書こうかやめておこうか迷ったんですけど、私の気持ちの区切りとして書くことにしました。暗い話ですがご容赦ください。
ブログをお休みしていたもうひとつの大きな理由は、愛犬の介護でした・・・
1年の中で一番楽しみにしている「タカの渡り」のシーズンに入って間なしの9/5、夜中に愛犬の「アーチン」が突然、口から泡を吹いて痙攣しました。
携帯で獣医さんに指示を仰ぎ翌朝病院へ行くと、脳腫瘍の可能性もあるとの診断。
この子のことを「私の次男」と公言してはばからなかった妻はショックが大きい。
全身麻酔してMRIで診断しないと詳しいことはわからないらしいが、13歳近くの老犬にはリスクが大きい。対処療法で様子を見ることにする。薬のおかげで3日ほどで痙攣は治まったけど、副作用のためにふらつきが取れない。
おしっこが近くなってあちこちお漏らしするようになったのでオムツが取れなくなったが、小康状態が続いたので段々と薬を減らしてもらったら、副作用も少なくなって、前の状態に戻ってきたようでひと安心。
下の始末で夜中に起きなければならないことも減ってきて、おかげで私は週末はタカの渡りを楽しむことができた。気を利かせてくれたのかなあ。
でも・・・
10/12痙攣再発・・・
今度は薬を飲んでもあまり効かない。脳腫瘍だと思う、と診断が進んだ。
仕方なく量を増やすが、副作用もその分大きい。痙攣の回数も異常に多い・・・
そして自分では立てなくなった・・・・
一日中、目を離す事ができない。
gooのTOPページに掲載された画像。
たくさんのアクセスをいただきました。
腫瘍のせいなのか、もともと白内障で見難くなっていた目もほとんど見えていないらしい。夜鳴きも激しくなる。
夜鳴きというより、目が覚めると大きな声で鳴く・・・。腫瘍が神経を圧迫しているのか?
もう私たちのこともわからないのかもしれない。
夜は鎮静剤を与えて眠らせてやるが、1時間半しか持たない。
人間は1時間半寝て30分は犬をなだめたり下の後始末に追われる繰り返しの毎日。夜が来るのが恐ろしい。
主に面倒を見てくれている妻は消耗が激しい。
毎晩2~3時間の睡眠。朝は山のような洗濯物。
この子がウチに来てから、もう12年半が経った。
犬一匹のことでこれだけ家の中が和むんだなと思うほど、この子中心の12年半。
やることなすこと、とにかく愛嬌がある。
見ているだけで思わず笑みがこぼれる。
いくつになっても大きくならない幼稚園児みたい・・・
私たちもすごく癒されたけど、この子もものすごく可愛がってもらっていた。
家に帰ると、まず我先にアーチンに「ただいま」と声を掛ける。みんながそうだった。出かけるときも、家にいるときも、絶えずみんなが話しかけていた。そしてそばにいた。
そう、みんなお前が大好きだった。
そしてアーチンは介護の甲斐なく、10/30の夜中に天に召されていきました。
ここには書きませんが、この間はかなり大変でした。壮絶な場面もありました。
実は、人間も限界、アーチンにもこれ以上辛い思いをさせるのは忍びないと、安楽死も選択肢の中に入れていました。
最後の日、なぜか目を覚ましても鳴かない。
私が添い寝してやり、いろんな想い出話を聞かせてやった。
静かに聴いているようだった。こんな穏やかな時間は久しぶり。
1時間あまりしゃべっていただろうか、そしてつい聞いてしまった・・・
「もう楽になりたい?」(うううん) 「それとも頑張る?」(うん)
えっ?
確かに返事したぞ!
