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台湾大好き

台湾の自然や歴史についてのエッセーです。

青境農場

2013年04月07日 | 旅行
 この農場は標高1700mほどの高原にある牧場である。その昔、反共ゲリラが入植した開拓地だったらしいが、現在は、観光客を相手に羊と犬のショーを見せる観光業に変わっている。台湾とはいっても、この高さまで来ると、夏でも上着は必要な気温であり、その爽やかさは格別である。

 ここへのルートは、埔里から霧社を経るルートでバスで50分くらい、台中から1時間くらいの距離で中央山脈の中にある。途中の霧社は、標高1,100m、植民地時代の1930年に山地原住民による日本人殺戮事件があった、いわゆる「霧社事件」が起こった地であり、今も訪れる日本人がいるようだ。実は、私もその一人で、荒れ果てた日本人の慰霊碑や原住民のリーダーの「モーナ・ルダオ」の墓を見てきた。
 
 霧社の話は、ともかくとして、青境農場はそこからさらに山に登ったところにあり、見上げれば中央山脈、下を見れば「碧湖」が一望できる高山地帯にある。私たちが今回泊まった宿泊施設は、民宿で青境農場からさらに上の標高1900メートルにあるリゾート地だった。このリゾート地については、「ブルーガイド、わがまま歩き 台湾」のガイドブックにささやかに紹介されているので、ここに引用してみよう。

「青境農場は海抜1700m前後の高原地帯で、「台湾のスイス」とも「雲の上の桃源郷」とも称されている。夏でも涼しく、避暑地として人気がある。青草農場を中心に、「スイス庭園」、ホテルの「青境国民賓館」などの施設が点在する。周辺にはヨーロッパ風の館やロッジを模した「民宿が100軒近くも立ち並ぶ。」

 だいたい想像できたでしょうか。ブルーガイドには写真が載っているので、見ていただきたいが、実際に見るとその景観は溜息もので、これが台湾かといいたくなるほど驚くような異国情緒があります。
 ただ、私が言いたいのはここからなのだが、引用した文中に、「周辺にはヨーロッパ風の館やロッジを模した「民宿」が100軒近くも立ち並ぶ。」という点だ。ブルーガイドにはここから先の説明は何もない。しかし、これらの民宿という宿泊施設が何ともすばらしい。

 この民宿が、日本の民宿と異なることはすでに書いた。日本の感覚では、ヨーロッパ風の高級ペンションというのがぴったりだろう。こんなペンションがずらりと並んでいるから、ブルーガイドブックでは「台湾のスイス」と表現したのだと思う。

 私たちが泊まった民宿をのことを詳しく記録しておこう。
 民宿の名刺には、「娜嚕湾渡暇景観木屋民宿」と書いてある。
 住所:南投県仁愛郷大同村仁和路206号
 電話:049-280-3099
 
 民宿の名前についてだが、娜嚕湾(ナロワン)という休日を過ごす景観の素晴らしい宿という意味だろう。民宿の受付け前の駐車場の周りには、桜が植えられ、それを囲むように杉やヒノキなどの大木がたっている。桜の花はなく、赤い実をつけている。山の斜面に雛段のようにつくられた宿泊棟は、たくさんの樹木に囲まれて涼しそうだ。しかし、実際そこの標高は2,000m近くあり、夕方の気温は15度くらいで、3月気候では暖房が必要である。そのためかロッジ風の部屋は二重窓で、ベッドには電気毛布が用意されていた。部屋はシンプルだが、普通のホテルと変わることはない。テレビ、冷蔵庫、シャワーとトイレなど。エアコンがないのは、北海道と同じで、冷房は必要ないからだ。

 そこで、気になるのはお値段だが、私たちは親子三人で、三人部屋、ダブルベッドとシングルベットが置かれている部屋で、NT3,000(日本円で約9,000円)だった。料金設定はNT3,800だったらしいが、20%割引してもらった結果だ。但し、朝食だけであり、B&Bの意味だろうか。ちなみに近くのホテルには、B&Bと明確に看板を出しているホテルもあった。夕食は併設のレストランで食べたが、5人のグループで中華をいろいろ注文してビールを飲み、一人あたり日本円で1,000円位、多少高いかなという感じであった。

