satzz the lernanto online

目眩く思想世界擬きと言霊フロンティア
Depuis 2005/05/19

2/1(WED)

2006年02月01日 21時08分48秒 | Diary
 眠い。どれくらい眠いかというと10000円札を1000円札と誤認するほど眠い。

 函数論、落としたかも。試験勉強してるときはばっちりだと思ってたんだけどなぁ・・・。単なる定積分の計算がいっぱい出てくるんだろうと勝手に思い込んでいたのが悪かったか。まぁ2回配当だし、来年リベンジするか。

 アメリカが日本の車に一台欠陥品があったくらいで我々は輸入禁止しないとか言ってるそうです。もちろん牛肉の輸入再禁止を批判しての発言。ナメられてますね。

 携帯をもって販売店に行ったら携帯shopに行ってくれとのこと。指示されたところに行くと1月末をもって閉店と貼紙。運の悪さもさることながら、なんで販売店に連絡行ってないねん。。。

 CDドライブが復活しましたが、まだDVD+R/-Rともに焼けず、原因も全く不明なのでDVDドライブの購入を検討中。もったいない気もするが・・・まぁノートが直ったときにはDVDドライブ売っぱらうというコトで納得しとくか。

最期 2/1

2006年02月01日 09時35分09秒 | Dream
 自殺。

 それもリスカとか練炭とか流行のスタイルじゃなくて、自殺装置のスイッチを自分で入れるという理解不能なミッションだ。

 自分の脳に酸素か栄養か何かを供給しているチューブがあって、ハサミでプチッと切ると3分ほどで徐々に意識が薄れて戻らなくなる。ご親切にも疑似体験までやらせてもらった。動いている回路のバッテリーラインをニッパーで切るイメージ(伝わらないか・・・)。だから訂正すればスイッチを入れるというよりは生命維持装置のスイッチを切るという感じだ。

 現代版の切腹みたいなモノであるが、社会的関心や形式的関心よりももっと重要なことは、登場こそしなかったが決定論的超越者がいて、自分は全く疑問を感じずに自発的にその意志行為を受容していたことだ。生まれてきたときからそのチューブを切る日は決まっている。ただチューブの切断権利(責務?)が自分に譲渡されただけの話だ。間抜けなオートマトンがプラグに繋がれていれば、動いているうちに引っこ抜けて止まる。衝動的でも計画的でも偶発的でも英雄的でも厭世的でも懲罰的でもなく、運命的なものとして死を受け入れるというスタンスの現れか。いくら現実に愛着がわかないといっても鬱でも鬱病でもなく、自殺願望があるワケでもないからその点心配しないでいただきたい。

 夜明けまでにチューブを切る(急すぎ)ということだったので、それまでにできることは何か考えて色々やった気がする。涙を流して親に不孝を詫び感謝と惜別を告げ(何故か親までが事態を冷静に受け入れていたが)、ブログに何か書いたのはとりあえず覚えている。

 さてもうじき灯を落とす頃だ。現実よさらば。

 ・・・とここで親が起こしに来て現実に連れ戻した。そういえば朝5時に力尽きて電気をつけたままベッドに寝転がったのだった。後から思えば、果たして目が覚めるまで死ぬのを先伸ばしにしていたのだろうか。あまりにシュールで泣きそうになった。

 人間いつ死ぬかわからない(生きてるけど)。心して生きよ。

 そう啓示を受けたのか。

 まぁあんたに云われるまでもないけどな、運命の女神さん。