生協管理職労組いずみの掲示板は民主主義違反

数々の欺瞞、管理人のなりすまし、謎の掲示板「生協管理職労組いずみ掲示板」の考察

破廉恥掲示板と管理職労組がたどり着いたところ(6)

2008年11月16日 16時47分06秒 | Weblog
 予定どおり「管理職労組」ホームページ及び破廉恥掲示板問題に対する「管理職労組」の責任について検討を進めます。

 この間の考察を通じて、廉恥掲示板での言論統制や誹謗中傷行為の放置・容認、ホームページでの著作権侵害等の民主主義違反は「みなとさん」(みなと出版二十二の代表者と思われる人物)の「私怨(または義憤?)」による「みなとさん」主導のものであるという推定ができました。ついでに言えば、「運営を委託されただけ」の「管理人」が委託者のホームページを私物化し、自らの判断で投稿者を排除する等ということも明らかに反社会的行為です。

 従って、この問題に対する「管理職労組」の責任とは、「管理職労組」の所有するホームページ上で「みなとさん」が行った様々な民主主義違反を、「積極的に容認」したか、又は、「放置」した責任ということになります。この場合、その最大の責任者が「管理職労組」委員長・F氏であることは言うまでもありません。

 私は、過去に二回、F委員長に抗議文を送っています(直近のものは2006年12月24日付けブログに全文を掲載しています)。残念ながら、事態は改善されず、F委員長が沈黙を保ったまま、掲示板もホームページも休止状態となっています。多少とも「昔のF委員長」を知るメンバーからすれば、このような「知らぬふり」は、彼らしからぬ行為としか思われません。

 「管理職労組」としての責任について「深める」ために、私は、このようなF委員長の「頑な」とも言える態度(但し、それは反社会的行動への加担でしかないのですが)の原因について、一歩踏み込んで検討してみたいと思います。おそらく、2回~3回に分けた考察になると思います。

【 まずはメンバーの整理から 】

 「管理職労組」の責任を考える際に、告発者の一人であり創設以来書記長を務めたumeken氏と当初からの三役メンバーであったF委員長との関係、途中から参加したと思われる副委員長、書記長とをどのように考えるかと言うことが一つのポイントになります。

 まずは事実関係の整理を行いましょう。「管理職労組」三役メンバーとは、これまでのところ

1)umeken氏 : 結成(1999年?)以来、退職(2005年12月)まで書記長 … これは本人が2ちゃんねるに投稿した情報です。

2)Ⅰ副委員長(女性) : 結成以来(推測ですが)、退職(2007年12月)まで副委員長。

3)F委員長 :  結成以来、現在も委員長

4)Ⅰ副委員長(男性) : 2005年末~2006年4月までのいずれかの時期から、現在まで副委員長

5)T書記長 : 同上

以上の5名です(但し、2003年度以前の体制は不明ですから誤りがあるかも知れません)。なお、私は、以前のブログで「三役メンバー」と呼んではいるが、実質的にはこのメンバー+αが管理職労組のほぼ全容ではないかということについて、検討しています。詳細は2006年9月15日付けブログ「管理職労組の実態を検証する… その(1)」を参照下さい。

 また、上記の文章でⅠ副委員長・T書記長について「2005年末~2006年4月までのいずれかの時期から」という表現をしているのは、umeken氏の証言では「私は2005年12月末日に退職し、同時に結成以来書記長を務めてきた管理職労組の運営からも身を引きました」(2007年5月19日、2ちゃんねる投稿)とのことなのに、「活動カレンダー」(これが信じられるか否かはともかく)では臨時総会は2006年3月となっているからです。ホームページでの情報開示が行われたのは4月初旬(私が気づいて「挨拶投稿」をしたのが4月10日)と思われます。

【 ホームページ・掲示板とのかかわり 】

 「管理職労組」ホームページ・掲示板と称してはいても、ホームページは2003年度方針掲載以降休止、2005年度の自称「活動報告」と2006年度の方針もどきは「みなとさん」の作品ではないか、ということはこの間検討しました。告発者支援活動の広報担当であった「みなとさん」が実質的に所有・支配している「管理職労組」ホームページ・掲示板と「管理職労組」との組織的関係は実質的には早期に崩壊していたと考えられます。

 では上記の5名は、個人としては、どのようにホームページ・掲示板とかかわっていたのでしょうか?

