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台湾大好き

台湾の自然や歴史についてのエッセーです。

誰も書かなかった台湾(続)

2013年01月07日 | エッセー
 鈴木氏が見聞した範囲ではあるが、選挙についての内容が面白い。もちろん、その内容は1970年代のことなので、現在もそうであるかどうかはわからないので、機会があれば調べてみたいとも思う。

 鈴木氏のルポの内容にもどろう。
台湾の主な選挙は、県・市長選挙と省議員選挙があるという。日本でいえば、知事選挙とつい先ごろ行われた衆議院選挙のようなものと考えればいいだろう。

 選挙がはじまると、人々は思い思いの候補者を見つけて、その家に駆けつけるという。
「あんたに投票するよ。」いう訳なのだ。
候補者も酒などを用意して接待するという。このように買収や供応は公然化しており、地方にいけばさらに激しくなるという。そして、一票にいくらの値段をつけるのは、候補者ではなく、投票する人だという。
 但し、都市部では、買収や供応のはなしは聞かれないという。理由は、都市は地方から出てきた人達が多くて横のつながりが少ないこと、またインテリは政治に興味がないことのようだ。

 また、日本と違うのは、選挙ボスや暴力団が存在しないことだという。
この点について鈴木氏は、確信的に、
「台湾には強力な政府はあるが、暴力団はないし、強力なポン引き組織はあるが、暴力組織はない。」といいきっている。

 暴力団が存在しないという鈴木氏の見解には、にわかに納得できないが、やはり調べてみる必要はあると思う。竹連パンなどという大陸の流れをくむ暴力組織を聞いたことがあるが、どうなのだろうか?

 蒋介石が亡くなったのは、1975年4月だから、その頃までは強力な独裁政治が続いていたので、日本のやくざのような暴力組織は身動きがとれなかったともいえるが、実態はどうだろうか?

 蒋介石死後は、息子の蒋経国が実権を握るが、蒋経国は戒厳令を解除するなどして民主国家をめざす。蒋経国は、自分の死後は蒋家の独裁を望まなかったため、1988年その死とともに独裁国家は終焉し、台湾は名実ともに民主国家の仲間入りをする。

 この歴史を逆に考えれば、蒋家の独裁により、身動きのとれなかった暴力組織が、蒋家の滅亡とともに動きだしたとも考えられる。現在はどうなっているのだろうか?    以上

誰も書かなかった台湾

2013年01月06日 | エッセー
 この本は、鈴木 明が「男性天国」の名に隠された真実と副題をつけて、1974年に出版したルポルタージュである。

 鈴木氏は最終章で「高雄で逢った少女」と題して台湾の思い出を書いている。その少女とは高雄の港町の屋台で出逢ったという。

 その少女を通して台湾を知り、忘れられない思い出をつくったのであろうが、はやい話が、台湾についてこのような本を書くにいたった動機がその少女にあったと思う。

 おそらく鈴木氏は日本では考えられないような安い金銭でその少女を買ったのであろうが、買った本人は、不覚にもその少女に恋をしてしまったのだ。
 
 日本人と同じ顔かたちの少女には、日本人が失くしてしまったような素朴さや純真さがあり、一夜を共にした18歳の少女の笑顔をみて、その少女の住む国に大いに興をそそられたのだと思う。

 その当時は、このような出合いは少なからずあったようで、私の知り合いがタイに行った時、チェンマイのホテルで寝食を共にした少女をいたく気に入り、嫁さんにするために日本へ連れて帰ろうかと真剣に考えたほどだったという。

 まさか鈴木氏がその少女を日本へ帰るほど若くはなかったと思うが、台湾のために何かをしてあげたいという強い欲求をもったに違いない。

 鈴木氏は帰国後、その少女に手紙を出したが、返事はなかったという。少女にしてみれば、自分の体を通り過ぎたたくさんの日本人のうちの一人でしかなかったはずだ。

 鈴木氏の恋心は、なおおさまらず、1年後くらいだろうか、高雄のその少女を訪ねている。しかし、少女は台北に行ったとかでそこにはいなかったという。

 出逢いは金であったにしても、鈴木 明がその少女に抱いた恋心は、少女以上に純真なものになったいたのだろう。その少女との交流から生まれた愛情と、そしてそれを失った寂寞感が「誰も書かなかった台湾」という一文に結実したのだと思う。

