goo blog サービス終了のお知らせ 

台湾大好き

台湾の自然や歴史についてのエッセーです。

台湾独立派(2)

2012年09月25日 | エッセー
王育徳は、著書「台湾」のあとがきで

「台湾の独立は、台湾人が中国人と全面対決することである。中国から出た台湾人がなぜ中国人と対決せざろう得ないのか。その由来を追求しなければならない。」と言いましたが、

彭明敏は、その由来を追求し、国民党の中国人と対決しました。

彭氏は、鳳山出身・1923年生まれ、李登輝と同い歳でしょうか。東大から台湾大学に学び、さらにパリ大学で法学博士の学位を取得。彭氏に災いが降りかかったのは、台湾大学法学院の政治学主任教授のときでした。

1964年10月23日、警備総司令部は「反乱罪」の容疑で彭明敏を逮捕した。容疑の内容は、「台湾自救連盟」の名で宣伝パンフレット作成したためであった。

王育徳の「台湾」からの引用になりますが、そのパンフレット内容がすごい。時の権力者に対して、歯に絹を着せぬいいかたで、事の本質を喝破した。あまりにはっきりものを言われたので、蒋介石も度肝をぬかれ、どう処置しよいか戸惑ったと思われます。

パンフレットには、おおよそつぎのように書かれていたようです。

1、一つの中国、一つの台湾は厳然たる事実と主張。国府の唱える「正統中国」を真向から否定。大陸反攻は絶対に不可能といいきる。
中共の強大さは、百年来外国の侮りに甘んじてきた民族主義者たちの等しく誇りにするところで、腐敗無能の蒋介石のまねのできる業ではない。

2、誰のために、そして何のために戦うのか。
台湾人兵士の頭の中には、228事件で台湾人指導者を虐殺した恨みがあり、沈黙を守っているが、徹頭徹尾、蒋介石の「無言の敵」である。

3、宣言は最後に三つの目標と八つの原則を掲げている。1200万人の島民が省籍の如何を問わず、誠意
をもって合作し、新しい民主国家をつくり、自由世界の一分子として世界平和に貢献すべきだと説いています。

4、中国には二つの価値基準があった。一つは国民党の極右的なもの、一つは共産党の極左的なもの。われわれはこの二つの価値基準から離脱すべきであり、この二つの政権に対する依頼心をぬぐい去らなければならない。

5、国民党でも共産党でもない、台湾から第三の道、自救の道を選びださなけれなならない。

 それにしても彭明敏の勇気はすごい。単純明快にしかも思い切りよく蒋介石を「腐敗無能」と切って捨てたのは、さあどうだ、殺れるものなら殺ってみろというところでしょうか。考えようによっては、蒋政権を倒すための捨て石になる覚悟だったような気もします。こんなことがあっても、蒋経国はひたすらわが道をすすみますが、ようやく変化が見られたのは、彭明敏の事件の後、20年余がたってからでした。

1984年 「蒋経国伝」を出版した台湾出身のアメリカ人を殺害。しかし、この後、蒋経国は人が変ったように民主化に進みます。

1986年 民進党が成立します。これは、彭明敏が所属した「台湾自救連盟」と関係があるのでしょう。死を予感した蒋経国の頭の中には、蒋家の支配やめて台湾が民主的な国家になる見取図ができていたようです。
1987年 戒厳令解除
1988年 蒋経国死去
1996年 民主的な総統選挙

台湾出身の李登輝が総統に選出されて、民主化の道を歩き始めました。
  

台湾独立派(1)

2012年09月23日 | エッセー
王育徳が書いた「台湾」という単行本は、台湾人を理解するうえで大変参考になりました。

 著者は、1924年台南生れ、1943年東京大学文学部シナ哲学科に入学、台湾に戻った時、演劇活動を起こして国民政府を批判します。228事件でかろうじて一死を免れ日本へ亡命。この本を出版した当時の1963年当時は、明治大学教授でした。現在生きていれば、88歳になっています。当時、氏は「台湾独立連盟中央委員」とのことでしたが、今もこの独立連盟は存在しているのでしょうか。

