白秋ながや文庫

日々の徒然。

感謝の優しい心と批判する邪念とのバランス

2008年02月13日 | インポート

 高校時代の生徒手帳が出てきた。東京五輪、大阪万博、アポロ11号月面着陸、高度成長期の10代。ジーパン、清涼飲料水、チョコレート、マイホーム、マイカー、電化製品、深夜放送のラジオ、テレビ、週刊誌・・・。

田舎の田園地帯でも変速機付き自転車、ラジカセ、兼業農家、野球にプロレス、歌謡曲。頑張ることへの希望。

・・・あえて大事件、事故の話題はふれないが、熱い時代であった。

・・・モーレツ、大きい事はいいことだ・・・。ため息路線。御三家。

グループサウンズ、フォークソング。ジャズ。

競争と優しさの時代。

ニヒルでも、のほほんでも、逆境でも順風満帆でも主観と客観の肯定と否定のバランスの救いに褒美と尊厳とバチと許しが希望と夢と生命力とやさしさときびしさと頑張りの程よい混沌があった。

感謝するやさしさとは?批判するこころとは?不満不平?満足安心とは?

 負荷にたいしての個々人の状態が限界を超えている。

肉体的、精神的限界も含めて負荷が超えている。よく環境(社会、家庭、世界、のあらゆるetc)を考える場合にミクロからマクロへあるいはマクロからミクロへと考えると状態をアバウトに捉えられることもある。例えば会社、家庭を外から眺める場合に、あそこの社員は・・・社長はああだ、こうだ、だから会社はきっとこうだろう?あるいは会社がこうだから社員は社長はこうだろう?家庭もまたしかりである。決め付けることはよくないとわかっていても得てして人は無責任に憶測をすることもあるかもしれない。状態の結論つけ、あるいは決め付けが状態をさらに偏向してみるようになるかもしれない。

・・・多角的視野の落とし穴かもしれない、分析や研究や統計の知恵の柔軟さの欠如による短絡的、目的結果を急ぐ焦りかもしれない。

・・・ようは、むずかしい言葉や論理や知識、知恵は進むことに否定はしないが、文明科学はできることなら、負荷が生命の状態を超えないようになじみながら進んでほしい願いは感じることを今思ったりします。微笑ましくありたいものです。

・・・なぜこいうことを書いたかというと、感謝する心と優しい気持ちが欠如してるのかなあと、思う事が自分自身が高校時代の生徒手帳をみて負荷と環境のバランスが今、どう変遷しているかを思った時、否定と肯定のバランスと時と負荷と状態のバランスを達観してふと感じた今日の思いです。経年劣化かもしれないし、経年循環かも知れないし、経年順化かもしれないし。徒然なる諸行無常感と欠伸と深呼吸の日。

 

                         

  

 

   

 

 

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