「リフレッシュクラブのゆかいな仲間たち」のブログ

リフレッシュクラブのゆかいな仲間たちのブログです。気まぐれに更新しますので遊びに来てください!

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旅日記新潟県上越編~海の幸堪能 その1

2010-08-30 13:01:26 | Weblog
こんにちは

さて、旅のつづきします…

朝も早いうちから動いていたのでさすがにお腹空きました。
このために、お腹をすかしていたといっても過言ではない(…うそです)。

そろそろお昼の時間なのでカオリンファミリーお勧めのレストランに向かいました。

上越市から高速を使い3、40分移動して到着しました。

「レストラン シーポート」


詳しくはこちら

地元では有名なのか、お昼前にはスムーズに入れたものの、
お昼過ぎた頃から家族連れで混みはじめ、食事を終えて帰る時には、
並びが入っていました。



こちらは近海の幸がたっぷり載った海鮮丼 1200円

器からあふれんばかりのお刺身の数々…
あまエビ、マグロ、ハマチ、生タコなどなど…
お刺身の下に盛られている酢飯は少なめなので、
上のお刺身を十分堪能できます。



こちらは色々な味が楽しめる松花堂弁当 2,000円

写真上のお重にはタラ(?)の西京漬、野菜天ぷら(塩で)、
お刺身3種(あまエビ、マグロ、生タコ)にしん(?)の昆布巻きがあり、
茶碗蒸し、ケーキも付いていました。
こちらは万遍なく味が楽しめるのでいいですね。

あまりにもお腹が空き過ぎていて、メインがきたらそちらに夢中になり
写真に収めるのを忘れてしまいましたが、レストランお勧めの
カニのトマトクリームパスタもオーダーしました。
こちらもカニの身が載っていて美味しくいただきました。

しかし、ちょっと悲しい事がありました。

オーダーを終えて、待っている時に斜め後ろの席にゴロゴロと
ごついフライが4,5個載っている皿が運ばれるのを発見
それは何かみんなで侃侃諤諤話し合い・・・
結果カキフライではないかとの結論に
確認すべくメニュー表を頼み調べるとムムっカキフライ発見
岩ガキを求めて来たナベコバにあっては風雲急を告げる発見
生もいいけどフライもいいよな~などと妄想しつつ
速攻でオーダー

ルンルンで待っていると、運ばれてきました。
が、そのお皿を見て一同顔を見合わせてしまいました。
「ち…小さい…」味は当然美味しいけども・・・
遠くから見たものと比較しても少し小さい…
もう一度みんなでメニュー表を見て再考
カニクリームコロッケではとの結論
オーダーする前に確認は必要ですね~

         

晩ご飯はカオリン宅で海鮮バーべQをご馳走になることに決定
コック長は剣道の達人カオリンのパパです。よろしくお願いします




と言うことでレストランの同じ敷地内にある海鮮市場に今宵のバーべQの買出しに
海鮮市場だけあって色々な海産物が売られていました。



しかも安い



ビックリ仰天

コック長とお孫さんの後ろ姿品定め中



カキや、サザエ、ハマグリ、ホタテ、変り種でいわしの糠漬などを買い込みました。
これで今宵は海鮮バーベQを堪能できることでしょう…

                                  …つづく

旅日記新潟県上越編~春日山林泉寺

2010-08-28 19:08:40 | Weblog
こんにちは

さて、旅のつづきします…

春日山城址をあとにして、つぎは上杉謙信公が幼少の頃
学問を身に付けたといわれる林泉寺に向かいました。

         

 この林泉寺は、1497年越後国守護代
長尾能景(ながおよしかげ)公が亡父重景(しげかげ)の
17回忌にあたり長尾家の菩提所として創建されました。

 それから40年後、能景公の孫上杉謙信公は、
六世天室光育大和尚に学問を学び、さらに
十七世益翁宗謙大和尚について禅の教えを学び、
さとりを開きました

 後を継いだ景勝公のときに、上杉家が会津に移封となり、
かわって越後領主となった堀家、高田城主松平越後守家、
榊原家の菩提所となり、また代々から「禁制状」を下され、
あつく保護されてきました。