 umeken氏については、実名以外に「灘の生一本」「河内のおっさん」名で投稿していることは既に指摘しました。また、「みなとさん」も掲示板に「先日、灘の生一本さんと意見交換をしました。」(2004年6月6日大阪湾の黒鯛名)等と投稿しています。〝生協の印刷物を受注していた会社に勤務〟という「みなとさん」の経歴とumeken氏が事業広報関連の仕事をしていたことを考えれば、「みなとさん」と告発者たちとのかかわりはumeken氏からはじまったのであって、両者は格別親しいとも考えられます。

 次にF委員長について、です。まず、実名投稿はありません。また、以前(2007年5月24日付けブログを参照ください)明らかにしたように、2004年~05年の2年間(2006年からは「大阪のやっさん」の多重投稿等の問題で大騒ぎになっていたので除外)で、「大阪のやっさん」及び彼の創作した人物、umeken氏を除けば、いずみの職員らしく思われる投稿は20件程度・ホストから判断して8名程度しかないのですが、その中に「管理職労組」としての何らかの主張を述べたものはありません。

 I副委員長(男性)、T書記長についても、F委員長同様に実名投稿はありません。2005年に7件、2006年に1件の投稿を行っている「デコポン」氏は、「25年前は班責任者会議が毎月開催されていて」(2005年9月30日投稿)等と述べていますから、F委員長、I副委員長、T書記長と同世代と思われます。「デコポン」氏が三名の内のいずれかである可能性はありますが、仮に、「デコポン」氏が三役メンバーのいずれかであったとしたら、「みなとさん」が孤軍奮闘していた時(後述)に「援軍」として参加しなかったことが不自然です。

 I元副委員長(女性)については、女性職員の投稿と思われるものが見つからないことから、実質的かかわりはなかったと思われます。「みなとさん」が成りすました「とんぼ」なる人物は、女性という設定ですが組合員を「自称」しています。(なお、「みなとさん」の弁明では、この組合員さんが、わざわざ神戸の「みなとさん」のパソコンから投稿しているということになります)

【 孤独な「みなとさん」への援軍は? 】

 これまで何回か明らかにしたように、ハンドルネームの多重使用や誹謗中傷行為等の労組掲示板としてあってはならない行為の規制を求める投稿者を「排除」するために、「みなとさん」は自ら成りすまし行為を行い、パペット=マペット的猿芝居を繰り広げました。「みなとさん」を支持する参加者がほとんどいなかったからです。

 2006年4月以降、「みなとさん」が演じた人物は「わしも組合員」(4月4日登場、以下日付は初登場日)、「私も組合員」(4月4日)、「第三者」(4月6日)、「気づいた人」(4月7日)、「ロム専」(4月8日)、「別の一組合員」(4月9日)、「とんぼ」(4月17日) … という凄まじさです。

 それなのに、そんな「奮闘」をよそに、「みなとさん」側について積極的に投稿したと考えられるのは、「掲示板初心者」氏(4月17日初登場)しかありません。この他に「いずみ職員」氏が一生協人に反対する立場から二回ほど投稿していますが、肝心な「大阪湾の黒鯛」(もちろん「みなとさん」)名の「言論弾圧提案」に対して「賛成」したのは「掲示板初心者」氏しかありません。

 「掲示板初心者」氏は、初回投稿で「ここって、『生協管理職労組いずみ』の掲示板ですよね?私は、いずみの中堅職員で配送担当なのですが、この度初めて好奇心で覗かせていただいています。」(4月17日)等と書きながら、すぐに素性を表して〝「大阪湾の黒鯛」氏が「規制の対象とすべき」と提案している「明らかに管理職労組を誹謗中傷する行為」とは一生協人の投稿そのものだ〟(4月29日タイトル「大阪湾の黒鯛さんのご提案に賛成します」)等の投稿を行いました。

 当初は、彼の投稿の作為性や、その中で「管理職労組」の方向付けにかかわるような重要な発言(職責は管理職であっても職階がそうでなければ管理職労組の組織対象ではない等)をいとも簡単にしてのけたことから、私自身も、「掲示板初心者」氏は「みなとさん」の救済のために駆けつけた労組三役メンバーではないかとの推測をしていた時期がありました。(書庫に収録している「名無し氏の人権侵害投稿と『管理職労組』」を参照して下さい)しかし、今となってはこの推測を訂正する必要があるようです。

