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Mon´の日記

アーティストMon“Design-NeT”の日記。
HALE to KE(ハレとケ)な日々。
時々広島弁。

8月6日。

2014年08月06日 11時39分52秒 | 日記
雨の中の平和式典。

8月6日 8:15
広島原爆投下の日


忘れてはいけないのは、戦争は多くの尊い命を奪うということ。


そして…
8月9日へ祈りを繋げ…



Mon“Design-NeT”
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ありがとうございました、周先生。安らかに…

2014年08月06日 00時32分04秒 | Weblog
今朝(5日)、周先生の訃報を知った。


周耀錕(しゅうようこん)先生。

中国を代表する著名な二胡奏者の一人。国家一級演奏家。
中国音楽家協会二胡学会副会長。
国家級特殊貢献芸術家。
中国中央民族楽団で首席奏者を20年余り務めた。
〈二胡練習曲集〉〈全国考級教材〉等を主編、録音し、それらは国内外の二胡学習者に広く利用されている。
日本における二胡の普及と教育に力を注いでいる。
日本二胡学会初代会長に就任。


ーーーーーーー
私は、周先生と過去5度ほどしかお会いしたことは無いので、ブログに書かせて頂くのは大変烏滸がましいということはわかっているのですが…

ただ、周先生は、私の人生の転機に出会い、その後の私の人生に大きな影響を与えて下さった方なので、ここに記したいと思います。

ーーーーーーー
私は2007年から、二胡の発表会の伴奏に携わりはじめました。

その講師陣の中には、HALE to KEの寺岡さんもいました。
そして、束ねていらっしゃる賈鵬芳さん。
そして…もう一人…
ずっとニコニコしている笑顔の可愛い…
「おじいちゃん?」

今でこそ、『おじいちゃん』だなんて大変失礼なことを思っていた!と反省しているのですが、当時は 二胡界が初めてでしたので、その『おじいちゃん』が、あの『周耀錕』というのは、後に知りました。


発表会中、その『おじいちゃん』は、とにかくよく気を配ってくださるのです。
「賈鵬芳さんのお知り合いの中国人のおじいちゃんなのかなー?」
と思っていました。


私はというと…
初めての二胡の伴奏で、しかも約50曲という膨大な曲数。
その上、中国曲はメロディのみなので、伴奏者が伴奏を作らなくてはならない。
中国曲を聴くのも初めて、二胡も初めて…
伴奏が正しいのか?間違っているのか?を教えて頂くこともままならず…
初めて尽くしの中で、正直不安で泣きそうでした。


そのような中、1人ポツンと楽屋で落ち込んでいると、
「ア…エト…イイデスカ?」
と、片言の日本語で『おじいちゃん』が楽屋に入ってきた。

何故だか、私はホッとして、
「どうぞ、どうぞ」
と言った。

すると『おじいちゃん』は、一生懸命に日本語で、
「アナタ…ピアノ…ヨカッタデス、イイ、イイ」
と、ニコニコしながら一生懸命言ってくださった。

そして、
「ワタシ…チョト…チョト…イイデスカ?」
と、二胡を弾く格好をされたので、
「どうぞ、どうぞ」
と、答えた。


楽屋の鏡に向かって二胡を構え、演奏を始めた『おじいちゃん』…


え……!!??


今でも鮮明に思い出す。
あの時の衝撃と、音!!

なんなんだ!?この音は!?
と、『おじいちゃん』の背中を凝視。


そして…
なんと、気が付いたら 私の目から涙が溢れていたのです。

これには、自分自身が1番驚いてしまいました。


なんと表現したらいいのでしょう…
この時の事を、このブログに書いていたので、引用します↓↓

“生きてきた姿” と “人間性” と “人となり” が、ものすごく自然な形で演奏に音に表れていた。

お年からして、かなりの経験や体験、人生を積み重ねてこられた方なのだろう…と思う。
それは、音や演奏から感じるから…。

じゃけど……、
それ以上に、あの“純粋な魂”はなんなんだろう?

聴き手の魂が洗われるようなあの演奏はなんなんだろう???

マジで泣きそうだった。


発表会が終わって次の日、担当者にその話しをすると…

「Mon'ちゃん!!
君、すっごくラッキーだよ!
あの人、中国でも なかなか弟子になれないくらい 凄い二胡奏者なんだよ。
よかったねーー!!」

と。

「周先生っていう方なんだよ!!」


周先生っておっしゃるんだ…


そんな凄い方だったんだ…


その後、数年間 毎年 発表会でご一緒させて頂きました。


その数年間のうち、周先生が会長をされていました《日本二胡学会》で伴奏をさせて頂きました。

その時のコンサートのトリは、周先生だったのですが…
その時の、ステージ直前の周先生が、今も忘れられません。


ステージ袖の周先生は…
とてもとても巨大な虎に見えたのです!

錯覚!?

いや…
オーラです。

子供を守る、大きな白虎のように見えました。



…そして
…余談ですが
…2008年11月に
…同じような感覚におそわれた
…それが、HALE to KE寺岡拓士。
(これまたブログにしたためておりますが、彼の音に衝撃を受けました)


そう…
こうして今、HALE to KEと出会わせて頂いていますのも…
一つには、周先生のお蔭です。

本当にありがとうございます。


しいて言うなら…
もう一度、生で 周先生の音を感じとうございました。

何故なら…
2007年、楽屋で初めて周先生の音を聴いた時、音楽家人生そのものに終止符を打とうとしていた自分がいて…

その自分を、もう一度 音楽家の道へと引き戻してくださったのが、周先生だから。


もちろん、それまで…それ以降も、私は様々な方にお世話になりました。
感謝してもしきれません。


でも、
周先生の音に出会わせて頂いた私というのは、以前とは違う 特別な機会に巡り合わせて頂いたのでした。



本当にありがとうございます。



周先生。





わがままを言います。
もう一度、先生の音が聴きたいです。




安らかにおやすみください。



先生…



もう一度言わせてください。
ありがとうございました。






Mon“Design-NeT”




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