 高雄の街は、きれいで近代的な街に変貌を遂げていますが、その街の中央を流れる東京の墨田川のような大きな川の名前が「愛河」というのは、何ともロマンチックではないでしょうか。

 鈴木さん、お疲れさまでした。                      以上

水滸伝

2012年12月30日 | エッセー
一か月ほどかかって水滸伝を読み終えた。
以前、読もうとしたことがあったが、「林冲」が登場した部分くらいで中断しており、
その後、その先がどうなっているのか気になっていた。

こうして読み終えてみると、その内容の豊富さは群を抜いており、
一人の人間が書いたとは思えないが、事実、宋から明の時代、200年くらいかけて
つくられた芝居やエピソードをまとめ上げた長編小説のようだ。

物語の大雑把な流れはこうだ。
梁山泊に集まった108人の好漢たちは、宋の正規軍の攻撃を何度も撃退する。
やがて、宋の皇帝は梁山泊の攻撃を諦めて、梁山泊の山賊を宋の正規軍として認めてしまう。

その条件として、北方から宋を侵略する異民族の「遼」を撃退することを命令する。
領袖の「宋江」以下108人の好漢は従軍して、遼を撃退する。
しかし、そのあとに南方に生じた反乱を撃退する長征で、仲間のほとんどが討ち死にする。

残った梁山泊の仲間はばらばらになってしまい、
やがて「宋江」は宋の皇帝の取り巻きグループの策略にかかって、毒殺される。

宋江はその陰謀を知ったが、反抗して朝敵となり汚名を末代までも残すことを嫌い、
朝廷に反抗すること断念する。

その際、梁山泊随一の暴れん坊の「李逵」を道ずれにして、静かに死んでいく。
李逵が宋江の死を知って激怒し、皇帝に反抗することを恐れたためであった。

そのほか主だった好漢の最後を記しておこう。

梁山泊最強の武将「林沖」は、風病(おこりのような病)により全身不随になり死去。

残酷無比の僧侶「魯智深」は座禅したまま、円寂。生き仏になってしまう。

一見ニューハーフを思わせるような「燕青」は、栄華を求めず、山野に退去して一閑人として生きる。私にはこの「燕青」が大変に魅力的な好漢(おとこ)に思える。

梁山泊ナンバー2であり、文武両道の「蘆俊義」は姦計により毒殺される。

諸葛孔明を思わせる軍師の「呉用」、弓の名人「花栄」は、宋江を慕って殉死。

波乱万丈の好漢たちの物語は、このようにして完結します。         
                                   以上

阿里山の犬

2012年11月27日 | 台湾の自然
 20年ほど前、阿里山に登った時のことです。

 阿里山は台湾中部の山系で、高原のリゾート地であり、日本でいえば上高地のようなところでしょうか。標高2000mの高地には、高原を簡単に案内してくれる軽便鉄道があり、ホテル・売店・レストランが軒を連ね、暑い台湾の癒しの空間でもあります。また、そこは台湾の最高峰「玉山」へ通じるルートでもあり、多くの山好きが通り過ぎるところでもあります。

 あたりはうっそうとして巨木が生い茂り、なかでも樹齢二千年を超すヒノキの老木は「神木」と呼ばれ、その巨大さに圧倒されますが、その樹木そのものが台湾の悠久の歴史を静かに語っているような気がしてきます。

 わたしは台湾の妻の家族と共に、車で阿里山を目指したが、嘉義市を過ぎて山道をのぼり、やがて近くの林の中から蝉の声が聞こえる緑が美しい場所で車を止めました。そこには緩やかな斜面に渓流が流れ、それをはさむようにコテージのような山荘が点在しています。そこで友人が所有している山荘を借りて一泊しました。

 たしか八月であったと思いますが標高が高いので涼しく、山荘近くの散策路などを歩くのは何とも爽快でしたが、林の中を歩いていて気になったのは野犬が多いことでした。人が行くと20匹位のグループが近づいてくるので、集団で襲われでもしたらと考えると気味が悪くもありました。