 併設のラウンジにはグランドピアノが置いてあり、夜はグラスを傾けながら、かわいい小姐の弾くピアノが聴けそうな雰囲気だった。そのラウンジの上は広いデッキになっており、雲間に見え隠れする中央山脈が眺められる。台湾人にも人気のスポットだそうである。

 最後に、しかし、そこに行くのは大変だろう。私たちは自分の車で行ったが、日本ではそこに行くツアーなどは見たことがない。台中からのバスも霧社までのようだ。方法としては、台中または埔里からタクシーでいくこと、数人で行けば料金はそれほどではない。台中などの旅行会社に相談すれば、きっといい民宿を紹介してくれると思います。

以上

台湾のホテル(2)

2013年04月06日 | 旅行
 台湾のホテルは、大きく二つに分類されるようだ。一つは、大飯店や大酒店と表記される大型ホテルであり、設備や利便性がいいだけに価格は高い。もう一つは、「民宿」という規模の小さいホテルになる。あえて、この「民宿」をとりあげたのは、実に快適でしかも価格が安いからだが、台湾のガイドブックには「民宿」という名前ではとりあげられていないのが残念なことだ。
 

 この民宿は、日本の「民宿」から名前をとったのであろうが、日本の「民宿」とは全く違うと考えていいだろう。私は、この春3月下旬から4月にかけて台湾の山地を中心に旅行をしたが、すべてこの民宿に泊まった。日本でいえば、高級なリゾートペンションという感じであろう。規模は小さいが、とはいっても、部屋数は30から40位あるのが普通だ。価格はさまざまだが、わかりやすく日本円でいえば、6千円位から1万円位だが、前にも書いたとおり、台湾は、一部屋いくらの設定だから、人数割りすれば、一人当たりはかなり安くになる。
 
 ちなみに、今回の旅行で泊まった武陵農場(台中県、標高二千メートルに開かれた果樹などを栽培するリゾート施設:後日紹介)の宿泊施設は、4人で泊まって日本円で12,000円(2食付き)位だった。ビールなどを飲みながら、おいしい中華料理を食べて寝るだけだから、高級ホテルは必要ないですよね。

 この民宿、鉄筋コンクリート造りで、中には広い温泉設備などをもつ施設もある。英国などにある、B&B(ベッドアンドブレックファースト)に近いようだが、何といっても違うのは、前にも書いたが、価格が安いのに建物と設備がたいへんいいということだ。もちろん、台北などの大都市にもある。値段も時と場合によるが、交渉の余地があるようだ。

 台湾に行って、ホテルを探すようなことがあれば、ペンで「民宿」と書けばよい。相手はその意味を理解して、小規模で価格の安い宿泊施設を紹介してくれるだろう。

以上

林森北路

2013年03月25日 | 記憶
 台北駅の東側に南北にはしる「中山北路」は、日本の植民地時代、ヨーロッパの街並みを目指してつくられた道幅が50メートルを超すスケールの大きなメインストリートだ。
 
 植民地時代の善悪は別として、その当時の日本人は台湾を日本の理想のパートナーにするため、政治家はもちろん、国を守る軍人、台湾人を教育するための先生などが意気込んで植民地台湾に乗り込んでいった頃の産物なのだ。
 
 それはともかく、「中山北路」の100m位東側に「林森北路」がある。林森北路は、植民地時代もそうだったろうし、現在もそうなのであるが、日本人のさまざまな欲望を満たしてくれるナイトライフの繁華街なのだ。台湾が男性天国などといわれた時代もあったが、多くの日本人が何かを求めて闊歩した街なのである。

 蒋経国が健在で辣腕をふるっていた頃、私は一度だけ、林森北路にあるナイトクラブに連れられて行ったことがる。華やかなネオンの輝く建物のドアを開けると、小姐(フロアレディ)たちが、「いらっしゃいませ」を駆け寄ってきたことを思い出す。店の名前はたしか「旅」といったが、今もあるのだろうか?

