほど亡くなったと言います。

 この日おこなわれた元日本共産党衆議院議員の松本善明氏の記念講演では、
 勇作が、「天皇制に反対し、侵略戦争に反対する」という、当時の日本では命がけの活動で、労働者向けの雑誌を創刊するなど粘り強い組織活動に取り組みながら、「経済日本」の懸賞に一等入選するなど、作家としては檜舞台で活躍していたことなどを紹介、
 「あの時代を語り、受け継ぐために」として、映画『母べえ』や、亡妻いわさきちひろの作品を紹介しながらのお話をされました。

 この鶴岡に、これほどの活動をおこない、わずか30才で生涯を閉じた偉人がいたことに、大きな感銘を受けました。

 この日の会は、地元はもちろん、全国からの参加も含めて250名余り集まり、大変な盛会でした。