 また、徳川二代将軍秀忠公以来、御朱印地の寺領を拝領し、
「下馬、下乗」の札を立てる特遇も許されるなどの歴史を重ねて
現在にいたっています。
(パンフレットより)



禅寺という事で立派な三門がありました。



三門に近づくと参拝にきていた人たちのほとんどが
三門の天井をしきりに見て感心し、天井にカメラを向けていました。
不思議に思い近づいて見てみると…

三門の天井には2枚の龍の絵が描かれていてびっくり



この絵は当時のものか、あと付けのものかは定かではありませんが、
上杉軍ののぼりには「龍」と、書かれていたのを思い出しました。



さらに、三門の境内側には「第一義」と掲げられていました。

         

里帰り中のカオリンファミリーと合流し美味しい海鮮が
食べれるレストランを教えてもらう事となっていたため
春日山城址の駐車場にて待ち合わせました。

暑い中、赤ちゃんと一緒に家族総出で外出していただき
ありがとうございました。



(スッタフのOさん、里帰り中)

                              …つづく

旅日記新潟県上越編~春日山神社散策…そしてGACKT(ガクト)謙信いざ出陣

2010-08-26 12:12:00 | Weblog
こんにちは

さて旅のつづきします…

ロッヂレルヒのあった金谷山を後にして向かったは春日山城址
かの上杉軍のお城でございます。

小高い春日山に建てられた難攻不落の城…
去年の大河ドラマの「天地人」でご存知の方もいると思います。

その春日山城の天守閣のあった山頂付近までは、歩いて30分くらい…
そこは、見晴らしがいいぐらいであとは特に…
という地元情報と今後の予定を鑑みて上までいくのを取りやめました。

そこで春日山にあった春日山神社に参拝してきました。

春日山神社は、新潟県上越市の春日山山腹にある神社



しかし、その境内に向かうのには、よくスポ根漫画の
特訓で出てくるような長い石段を登って行かなければなりません。

運動不足のナベコバ…

         …頑張りました…



1901年(明治34年)、童話作家・小川未明の父親である
旧高田藩士小川澄晴により、前島密らの援助を受けて創建されました。

祭神は上杉謙信で、山形県米沢市の上杉神社より分霊されました。
社殿は神明造です。

境内にある宝物館には上杉謙信や小川未明に関する資料が展示され、
正月には初詣や二年参りなどの大勢の参拝客で賑わという事です。



「馬場」手前の土塁上に立つ上杉謙信公。
絵になるスポットのひとつです。



謙信公はいまでも越後のことを思い、甲斐との国境を見つめ
甲斐の武田軍ににらみを効かせているとの事…

…追伸…

越後の龍GACKT謙信いざ出陣
                                   


毎年謙信公祭りが8月に開催されているようですが、
今年の謙信公役に以前大河ドラマの「風林火山」で
上杉謙信公を演じたGACKTさんが出演するとのことでした。
自分たちが滞在していた時も、いたるところにポスターが貼られ、
ローカル局のTVCMもヘビーローテーションで流れていました。

今年は、21、22日開催され、タイミングよく新潟に行っていた
お得意様のK・Hさんからパンフレットをいただきました。 
残念なことに時間の都合で観覧できなかったとの事。しかし上越の
ローカルラジオ、テレビは出演している時間に生中継をしていたそうです。
Kさんもラジオから聞こえる模様を聴いていたそうです。

そして、カオリンママも観覧しに行ったとの事。
ものすごい人出で肝心なGACKTさんは遠く方に
一瞬しか見えなかったとの事

しかし、恐るべしGACKT謙信の人気

                                …つづく

旅日記新潟県上越編~日本スキー発祥の地 金谷山

2010-08-23 12:21:57 | Weblog
こんにちは、

さて、旅のつづきします。

日が高くなるにつれ、暑さが倍増
車のエアコンもなかなか効かないかも…

      