 王育徳は「まえがき」で、本の出版に際して死を賭したと書いています。歴史という学術的な本を出版するのに決死の覚悟をするなどという状況は、現代の日本人が実感するのはむずかしい。しかし、蒋介石の国民党が支配していた台湾では、言論の自由はおろか歴史の研究すら認められてはおらず、台湾人が自分の歴史を知ろうとすること自体が弾圧の対象になったことを考えれば笑い事ではすまされません。たとえ出版するのが一応安全な日本であっても、国民党の手先はどこにでも入り込んでいるからと心休まることがなかったようです。

 実際、この決死の覚悟が現実のものになった事件が、この出版から21年後、アメリカで起きました。1984年、江南というアメリカ籍の台湾人ジャーナリストが「蒋経国伝」を出版しましたが、まもなく江南氏はサンフランシスコの自宅で国民党の秘密組織により射殺されました。王育徳の恐れていたことが現実のものになったのです。不法なテロなので殺害の理由はわかりませんが、支配者を簡単に論じプライバシーに触れたため、その怒りをかっただろうことは間違いありません。蒋家が支配する台湾では、民族・国家・歴史などの研究や発表は、国家反逆罪のように扱われていたようです。

 独立派の王育徳は怒ったように書いています。
台湾は台湾人のもので台湾人が真の台湾の主人公である。しかし、それが支配者の気に食わない。支配者は自分の都合にいいように歴史を歪曲し、権力と財力にものをいわせて歪曲した歴史を全世界に向けて宣伝した、と。
そして、
台湾の独立は、台湾人が中国人と全面対決することである。中国から出た台湾人がなぜ中国人と対決しなければならないのか。その由来を追求しなければならないという。

その由来を追求したのが彭明敏であり、テロで殺された江南だったのではないでしょうか。
台湾の歴史は、蒋経国の死後大きく変わっていますが、歴史として何が起こったのかを知ることは現代を理解するうえで大いに役立つと思います。

本省人と外省人

2012年09月21日 | エッセー

 台湾の社会を複雑にしているのは、本省人と外省人の存在だろう。

 本省人は、蒋介石が台湾に来る前から住んでいた住民だし、外省人は、大陸で共産党との戦いに敗れた国民党が台湾に逃れてきた時に、一緒に来た兵士やその家族だ。外省人は、大陸での抗争には負けたが、台湾では統治者として、本省人に命令し横暴な政治を行った。統治者にはなったが、外省人の多くは教育程度は低く、なにより道徳観念が希薄で、汚職などは日常茶飯事。そんな奴らに命令される本省人は腹がたって仕方がなかったのだ。

 この二つのグループは、今では228事件と呼ばれる衝突で最高潮に達し、外省人は本省人を徹底的に弾圧したという歴史がある。その後は、蒋介石とその息子の蒋経国の時代を通じて、戒厳令が敷かれ言論の自由はなく、本省人は自分たちの歴史すら学ぶことができない時代が続く。

 この恐怖政治は蒋経国の死まで続き、本省人が政治を自分たちの手に取り戻したのは、台湾生まれの本省人・李登輝が総統に就任した時だった。

 さて、前置きが長くなったが、政治の主役になった本省人は、自分たちこそが台湾人であり、国民党を中心とする外省人は単なる訪問者であり、本物の台湾人ではないという。台湾の大部分を占める本省人の多さからすれば、自然な結論だろう。

 ただ、わたしの脳裏には一つの疑問が残る。それは、もし蒋介石が率いる国民党が台湾に来なかったならば、台湾の歴史はどうなっていたかという点だ。国民党の抵抗がなければ、台湾は間違いなく「共産党」の統治下になっていただろう。

 とすれば、自由と外貨保有高世界一の台湾の今日の繁栄はなかったはずだ。仮想の結論だが、異論はないだろう。とすれば、国民党を中心にする外省人の存在は大いに意味があるのであり、外省人もやはり、台湾の歴史をつくった台湾人に違いないと思う。
 
 本省人は、このことをどう考えているのだろうか?


