「台湾の独立は、台湾人が中国人と全面対決することである。中国から出た台湾人がなぜ中国人と対決せざろう得ないのか。その由来を追求しなければならない。」と言いましたが、
彭明敏は、その由来を追求し、国民党の中国人と対決しました。
彭氏は、鳳山出身・1923年生まれ、李登輝と同い歳でしょうか。東大から台湾大学に学び、さらにパリ大学で法学博士の学位を取得。彭氏に災いが降りかかったのは、台湾大学法学院の政治学主任教授のときでした。
1964年10月23日、警備総司令部は「反乱罪」の容疑で彭明敏を逮捕した。容疑の内容は、「台湾自救連盟」の名で宣伝パンフレット作成したためであった。
王育徳の「台湾」からの引用になりますが、そのパンフレット内容がすごい。時の権力者に対して、歯に絹を着せぬいいかたで、事の本質を喝破した。あまりにはっきりものを言われたので、蒋介石も度肝をぬかれ、どう処置しよいか戸惑ったと思われます。
パンフレットには、おおよそつぎのように書かれていたようです。
1、一つの中国、一つの台湾は厳然たる事実と主張。国府の唱える「正統中国」を真向から否定。大陸反攻は絶対に不可能といいきる。
中共の強大さは、百年来外国の侮りに甘んじてきた民族主義者たちの等しく誇りにするところで、腐敗無能の蒋介石のまねのできる業ではない。
2、誰のために、そして何のために戦うのか。
台湾人兵士の頭の中には、228事件で台湾人指導者を虐殺した恨みがあり、沈黙を守っているが、徹頭徹尾、蒋介石の「無言の敵」である。
3、宣言は最後に三つの目標と八つの原則を掲げている。1200万人の島民が省籍の如何を問わず、誠意
をもって合作し、新しい民主国家をつくり、自由世界の一分子として世界平和に貢献すべきだと説いています。
4、中国には二つの価値基準があった。一つは国民党の極右的なもの、一つは共産党の極左的なもの。われわれはこの二つの価値基準から離脱すべきであり、この二つの政権に対する依頼心をぬぐい去らなければならない。
5、国民党でも共産党でもない、台湾から第三の道、自救の道を選びださなけれなならない。
それにしても彭明敏の勇気はすごい。単純明快にしかも思い切りよく蒋介石を「腐敗無能」と切って捨てたのは、さあどうだ、殺れるものなら殺ってみろというところでしょうか。考えようによっては、蒋政権を倒すための捨て石になる覚悟だったような気もします。こんなことがあっても、蒋経国はひたすらわが道をすすみますが、ようやく変化が見られたのは、彭明敏の事件の後、20年余がたってからでした。
1984年 「蒋経国伝」を出版した台湾出身のアメリカ人を殺害。しかし、この後、蒋経国は人が変ったように民主化に進みます。
1986年 民進党が成立します。これは、彭明敏が所属した「台湾自救連盟」と関係があるのでしょう。死を予感した蒋経国の頭の中には、蒋家の支配やめて台湾が民主的な国家になる見取図ができていたようです。
1987年 戒厳令解除
1988年 蒋経国死去
1996年 民主的な総統選挙
台湾出身の李登輝が総統に選出されて、民主化の道を歩き始めました。