バカン・ワリスは、台湾原住民の村「霧社」では誰もが認める美人だった。
1908年生まれ、モーナ・ルダオと同じ「マヘボ社」出身、その可憐な容姿で「霧社の花」といわれていた。「霧社事件」当時、22歳、事件の中を逃げ延びて生き残った数少ない原住民の一人だ。
タイヤル族やセデック族を語る時、どうしても「霧社事件」を引合いにださざるを得ないが、それは100人を超える日本人を殺した「霧社事件」が大きな出来事であったからであり、反対に、もしこの事件が起きていなければ、「バカン・ワリス」も「モーナ・ルダオ」も歴史の舞台には登場せず、我々もその存在を知ることはなかったはずだ、とも思われるからである。
1990年、「台湾 霧社に生きる」の著者、柳沢通彦はその本の中で、インタビューした「下山 一」が「バカン・ワリス」に会ったときのことを書いているが、その時バカン・ワリス82歳になっていたが、下山 一は彼女を見て「初々しい山の娘が、そのまま歳をとったようだ。」と感想をもらしている。美人は歳をとってもどこかその面影が残っているものなのである。
ちなみに、下山 一(中国名 林光明 1914年生まれ)は、霧社に駐在していた警部補「下山治平」と原住民の妻「ピッコタウレ」との間にできた子供であり、存命とすれば100歳近く、埔里市に住んでいる。霧社事件後、セデック族は、台中県の川中島に強制移住させられたので、バカン・ワリスもそこで暮らしていた。下山 一は、柳沢の依頼で会いに行ったと思われるが、彼女は、孫たちに囲まれて暮らしており、日本語はほとんど忘れてしまっていたが、、代わりに山の歌をうたってくれたという。
どのような美人か気になるところだが、幸いなことにその写真が残っていた。写真は「霧社討伐写真帖」という、「霧社事件」を記録した雑誌に載っていた。国会図書館にでも行けばみられるであろうが、「霧社の三美人」と題された写真には、バカン・ワリスを真ん中にして、その両側に妹の「ウマ・ワリス」ともう一人の娘が写っていた。年齢はティーンエイジの頃と思われ、民族衣装を着た三人は、すらりとしたかわいい山の娘たちだ。確かに、ほんとうに美人でかわいい。
さて、そのバカン・ワリス、結婚したが、1年ほどで離縁されてマヘボ社の実家に帰ってきた。男たちが、そんな美人をほっとかないのは、古今東西変わらないが、そのバカンに痛く心を奪われたのが、「モーナ・ルダオ」の長男の「タダオ・モーナ」だった。
タダオ・モーナは何とかして「バカン・ワリス」を得ようとしたが、妻もいれば子供もいる。まして、頭目の長男であれば、世間の目も厳しい。自分が独身で、他の男とバカンの奪い合いをするのであれば、早く首をとったほうが勝ち、ということになるのであるが、そういうわけにもいかない。タダオ・モーナは、夫と別れたばかりのバカン・ワリスの後ろ姿を見て、悶々とした日を過ごしていた。
ピホ・ワリスによれば、タダオ・モーナのこのむしゃくしゃした気持ちが、「霧社事件」を起こした大きな要因の一つであると「霧社緋桜の狂い咲き」という本の中で書いている。1929年から1930年頃のことであろうが、日本人警察の非道な扱いに対して、反乱を起こす計画が進行中であり、その実行を強く主張したのがタダオ・モーナだった。彼の内には、バカンワリスのこと、また吉村巡査に暴行をはたらいたことで、官憲に目をつけられていることなどが、悩みとしてあった。
彼の行きどころのない悩みが爆発したのは、1930年10月27日の未明だった。日本人殺害計画は、その日に予定されている運動会で実行する手筈であったが、タダオ・モーナは、まず手始めに、造材地にいる吉村巡査や近くの駐在所に勤務している杉浦巡査の首を切って喊声をあげた。日本人134人の命を奪った「霧社事件」のはじまりだった。
この後、タダオモーナは、父モーナ・ルダオの後を継いで勇敢に闘うが、やがて日本軍に追いつめられてしまう。弾薬や食糧がない状態で仲間がつぎつぎ自決していく。そこへ日本軍に投降した妹のマホン・モーナが日本軍の降伏勧告の使者となってタダオ・モーナのところにやってくる。タダオ・モーナはその話を聞いて「投降」ということも考えたが、日本人が自分を許すことは絶対あり得ない。セデックの勇者として闘いの場で死ぬしかないと考えていた。しかし、死ぬにしても、のどが渇き腹が減った状態では死ぬに死ねない。
そこで、タダオ・モーナは、仲間とともに投降するからと嘘をいい、妹のマホン・モーナに酒を要求する。やがて酒が届くと、部下とともに飲み、立ち上がり、歌いながら踊りだした。歌の内容は、死んだ妻や息子たちのことだ。要は、自分ももうすぐそちらに行くから、待っててくださいという悲しい内容だ。マホン・モーナはそれを聞いて、兄は投降する気がないことを悟る。
踊り終わると、妹のマホン・モーナに向かって「自分の土地は全部お前にやる。」との遺言を残し、数人の部下とともにマヘボの森に消えてゆき、酔いの醒めないうちに縊死を遂げたという。
タダオ・モーナのバカン・ワリスへの片思いだけが「霧社事件」の原因ではないが、それにしても悲しい恋の結末ではないでしょうか。
以上
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