 わたしは妻と二人で、林を避けて広い道路に出て近くにあるという廟に行ってみることにしました。案内図をみるとその廟は小高い丘の上にあるらしい。上りはじめて気がついたのですが、少し前に一匹の白い犬がいることでした。はじめはたまたまそこにいるのだろうと思っていましたが、すこし歩いては立ち止まってこちらをみている。雌犬で痩せた小柄な犬でしたが、私たちが近付くと、また山頂を目指すように歩きはじめる。何度か繰り返されるうちに、その犬は私たちを案内しているように思えました。
 
 おもわず餌でもあげようと背負いのザックを探したが、こういう時に限って肉系の食べ物がない。ビスケットのようなものを出して、犬の鼻先にもっていくと、においを書いただけで食べようとはせずに、歩きだしてしまう。やがて、祠のような小さな無人の廟につく、私たちは台湾流のお参りをして近くのベンチで腰をおろしましたが、そのあいだ犬も日陰で寝そべって休んでいました。

 少ししてから、帰ろうとして丘を下りはじめると、犬は来た時と同じように私たち前をあるいていく。その頃には、その犬に親近感をもつと同時に、犬は私たちを案内していることを確信するようになりました。

 やがて、もと来たところに戻ると、その犬はくるりと向きをかえ尾っぽを振りながら、林の中に歩き去って行きました。
 翌朝、そこから阿里山にむかって出発し、「玉山」のふもとにある登山センターまで足を延ばしてから家に戻ってきました。

 戻ってから気になるのはあの犬のことです。できるならば、もう一度阿里山のふもとまで行ってあの犬を探し出し、日本へ連れて帰りたくなったからです。しかし、現実にはそんなことはできることではなく、残念な気持ちで日本へ帰りました。

 あの犬は今頃どうしているだろうかなどと考えながら、数年が過ぎました。

 ある時、事情により台湾生れの女の子を養女にすることになったわけですが、その娘が成長して10歳くらいになった頃でしたが、10数年前に阿里山のふもとで出会った犬が、この娘になって私たちのもとに来たのではないかと思うようになりました。もちろん私は輪廻転生を信じる宗教家ではありませんし、ものごとには確実な証明がなければ信じられない性質ですので、生まれ変わりなどまともに信じることはできません。しかし、あの時の犬が娘になったという考えが、頭から離れなくなりました。

 ある時、娘に、お前が生まれる前、阿里山に行き、そこで出会った犬の話をしたところ、犬が大好きの娘は、その話を素直にきいて、「自分はもと犬だったんだ。」と信じるような感じでいます。娘が、もらい子つまり養女であることは一言もいってはいませんが、その娘は今14歳、いつか、それを話すべき時が来るのかもしれません。   以上

映画「鉄道員」

2012年11月26日 | エッセー
NHKBSの映画「鉄道員」を観てやさしい気持ちになった。

名作といわれるこの古い映画は、何度かみているはずだが、
細かいところはほとんど覚えてないので新鮮な気がした。

見ていてやさしい気持ちになった理由を考えてみたが、うまく説明できない。
ストーリーは鉄道員の父親と子供たちが、それぞれの主張をしてぶつかり合い喧嘩をする。
それをみている幼い弟が、仲直りをすればいいのにと思いながら悲しい気持でいる。

かわいいその男の子を観ていて、ハッとひらめいた。
観客の気持ちはその男の子の気持であると思った。
つまらないことで喧嘩などしないで、仲良く暮らせばいいのにというわけだ。

そう考えると、自分の現実の生活のことを考え、
つまらないことで子供をつよく叱らなければよかった反省していると、
自分自身、やさしい気持ちに包まれていることを感じた。

クリスマスイブの夜は、友人たちが集まり、笑い声の中でパーティーが開かれ、
家族が仲直りして、目頭が熱くなった。

その晩、父は奥さんに「昔のように、きれいだよ。」とやさしい言葉をかけ、
幸せな気持ちで鉄道員の父は逝く。

最近あまり映画を見なくなったけど、
昔の映画にはいい作品がたくさんある。