つくもにとって「51」というのはとても大事な、特別な数字。
おそらく日本全国には同様に思っている人が何百人、何千人といるでしょう。
高校生の時に理屈ではなく魅了され、
大学受験を控えていたつくもを勇気づけてくれたのは、
いつも背番号51でした。
ゆえに、51という数字をありがたがる傾向がつくもにはあります。
銭湯のロッカーは51番を使用するし、
初もうでのお賽銭も51円を投げ込んだりします。
このgooのIDも51を使用していますしね。
そこで本題なんですけど、(前置き長っ!)
上大岡トメさんの著書に「スッキリ!」(幻冬舎)というものがあります。
これは100万部を突破した「キッパリ!」の続編です。
自分の中の「余分なもの」を削ぎ落とすための様々な方法や考え方が、
イラストと文章で楽しく紹介されています。
箇条書き形式で書かれていますので、
51番目の項目を見てみると…、
「去るものは、追わない。」
追いかけまくりなんですけど、私(苦笑)。
イラスト部分にはこう書かれています。
「引っ越しや転職で連絡が途絶えたり、
また、考え方が変わっていくことで、
価値観の違いで去っていく人もいる。
でも、ムリに追わなくていい。
次の新しい出会いのために、神様がスペースを作ってくれたのだ。」
う~ん、だとしたらなんて残酷な神様なんだろうって思ってしまいますけどね。
確かにこういう仕事をしていると「新しい出会い」というのは多く、
人間関係の絆の絶対量が決まっているのなら新しくスペースを空ける頻度は高いんでしょうけど、
「そこか? そこを空けるのか!?」っていうスペースもやっぱりあるわけで。
10年、20年のスパンで見ればそのスペースは必然であったとしても、
2、3年のスパンで見たときにそのスペースを埋めようと、
周囲を無理矢理引き延ばしている自分がいたりします。
スッキリしたいけれど、
人との別れが辛いってのは「四苦八苦」のうちの一つですからね。
なかなか悟りをひらけそうにはありません…。
おそらく日本全国には同様に思っている人が何百人、何千人といるでしょう。
高校生の時に理屈ではなく魅了され、
大学受験を控えていたつくもを勇気づけてくれたのは、
いつも背番号51でした。
ゆえに、51という数字をありがたがる傾向がつくもにはあります。
銭湯のロッカーは51番を使用するし、
初もうでのお賽銭も51円を投げ込んだりします。
このgooのIDも51を使用していますしね。
そこで本題なんですけど、(前置き長っ!)
上大岡トメさんの著書に「スッキリ!」(幻冬舎)というものがあります。
これは100万部を突破した「キッパリ!」の続編です。
自分の中の「余分なもの」を削ぎ落とすための様々な方法や考え方が、
イラストと文章で楽しく紹介されています。
箇条書き形式で書かれていますので、
51番目の項目を見てみると…、
「去るものは、追わない。」
追いかけまくりなんですけど、私(苦笑)。
イラスト部分にはこう書かれています。
「引っ越しや転職で連絡が途絶えたり、
また、考え方が変わっていくことで、
価値観の違いで去っていく人もいる。
でも、ムリに追わなくていい。
次の新しい出会いのために、神様がスペースを作ってくれたのだ。」
う~ん、だとしたらなんて残酷な神様なんだろうって思ってしまいますけどね。
確かにこういう仕事をしていると「新しい出会い」というのは多く、
人間関係の絆の絶対量が決まっているのなら新しくスペースを空ける頻度は高いんでしょうけど、
「そこか? そこを空けるのか!?」っていうスペースもやっぱりあるわけで。
10年、20年のスパンで見ればそのスペースは必然であったとしても、
2、3年のスパンで見たときにそのスペースを埋めようと、
周囲を無理矢理引き延ばしている自分がいたりします。
スッキリしたいけれど、
人との別れが辛いってのは「四苦八苦」のうちの一つですからね。
なかなか悟りをひらけそうにはありません…。
去る者は追いませんが、一応、とりあえず追って無理そうだったらあきらめるようにしてます。
「万物は流転する」
この言葉はつくもは嫌い(苦手?)です。
永遠なるもの、絶対なるもの。
そんな物は存在しないと理屈ではわかっていても、
求めずにはいられないのです。