この前、実家から持ち帰った古いアルバムに、柳生の里の高校生の頃の写真を見つけて、暫し江戸時代の剣豪に思いを馳せてみた。
『「剣禅一如」沢庵和尚の教え』
この著は剣道を通じて禅との関わりを見ているため、宮本武蔵の逸話がたくさん出てくる。その中で宮本武蔵は、28,29歳のころまでに60余度戦い一度も敗れなかったが、その頃の宮本武蔵は非凡だったのか、という話だ。
著者は沢庵和尚の言葉を借りてこういっている。
「吾々は、いわゆる1を知って10を知るような人、あるいはそこにあるものの見方を、目分量にて、少しも違うことなくあてられるようなものをもって、非凡と思うかも知れないが、それは決して非凡ではなく、沢庵の言葉を以てすれば、依然として尋常なものであり、尋常中の霊利なるものなのである。」
つまり、宮本武蔵の28、29歳までの勝負は、こちらの予想通りに相手の考えていることを考え当てることが出来た、と云うにとどまっているため、著者いわく尋常の域を超えていないというのだ。
その理由として、相対的な勝負での能力は、たまたま相手より優れたに過ぎず、もし武蔵が自分より優れた相手に出くわしたら60余度一度も負けていないといっても70度勝ち続けるとはいえないということを挙げている。
相対的な勝負でただ勝つだけでは、兵法者は満足し得なかった、という理由もそこにあるというのだ。相対的勝負は、あくまでも偶然の事象によって事を決したに過ぎず、何の必然性も存在しない。必然性を把握できなければ安心の境地があるはずがないのだ。つまり、勝負に囚われている限り非凡になることはないのだ。
そのため、兵法者は非凡の世界を求めることになる。その世界の究極は「禅」の悟りにも通づる必然的な世界である。
宮本武蔵が「兵法の道にあう事、我50歳のことなり。」というように、勝負の世界に生きていた28、29歳のころは兵法の道に精通していなかったのだ。宮本武蔵50歳のころにようやく、「万理一空」という境地を開拓したといわれている。
「万理一空」の大安心の境地はどこにあるのか? 興味の尽きないところだ!
「万理一空」は昨今大関に昇進した琴奨菊が口上で述べた言葉として有名になった。では「万理一空」とはどういう意味なのか。
「万理」というのは全ての事象を現し、「空」は「無我」を表す。つまり、「すべての事象は存在のないもの」という意味になる。類似の言葉としては仏教用語で「諸法無我」、有名な文豪夏目漱石が言った「即天去私」などがある。
つまり、非凡という境地には我という存在はないのだ。武蔵はその境地を開拓して、「己を空にせよ。己を空にすれば、負けようと思ったって負けようがないではないか。」といったという。実に意味深い言葉だ。
つまり、相対的比較をする勝負において、比較する我の存在がなければ比較のしようがない安心の境地があるはずがないのだ。安心の境地は空と言う絶対的存在に繋がった時に体感できる世界なのだろう。剣豪たちは、それを禅の世界に求めたのか! そして我々現代人には、その禅に加えて瞑想やヨガの手法も用意されている。
ただ、今ここに居て静かに坐る。
雑念も湧くが、そのまま放っておけばやがて我(エゴ)が消え、ただ周りだけが存在する世界だ。消えると言うと無くなってしまう感覚になるが実はそうではない。分けることができない我、真我(ひとついのち)に戻ったと言うことだ。すべてが自分で、そのひとついのちの中に小さな自分(エゴ)が溶け込んだと言う感覚だ。
この感覚は実は特殊なことではなく案外近いところにもあるのだ。
皆も気付いていると思うが思い切り笑っている瞬間o(^-^)oは我を忘れてはいないだろうか?? 繰り返すが「笑うと我を忘れている!」皆もそう思わないだろうか?(笑)そして、笑っている瞬間は思考の世界にはいず、今ここにいれるのだ。
宮本武蔵が空(くう)の世界を垣間見た時、敵がいない即ち戦う相手がいない無敵の境地に入ったのかもしれない! そして戦いの世界の中にあっても空と言う静寂の世界から相手を観れたからこそ負けなかったのだろう!
日々の暮らしや生活の中にあっても、禅や瞑想やヨガの手法を習慣として取り入れ、大安心の世界を垣間見ることは、人生の質をきっと向上してくれだろう!
剣禅一如、武(剣)の道も禅の道も極めれば同じで、たどり着いたら絶対的安心の境地だろうな。
さぁ、静かに座ってみるか? 雑念は雑念のままに……
仕事も人生も全て目標は此処にありますねー(⌒0⌒)/~~
感謝
ユーボーさん、ありがとうございます。絶対的安心の境地、垣間見たいものですね
心の中が無になり、心が解放されています。
とっても心地好い瞬間です。
「笑う門には福来たる」私の大好きな言葉です。
ありがとうございました。
本日の一句
胸もとを 鏡のごとく 日向ぼこ
by 大野 林火
こんにちは。
相対的な勝負をしている時は、相手と戦っているようで、自分の中の我と戦っているのでしょうね。
空の世界を人は本能的に知っていて、だから、そこに戻りたくて学んでいる気がします。
ありがとうございます。
●確かに思いっきり笑っている瞬間は、我を忘れていますね。
心の中が無になり、心が解放されています。
とっても心地好い瞬間です。
「笑う門には福来たる」私の大好きな言葉です。
ありがとうございました。
本日の一句
胸もとを 鏡のごとく 日向ぼこ
by 大野 林火
→日頃は思考に振り回されていることが多いので、やっぱり笑うなどして我を忘れる時間が要るようですね!( ̄∀ ̄)
☆胸もとを 鏡のごとく 日向ぼこ
by 大野 林火
→やぁ!いいですね♪思わず頬が緩みました!
☆足元を、鏡のごとく、磨きっこ
byこども野 あそ火(笑)
●[空の世界。]
こんにちは。
相対的な勝負をしている時は、相手と戦っているようで、自分の中の我と戦っているのでしょうね。
空の世界を人は本能的に知っていて、だから、そこに戻りたくて学んでいる気がします。
ありがとうございます。
→そうですね♪本能的に知っているからこそ戻りたいんでしょうね♪
戻れば、なんにも分かれていない『一なる』状態だから、比べることもなく、他に何もなく、正に何の不安もない絶対的安心の境地、至福と言ってもいいかもしれないですが、ゆったりと心底くつろげるんだと思います!
さぁ~!座って至福を一服!(笑)
「いいですねー。」
「よし、これからだ!」とうれしくなりました。
いろいろな事に振り回されがちな現代社会において、静かに自らと対面する時間を持つことは大切ですね。
まだそうした時間は持てておりませんが、そんな時間を持てるようになることが楽しみです。
●いろいろな事に振り回されがちな現代社会において、静かに自らと対面する時間を持つことは大切ですね。
まだそうした時間は持てておりませんが、そんな時間を持てるようになることが楽しみです。
→そうですね♪前後裁断して静かに自分と対面する時間をもたれることは、先生のこれからの人生に多大な影響を与えていくものだと感じます!
是非、そんな習慣をお持ちくださいね♪
m(_ _)m