もういちど聞く
「もう楽になりたい?」 (うううん)
「頑張るの?」 (うん)
確かにそう言ってる。声には出してないが、表情や目がそう訴えている。
その夜、私が横で寝た。
夜中にふと気配を感じて起きると、アーチンは「クゥ」と言って少し戻した。様子が変。
あわてて家族を呼びに行ったが、少し足を動かしただけで、そしてそのまま・・・逝ってしまいました。
えらかったな、アーチン。
ちゃんと最後まで自分で頑張ったもんな。最後が近いことを悟っていたのかなあ。
安楽死は絶対に後悔すると思っていたから、絶対に自分を責めてしまうと思っていたから嫌だった。そんな思いが通じたのかもしれない。
そして私たちもその呪縛から救われた・・・
おばちゃんたちに人気のあったアーチン。
次の日はたくさんの人が花を持ってお別れに来てくれた。
東京で働いている息子も、連休を利用して帰ってきた。
半日部屋に閉じこもってアーチンのそばにいた。
時々、アーチンの声が聞こえる。幻聴?
聞くと、妻も娘も聞こえるそうだ。
こんなこともあるんですね。私は1日だけだったが、妻はしばらくの間聞こえていたという。
そして、もう一日置いて荼毘に付した。
妻は毎日、遺骨に朝夕食事を供え、毎日アーチンとの思い出を日記に綴っている。気丈にはしているが、ひとりで涙している。
いつまでもこれではいけないことはみんな判っているので、今度の日曜日に納骨して区切りをつけようということになりましたが、しばらくはぽっかりと開いた心の穴を何で埋めようかと・・・
やっぱり書くと悲しくなりますね。長々とすみませんでした。
ブログをお休みしていたもうひとつの大きな理由は、愛犬の介護でした・・・
1年の中で一番楽しみにしている「タカの渡り」のシーズンに入って間なしの9/5、夜中に愛犬の「アーチン」が突然、口から泡を吹いて痙攣しました。
携帯で獣医さんに指示を仰ぎ翌朝病院へ行くと、脳腫瘍の可能性もあるとの診断。
この子のことを「私の次男」と公言してはばからなかった妻はショックが大きい。
全身麻酔してMRIで診断しないと詳しいことはわからないらしいが、13歳近くの老犬にはリスクが大きい。対処療法で様子を見ることにする。薬のおかげで3日ほどで痙攣は治まったけど、副作用のためにふらつきが取れない。
おしっこが近くなってあちこちお漏らしするようになったのでオムツが取れなくなったが、小康状態が続いたので段々と薬を減らしてもらったら、副作用も少なくなって、前の状態に戻ってきたようでひと安心。
下の始末で夜中に起きなければならないことも減ってきて、おかげで私は週末はタカの渡りを楽しむことができた。気を利かせてくれたのかなあ。
でも・・・
10/12痙攣再発・・・
今度は薬を飲んでもあまり効かない。脳腫瘍だと思う、と診断が進んだ。
仕方なく量を増やすが、副作用もその分大きい。痙攣の回数も異常に多い・・・
そして自分では立てなくなった・・・・
一日中、目を離す事ができない。
gooのTOPページに掲載された画像。
たくさんのアクセスをいただきました。
腫瘍のせいなのか、もともと白内障で見難くなっていた目もほとんど見えていないらしい。夜鳴きも激しくなる。
夜鳴きというより、目が覚めると大きな声で鳴く・・・。腫瘍が神経を圧迫しているのか?