 「管理職労組」の実態が相当早い時期から失われており、告発者支援メンバーであれば「管理職労組」の方向性について好き勝手に発言する事は十分考えられる(何しろ統一した実態がないから問題になりようがない)こと、「掲示板初心者」氏のホストからは2006年4月以前の投稿がないこと、投稿は兵庫県からなされていること、 … 等から、彼は「みなとさん」の依頼を受けて参加した「告発者支援メンバー」の一人(但し、「管理職労組」三役メンバー以外)と考えるのが妥当なようです。

 そして、掲示板が「存亡の危機」に立たされていた時でさえ「管理職労組」三役メンバーからの援軍参加がなかったとしたら、そのことは、umeken氏を除く三役メンバーが常日頃から掲示板にかかわっていなかったことの有力な「証拠」と考えてよいでしょう。

 もしかしたら、掲示板・ホームページで行われている全てのことは、umeken氏を除く三役メンバーにとって「預かり知らぬこと」だったのかもしれません。

【 umeken氏の「証言」との矛盾 】

 昨年、突如2ちゃんねる(及び私のブログのコメント欄)に登場したumeken氏は、「みなとさん」が行った言論統制等の反社会的行為を「擁護」して、

「自分が運営にかかわっていた当時は事前検閲等はなかった。管理職労組と管理人との関係が変わっていない限り、事前検閲等を意思決定し、管理人に指示、依頼したのは管理職労組執行部だろう。ことの責任は管理職労組執行部に帰するものと思う。」(2007年5月19日)

「(自由な意見発表の機会、反論の場を)『奪った』決定と責任は管理職労組執行部にある」(2007年5月21日)

と、二度にわたって、ことの責任はumeken氏が抜けた後の「管理職労組」執行部にあると証言しています。umeken氏のこの「証言」が事実に反することは、既に明らかにしました(2007年5月31日付けブログを参照して下さい)。今回、F委員長たちに焦点をあてて過去の投稿等を調べてみた結果、彼らが掲示板とのかかわりをもっていなかった可能性が高いことが明らかになりました。

 umeken氏は事実を捻じ曲げて、「みなとさん」の責任を「管理職労組」の現執行部(=三役メンバー)に押し付けているとしか考えられません。その理由は何なのでしょうか?

 掲示板を自らの「憂さ晴らしの場」として維持するために、成りすましや誹謗中傷行為等を擁護しようとした「みなとさん」の孤独・悲壮(むしろ滑稽と言うべきでしょうが)な「戦い」に対して、援護すらしなかった現三役メンバーの「冷淡さ」に対して、「みなとさん」の盟友であるumeken氏が「意趣返し」を行ったのでしょうか?

 F委員長たちの「冷淡さ」(これが事実であったとして)について言えば、その理由はあきらかでしょう。

 元々、umeken氏とのつながりで、「みなとさん」が「告発者」支援の広報活動として運営したホームページ・掲示板に対して、umeken氏以外のF委員長たちはほとんど参加することがないまま、「告発者」たちが離職し、「管理職労組」は実態を失い、やがて最後に残ったumeken氏も職場を去る … 結局のところ、F委員長たちがホームページ・掲示板にタッチしないままに事態は推移したのでしょうし、umeken氏の離職によって、F委員長たちとの関係が変化した事も考えられなくはありません。

 結局のところ、F委員長たちにとっては、「告発者」の離職も、「管理職労組」の顛末も、ホームページ・掲示板を巡る大騒ぎも、全ては「自分の知らない所で」推移した … 少々極論すれば、そのような実態があったのではないでしょうか。

 そして、「管理職労組」に残ったのは、当初からの三役メンバーとしてはF氏のみ。F委員長に残されたものは、「みなとさん」の痕跡が隠されF委員長が「所有者」として責任を問われる「更新されないホームページ」と「閉ざされた掲示板」ということなのかもしれません。

【 現三役メンバーの「傍観者」ぶり? 】

 それでは、F委員長や他の三役メンバーは、事態を何故放置しているのでしょうか?放置することに何らかのメリットがあるのでしょうか?次回は、そのことについて考えてみたいと思います。

 なお、繰り返しになりますが、「管理職労組」の考察については「情報が公開されていない」ことから多くを推論に頼らざるを得ません。推論に誤りがあれば、訂正・お詫びする事に吝かではありません。仮に私の推論に対して「管理職労組」や「みなとさん」からの反論等があれば、このブログに掲載させていただきます。

 もちろん、事実に基づかない誹謗中傷の禁止等民主主義的コミュニケーションのルールについて遵守いただくことは前提です。