そんな中高田公園を後にして春日山城址に向かう途中、ある所に立ち寄りました。
そこには「日本スキー発祥の地」と看板があり向かうと…



きれいな空をバックにかすかに写る小さな銅像は、
テオドール・フォン・レルヒという方

この方、日本に初めてスキーを教えたオーストリアの軍人

明治43年、日露戦争に勝利した日本陸軍の研究のため
来日したレルヒは、翌44年、13師団視察のため高田を訪れ、
自費で作った軍用スキー10台を寄贈しました。
スキーに関心を持っていた長岡師団長の願いにより、
1月12日金谷山において軍人に対してスキーの指導が行われました。
日本でのスキーの始まりになりました。

将校夫人によるスキー つづいて民間にも指導し、
早くも2月には高田スキー倶楽部が発足するなど、
市民にあっという間に広まりました。

大正元年、惜しまれながら高田を去り、10月に帰国。
後々まで親交を深め、娘のホリヤー夫人も高田を訪れて交流を続けました。

昭和36年、金谷山にスキー発祥50周年を記念して
レルヒの銅像が建てられました。

昭和59年、アルペンスキーの発祥地オーストリアの
リリエンフェルト市と姉妹都市となりました。

         

写真はかなりと言うか、ほとんど形すら見えないくらいに
銅像が判らなくて申し訳ございません。

ぜひ、銅像を確認したい方は現地に直接見に行ってください。
(おいでやす、上越…



日本スキー発祥記念館 (写真向かって右の建物)

金谷山は、明治44年(1911)、オーストリア軍人
テオドール・フォン・レルヒ少佐によって日本で初めて
スキー術が伝えられた日本スキー発祥の地。

記念館には、当時のスキー板、様々なスキー文献、
遺族から寄贈された手記などのレルヒ少佐に関する資料など、
貴重な資料を多数展示しています。

また、スキーのシミュレーションで実際のスキーを体感できます。

TEL:025-523-3766 /休館日:月曜・祝日の翌日
時間:9:00~16:30/有料P 50台
バス:青田線金谷山入口下車、徒歩10分

      

ここは、スキー場ですが、夏はMTBのダウンヒル(山を駆け下る)コースもあり
1年中営業しているようです。

そこにボブスレーと書かれた看板と長いスライダ―のコースがあったので
やりたっかたですが、あとの予定により断念…
また、記念館隣の「ロッヂ レルヒ」にもちょっと寄っていきたかったのですが
時間の都合でこちらも断念…

あることがわかっていた時間も取れたのですがねぇ~

何事も時間に余裕がないといけませんね…教訓

                                    …つづく




旅日記新潟県上越編~高田城とハス祭り その2

2010-08-19 14:39:32 | Weblog
こんにちは

前回のブログの旅のつづきします。

11日は快晴になり朝からうだる様な暑さでした。
まずは、この旅ブログの始めに書き出した
高田公園とハス祭りを見学しました。

その高田公園にある高田城三重櫓をおさらいします。

平城の高田城には、他の平城と違った二つの注目すべき点があります。
一つは天守閣が建築されなかったこと、
二つ目は石垣が積まれていないことです。



天守閣は平城のシンボルとして、
近世城郭の代表的な建築物とされています。
それに代わるものとして三重櫓が建設されました。



また石垣のない平城は稀で、高田城の特徴とされています。
その理由は、大坂冬の陣の直前で工事を急ぎ
わずか約4か月で竣工させたことと、石材が付近になく
集める余裕がなかったことなどであると思われます。



外堀は自然の河川を利用して作られ、非常に幅が広いことが特徴です。
その外堀のほとんどすべてにハスが植えられていて、今一斉に花が咲いているのです。
そこでハス祭りが開催中
実際見てみると、その多さと、花の見事さに圧倒されてしまいました。






この写真からはわからないと思いますが、
朝も早いうちから多くの見物人やカメラを
片手に持った人たちでにぎわっていました。



高田城でのよくある光景…

…とりあえずのおまけ…

                         …つづく