「日月潭に消えた故郷」という本を読みました。著者は坂野徳隆氏、台湾の少数民族の歴史や生活をあつかったルポルタージュです。この本を読んでいて気になったのが「風水」のことでした。タイトルにした「龍穴」はこの風水における特別な場所のことです。
坂野氏は、日月潭を見下ろす湖畔にたつ文武廟を訪ねた時のことを書いています。文武廟とは孔子や関羽などを祭っている日本の神社のような場所です。その文武廟から湖に向かって下り林の抜けていくと、蒋介石の聖地という場所に出るといいます。そこは「中正広場」になっており日月潭を見渡すように蒋介石の像がたっているといいます。
そのあたりを歩いていると、坂野氏の本からそのまま引用すれば、「今まで感じたことのない、手先がビリビリと痺れるような感覚に気がついた。」というのです。そのまま湖畔の松林を歩いて行くと、「はじめて感じる形容しがたい心地よい感覚と時間が飽和したような幸福な静寂につつまれていた。」という体験をしたといいます。
つまり、そこが正に台湾の龍穴だというのです。風水学においては繁栄の源になる大きな運気の流れが「龍脈」であり、それは山脈を伝わって動き、地上に流れ出る特別な場所が「龍穴」だという。台湾の中央山脈には三千㍍を超す高山が連なっていますが、九つの龍脈がそこを南から北へ循環しているという。日月潭は台湾の中央にあり「龍気」が集まる地点なのだという。
これを読んだ感想を率直にいえば、「本当かな?」という気持である。日月潭の文武廟には二度行っています。高台にある廟からの日月潭は確かにすばらしい。そこをちょっと下れば蒋介石の像のある「龍穴」近くに行けたので、今から考えると少し惜しい気がしていますが、しかし、本当に手がビリビリするような感覚に誰もがなるのでしょうか。
坂野氏は、自分はけっして霊感が強い体質ではないとことわり、さらにその体験を聞いた知人がそこを訪ねると、同じような感覚を得たというのを聞いて唖然としたいう。
気というものが存在することをけっして疑わないが、そのような大きな気の流れを誰もが感じられる場所が本当に存在するのであろうか。
来春にはまた台湾行きを計画しているので、この「龍穴」の話が真実か否か確認してこようと思います。
坂野氏は、日月潭を見下ろす湖畔にたつ文武廟を訪ねた時のことを書いています。文武廟とは孔子や関羽などを祭っている日本の神社のような場所です。その文武廟から湖に向かって下り林の抜けていくと、蒋介石の聖地という場所に出るといいます。そこは「中正広場」になっており日月潭を見渡すように蒋介石の像がたっているといいます。
そのあたりを歩いていると、坂野氏の本からそのまま引用すれば、「今まで感じたことのない、手先がビリビリと痺れるような感覚に気がついた。」というのです。そのまま湖畔の松林を歩いて行くと、「はじめて感じる形容しがたい心地よい感覚と時間が飽和したような幸福な静寂につつまれていた。」という体験をしたといいます。
つまり、そこが正に台湾の龍穴だというのです。風水学においては繁栄の源になる大きな運気の流れが「龍脈」であり、それは山脈を伝わって動き、地上に流れ出る特別な場所が「龍穴」だという。台湾の中央山脈には三千㍍を超す高山が連なっていますが、九つの龍脈がそこを南から北へ循環しているという。日月潭は台湾の中央にあり「龍気」が集まる地点なのだという。
これを読んだ感想を率直にいえば、「本当かな?」という気持である。日月潭の文武廟には二度行っています。高台にある廟からの日月潭は確かにすばらしい。そこをちょっと下れば蒋介石の像のある「龍穴」近くに行けたので、今から考えると少し惜しい気がしていますが、しかし、本当に手がビリビリするような感覚に誰もがなるのでしょうか。
坂野氏は、自分はけっして霊感が強い体質ではないとことわり、さらにその体験を聞いた知人がそこを訪ねると、同じような感覚を得たというのを聞いて唖然としたいう。
気というものが存在することをけっして疑わないが、そのような大きな気の流れを誰もが感じられる場所が本当に存在するのであろうか。
来春にはまた台湾行きを計画しているので、この「龍穴」の話が真実か否か確認してこようと思います。