生協管理職労組いずみの掲示板は民主主義違反

数々の欺瞞、管理人のなりすまし、謎の掲示板「生協管理職労組いずみ掲示板」の考察

貴方のコメントは「むごい」のではありませんか?

2007年10月16日 22時08分26秒 | Weblog
 「あははは」氏、「名無し(@_@;)」氏からコメントがありました。「名無し(@_@;)」氏のコメントは「あははは」氏に対するもののようですので、ここでは、「あははは」氏のコメントについて、少しだけこたえておきましょう。

【タイトル「あんたの論文はすごいね!」 投稿日2007年10月14日】

(1)最初から、「俺は正しい」から始めるのは馬鹿な私には理解できません。
 
 私のブログのどの論考も、「俺は正しい」からはじめていません。今回のように、検討すべき相手の文章を真面目に検討するところからはじめています。論拠となる何らかの事実あるいはそれから展開した推論及びそのような推論の過程を出来る限りオープンにしながら論考をまとめるようにしています。これは、一面では自分で検証しながら文章を書いているからです。もちろん、その基本姿勢からの逸脱等の不備はあるかもしれませんが。

 従って、一生協人のブログのどの部分をもって『「俺は正しい」からはじめている』というのか、おそらく「あははは」氏には示せないのではないかと考えます。そして、仮に、『自分にはどこが「俺は正しい」からはじめているかを示すことはできないが、兎にも角にも自分にはそう思える』…ということであれば、「俺は正しい」からはじめているのは、一生協人ではなく「あははは」氏のほうだということになります。

 自分・「あははは」は、一生協人は「自分が正しい」から始めていると感じる。故に、「一生協人は自分が正しいからはじめている」のだ … これが「あははは」氏の主張の本当の姿ではないですか?

(2)もっと感情を剥き出ししたらどうですか?
 
 この文章が(1)の文章とどのようにつながるのか理解に苦しみます。「俺は正しい」からはじめるというのは「感情に囚われた行為」だと思われるからです。「あははは」氏は、一生協人に理性的な対応を求めているのではないのでしょうか。

 仮に「あははは」氏が言う「感情をむき出しにする」ということが、本音で書くとか、本音を語るとか言うような意味だとしたら(解釈にかなりな無理がありますが)、私自身は常に本音で語っています。おそらく「あははは」氏は、この点についても、「一生協人が感情をむき出しにしていないのはこの部分だ」と言う具体的な指摘はできないのではないでしょうか。

(3)私から見れば、冷静さを装い何時までも過去を背負う人にしか感じません。

 「あははは」氏が、一生協人を「何時までも過去を背負う人にしか感じ」ないことは当然でしょう。何故なら、「あははは」氏自身が「何時までも過去を背負っていて」、そこから一生協人を見ているとしか考えられないからです。

 私の9月2日付けのブログから引用します。

 『一連の不祥事から10年が経過し、いずみの改革も相当レベルまで進んできたと多くの人々が実感しています。それなのに、いまだに「管理職労組」ホームページや掲示板を「支配」して「いずみ市民生協に否定的な情報を流布すること」に執念を燃やす偏執狂的人物がいて、その悪行が指摘され・問題化しそうになると自分のしたことをごまかそうとしています。そして、このごまかしは、この5月に起こったばかりの「今の問題」です。』

 次に8月28日付けのブログから引用します。

 『「管理職労組」のホームページ・破廉恥掲示板とも完全休業状態であることから、事実上の決着はついていると言えるのでしょう。しかし、管理職労組のメンバーには、「みなとさん」ご一行(みなと出版二十二の代表者と思われる人物やウメケン氏及びその仲間と思われる人物)のような無責任な対応で済ませてほしくありません。管理職労組メンバーは、今現在もいずみ市民生協で働く仲間だからです。働く仲間たちが、組合員が、彼らの対応を見ています。』

 以上、私が一貫して問題にしているのは、今現在の問題です。過去の問題ではありません。それなのに、「あははは」氏には「一生協人は過去を背負う」としか見えないとしたら、その理由は何でしょうか。これは推定であると言うことを前提に、率直に言わせて貰うなら、それは「あははは」氏が今現在進行している事実から目をそらし、その事実について論評することから逃げているからとしか思われません。

 「あははは」氏よ、貴方は、「管理職労組」ホームページの悲惨な状況 – 例えば「みなと出版二十ニ(の代表者と思われる人物)」が実質的にホームページを乗っ取って、言論弾圧等の反社会的行為を繰り返した挙句、自身への責任追及を逃れる為に逃亡したこと。それらの経過の中で、今現在はホームページが多くの問題点を抱えたまま放置されていること ・・・ 等々を肯定されるのですか?

 私のブログの目的は、過去の論評ではなく、これら現在進行形の問題の解明であり解決に他なりません。私が過去のことを考察するのは、この目的に必要な範囲でのことです。このような私の行為が「過去を背負う」としか見えないのは、率直に言って「あははは」氏が今現在の問題をリアルに見つめ、判断することを避けて、過去のことしか見ていないからなのではないですか。

 この問題でも、「いつまでも過去を背負っている」のは一生協人ではなく「あははは」氏ではないのですか?
 
 なお、名無し(@_@;)のコメントが「あははは」氏に対するものであるなら、その認識は一生協人の考え方とかなりの部分で一致しているということを申し述べておきます。