もう私たちのこともわからないのかもしれない。
夜は鎮静剤を与えて眠らせてやるが、1時間半しか持たない。
人間は1時間半寝て30分は犬をなだめたり下の後始末に追われる繰り返しの毎日。夜が来るのが恐ろしい。
主に面倒を見てくれている妻は消耗が激しい。
毎晩2~3時間の睡眠。朝は山のような洗濯物。
この子がウチに来てから、もう12年半が経った。
犬一匹のことでこれだけ家の中が和むんだなと思うほど、この子中心の12年半。
やることなすこと、とにかく愛嬌がある。
見ているだけで思わず笑みがこぼれる。
いくつになっても大きくならない幼稚園児みたい・・・
私たちもすごく癒されたけど、この子もものすごく可愛がってもらっていた。
家に帰ると、まず我先にアーチンに「ただいま」と声を掛ける。みんながそうだった。出かけるときも、家にいるときも、絶えずみんなが話しかけていた。そしてそばにいた。
そう、みんなお前が大好きだった。
そしてアーチンは介護の甲斐なく、10/30の夜中に天に召されていきました。
ここには書きませんが、この間はかなり大変でした。壮絶な場面もありました。
実は、人間も限界、アーチンにもこれ以上辛い思いをさせるのは忍びないと、安楽死も選択肢の中に入れていました。
最後の日、なぜか目を覚ましても鳴かない。
私が添い寝してやり、いろんな想い出話を聞かせてやった。
静かに聴いているようだった。こんな穏やかな時間は久しぶり。
1時間あまりしゃべっていただろうか、そしてつい聞いてしまった・・・
「もう楽になりたい?」(うううん) 「それとも頑張る?」(うん)
えっ?
確かに返事したぞ!
もういちど聞く
「もう楽になりたい?」 (うううん)
「頑張るの?」 (うん)
確かにそう言ってる。声には出してないが、表情や目がそう訴えている。
その夜、私が横で寝た。
夜中にふと気配を感じて起きると、アーチンは「クゥ」と言って少し戻した。様子が変。
あわてて家族を呼びに行ったが、少し足を動かしただけで、そしてそのまま・・・逝ってしまいました。
えらかったな、アーチン。
ちゃんと最後まで自分で頑張ったもんな。最後が近いことを悟っていたのかなあ。
安楽死は絶対に後悔すると思っていたから、絶対に自分を責めてしまうと思っていたから嫌だった。そんな思いが通じたのかもしれない。
そして私たちもその呪縛から救われた・・・
おばちゃんたちに人気のあったアーチン。
次の日はたくさんの人が花を持ってお別れに来てくれた。
東京で働いている息子も、連休を利用して帰ってきた。
半日部屋に閉じこもってアーチンのそばにいた。
時々、アーチンの声が聞こえる。幻聴?
聞くと、妻も娘も聞こえるそうだ。
こんなこともあるんですね。私は1日だけだったが、妻はしばらくの間聞こえていたという。
そして、もう一日置いて荼毘に付した。
妻は毎日、遺骨に朝夕食事を供え、毎日アーチンとの思い出を日記に綴っている。気丈にはしているが、ひとりで涙している。
いつまでもこれではいけないことはみんな判っているので、今度の日曜日に納骨して区切りをつけようということになりましたが、しばらくはぽっかりと開いた心の穴を何で埋めようかと・・・
やっぱり書くと悲しくなりますね。長々とすみませんでした。
我家も、2年間という短い期間でしたが、愛犬が家にいた時がありました。
病気でなくなりました。
アーチンもきっと「ありがとう」と言っていますよ。ね。
我が家にも愛猫・愛犬がいます。夏に母を失って以来、時々「この子たちともいつか分かれる時が来るのかな」と、とても気もちが沈んでしまうことも。
でも考えたら10年先に自分が元気とは限らないので、わたしが先に逝ってしまってこの子たちが路頭に迷うことの方がもっと耐えられません。だから元気に生きて我が家の子たちをみんなちゃんと見送ってやらなければと・・・。
scopsさんのお家の方たちは、アーチンちゃんに最大のことをしてあげられたのだと思います。アーチンちゃんもきっとそう思って旅立ったと思いますよ。
書いてけじめをつけようと思ったのですが、かえって悲しくなってしまいました。おかしなものですね。(笑)でも、もう大丈夫。ありがとうございました。
もう飼うことはないと思いますが、よその犬を可愛がらせてもらうことにします。
hitohaさんもお飼いになっていたんですね。
おっしゃっていただいているように、アーチンは幸せだったと私たちも思います。
同じように、私たちを幸せにしてくれたとも・・・。
いっぱい悲しんで元気になって下さいね。
おかげさまで、今は何とか元気にやってます。