テレサ・テン

2012年09月20日 | エッセー
台湾の友人からメールが届いていた。
添付されていたyoutubeをクリックすると、トップにテレサ・テンが出ていました。
15周年とか何とか書いてあるので、そうか亡くなってから15年も経つのかと改めて思いました。

この歌姫は、42歳で生涯を閉じているので、
生きていれば57歳か、などとつまらないことを考えたりします。

そういえば、この春「九分」へ行った時、
近くにあるらしいテレサの墓に行けなかったことを思い出しました。
なぜ行けなかったかと考えると、
「千と千尋の神隠し」のモデルになった遊郭の屋上でコーヒーを飲んだ時、
そこから見下ろした海の景色があまりに美しかったからでした。

youtubeで、テレサはきれいな北京語で何か思い出すように話しています。
しばらくすると、歌いだしました。
「獨上西楼」です。
ひとり、西楼に上がる、という意味でしょうか。

いつだったか、
誰かがテレサの「獨上西楼」はいい歌だよと言っていたことを覚えており、
一度聞いてみたかった曲です。

好きな人と別れ、寂しい心を歌っているようです。
ちょっぴりハスキーで甘えるような声は、心に響きます。

あらためてテレサが好きになりました。
42歳で旅立ったことは、惜しいことですが、
でもその笑顔は永遠に変わらないことを考えると、複雑な思いになります。  以上

尖閣諸島と台湾

2012年09月16日 | エッセー

 最近問題になっている尖閣諸島と竹島の領有問題について、結論的にいえば、韓国が実効支配をしている竹島については、どうにもなりませんが、日本人が所有している尖閣諸島については、国が早期に買収して実効支配を強め、中国に対しては一歩も譲歩してはならないということでしょう。

 この点は、日本の政治家の意見は一致しているようですが、一つ気になるのは石原都知事の息子さんの石原伸晃さんが気になる発言をしていることです。伸晃さんはいま自民党の総裁選に立候補していますが、その意見は、尖閣諸島について中国が難癖をつけてくるのは、国の買取問題について事前に中国に対して、きちんと説明をしていなかったからだというのです。つまり、事前に説明していれば、こんな問題は起きなかったというのですが、これは伸晃さんの認識不足であり、日本人の常識で中国人を理解しようとする間違いなのです。
 

  たとえばの話ですが、日本では自分の家を建て替える場合などは、隣家に対してタオルなどをもっていって、建て替え工事をするのでよろしくなどと挨拶するのが常識ですが、中国ではそんなことはしません。もし、そんなことをしたら境界に何か問題があるかもしれないからだと勘繰られるのが関の山です。中国や台湾では、自分の土地に何をしようと挨拶などは不要です。伸晃さんが、事前に説明していれば、中国政府が「はい、わかりました。」とでも言うと考えているのでしたら、この人の外交能力は極めて貧弱というしかありません。

 さて、はなしを本題にもどしますが、台湾は尖閣諸島についてどう考えているのでしょうか。現在与党の国民党はの馬総統は、「尖閣に対する主権を堅持し、漁業権を保護し、平和的処理するように。」と指示して、台湾の主権を主張しています。その主権とは、清国から全土を受け継いだ中華民国の領土の一部だというのです。蒋介石などは、台湾に来た当初、真剣に大陸奪還を考えていたようですから無理もない話です。

 この尖閣問題について、たいへん印象に残った意見が、李登輝元総統の台湾北部の大学での講演でした。この講演で、中国の留学生の質問に対して、尖閣諸島は「日本領」であると主張し会場は騒然となったと新聞記事は報告していました。

 李登輝の主張は、「尖閣諸島が中国ものなら、台湾も中国ものになってしまう。」発想が原点にあります。したがって、国民党が主張するように、尖閣は台湾のものだともいいません。あえて、尖閣は日本という第三国のものだということより、台湾の独自性を保とうとした極めて政治的な判断だといえます。

 台湾海峡をはさむ両岸の未来についての質問にたいして、李登輝は「台湾は中国ものではなく、未来の民主化のモデルにして、自由と民主主義について学んでほしい。」と結んだといいます。
柔軟な思考で発想を転換して、尖閣諸島の領有について判断した李元総統の英断に敬服しています。  以上