 もちろん飲んだくれの男たちを相手にするのだから、それくらいのあい嬌はあたりまえだろうが、小姐たちはみな若くて、日本の会社の新人の女子社員のように見えた。彼女たちは太ももまでスリットの入ったチャイナドレスを着て、明るい笑い声が響く店内は夢のようだ。彼女たちの多くは、和服の日本女性が下着をつけないように、チャイナドレスの下には何も付けないという知識を聞かされており、カウンターの高い椅子に腰かけて足を組んだりすると、さらに奥まで見えるようでどきりとしたことを思いだす。

 彼女たちはテーブルに着くと、「カンペイ」といってアルコールを口にするが、お仕事それだけではない。その夜を共にする相手をさがして、せいいっぱいの愛嬌を振りまくのだ。
私も誰にしようかと品定めをする。それにしても女子学生のような若い小姐が、当時の相場でいえば靴一足のくらいの値段で自分のものになることが信じられないようだった。
 
 酔っていた私は誰でもよかったので、というよりもみなかわいく見えたので、そばに来た小姐とずっと話していた。彼女は日本語を話すことができた。話題は、出身は何処とか、なぜこんなところで働いているのかなどとありきたりの会話だったような気がする。

 彼女は生れは高雄だといい、お金をためて日本で勉強をしたいと言っていた。台湾では高雄や台南のような南方の出身を誇るような風潮があると知ったのは後のことだが、彼女は高雄から出てきたことを誇るようにはなしていたことを思い出す。

 しばらくして、仲間がそれぞれの相手を見つけて店を出る頃になった。私はその娘とばかり話していたので、連れ出すならその娘しかいない。私はなんとなく気が進まなかった。その小姐が嫌いなわけではなかった。むしろ素朴な感じで、そんな若い子を連れ出すことに罪悪感を感じてしまったのだ。

 問題はそこからだった。その小姐の話によると、自分を連れ出してくれないと、仕事のできないダメな女になり、店を辞めさせられたりするかもしれないという。私はそのはなしを聞いていて、もっともだと思い、仲間の小姐たちが連れ出されていくのに、誰にも指名されずに店に残ることは、彼女にとって悲しいことに違いないと思われた。わたしは規定の料金を支払うと、たいへん嬉しそうなその娘と腕を組んで、林森北路の夜の街をホテルに向かって歩いたことを思い出す。

 ルポライターの鈴木 明が高雄市を取材で訪れた時に、出逢った娘に恋をしたことは、以前に書いたことがあるが、その当時台湾に行った男たちの多くは、似たような体験をしたのであろう。時代が、素朴でかわいい女の子たちが、ネオンの輝く街に行かざるを得ない状況があったからだろう。

徴兵制

2013年03月24日 | エッセー
 台湾に徴兵制があるのは、台湾に関心がある人なら周知のことだが、これが2014年には廃止されて、志願制になるという。

 これを教えてくれたのは、「現代台湾を知るための60章」という本であった。著者は「亜洲奈みづほ」、いちおう日本人らしいが、珍しい名字であり、ペンネームかなとも考えてしまうが、その台湾に関する知識と愛情の深さは並大抵ではなく、日本生まれの台湾人かなと思わせるものがある。
 
 その本によれば、それまで2年間であった徴兵期間が、すでに1年間になっているという。さらに、来年の2014年には、全員志願兵になる予定だというが、そんなことに気がつかなかった自分が恥ずかしいが、そんな報道もなかったような気がするが、私が見過ごしたか、報道関係が無視したかどちらかだろう。

 近々台湾に行くので確かめてこようと思う。


台湾のホテル

2013年03月23日 | 旅行
 台湾のホテルの料金は、日本のホテルと異なり、一部屋いくらの設定になっている。はやい話が、一人で泊まっても、四人で泊まっても料金は同じということになる。

 この辺の事情について、旅行業界ではあいまいに扱っているようだ。気になったので、手持ちの台湾に関するガイドブックを調べてみた。

 さすがだなと感心したのは、「地球の歩き方、台湾」であった。ホテルの予約のページで、台湾はひと部屋いくらの設定であることを明確に書いていたからだ。
 
 しかし、私が利用しているもう一つのガイドブック「わがまま歩き 台湾 ブルーガイド」では、料金についてはわざと明言をさけ、日本と同じ設定である(つまり一人いくらの料金である)と誤解させるような表現になっていた。

 旅行業界としては、できれば日本と同じだと言って予約させてしまえば、自分たちの儲けになるのだから、痛しかゆしの状態でろう。

 これから台湾に行こうとする場合は、格安ツアーで行く場合は別として、自分でホテルを予約する場合は、この料金設定のことを忘れずに、リーズナブルで楽しい台湾を楽しんでほしいと思う。  以上