タイトルとは裏腹に結構重い話です。(しかも長いよ)
先日、3月1日に3年生が卒業していったと書きましたが、
実はその日、つくもが顧問をしているバスケ部の生徒が退部しました。
しかも、2年生が二人。
二人しかいない2年生。故にキャプテンと副キャプテンの二人。
つくもが現在の学校に赴任すると同時に入学し、
初めての部活動顧問に試行錯誤しながら苦しんでいた時期を、
一緒に悩んだり苦しんだり、時には笑ったり励ましあった生徒2人が、
辞めていきました。
実は今年に入ってからのこの2ヶ月、
つくもは毎日のようにこの件について悩み苦しんでいました。
頭痛や胃痛、肩こり、倦怠感など、
ストレスによる体調不良のフルコースでした(苦笑)。
生徒が「だるい」とか「練習がきつい」と言うのであれば、
それは「がんばれ」と励ましたり、
逆に早めに見切りをつけて「そっか、じゃあもう退部した方がいいかもな」と言うのですが、
二人ともそれぞれの理由で、
しかも、本人達にはどうしようもない理由で、
続けるか辞めるかの選択を迫られていました。
外部コーチの問題、急な体調不良、学校のシステム、家庭環境の急な変化・・・。
あまり詳しいことは書けませんが、
来る日も来る日も本人達はもちろん、クラス担任、特活主任、養護教諭、
果ては教頭までとも話し合いを重ね、
(それだけ、本人達だけの問題ではなかったのです)
何が彼女たちにとって最良の選択なのかを模索していました。
正直なところ、終わりの方はつくもにも、
何が正しくて、何が間違っているのか。
その正誤の狭間の中でつくもはどうするべきなのかわからなくなっていました。
それはそれは、深く深く、しかし静かに混乱していました。
退部することを(つくもを含めて)3人で決めてから一週間が経つ今では、
少し物事を冷静に客観的に見ることができるようになったのですが、
もう少し早くに適切な判断ができていたのではなかろうか、と、
生徒に申し訳ない気持ちがあります。
社会人になると、他の誰かが涙を流す姿を見ることは少なくなります。
みなさんはここ最近、誰かが涙を流す姿を見ましたでしょうか?
つくもは、ほぼ毎日見ていました。
二人と話し合いを重ねていく日々で一番辛かったのは、
本来、明るく素直で笑顔の似合う二人が、
いつも暗い顔をして、つくもの前では涙にくれていたことです。
つくもは、二人が辛い思いをしていることがもちろんわかっているし、
二人も、つくもが辛い思いをしていることを知っていたでしょう。
二人はとても優しい子たちですから、そのことがまた彼女たちを傷つけたでしょう。
なのに、お互いが顔を合わせれば傷つけ苦しみ合わなければならない。
なんだか、目に見えないものに翻弄されているような気分でした。
いろんな方面と話し合った結果、
やはり部活を辞めることが最善でなくともベターであろう、という結論に達し、
どうせ辞めるなら二人一緒に、ということになったのは2月も終わろうかという頃でした。
お世話になった3年生を送り出すところまではなんとかがんばれ、
というつくもの申し出に二人は応えてくれて、
卒業式の後に先輩方を送り出した後、自分たちも部を卒業していきました。
2年前、彼女たちには他に4人の仲間がいました。
つまり、今の2年生は最初6人いたのです。
それが去年から、1人辞め、2人辞め、というふうに減っていき、
自分達がチームを引っ張っていかなければならないころには今の2人になってしまっていました。
他の四人も概ね今回の2人と同じような理由で辞めていきました。
(この辺の事情はつくもとリアルでおつきあい頂いている方はわかると思います)
つくづく、外部コーチの使い方ってのは難しいって思いましたね(言っちゃった笑)
そして、今回2人が辞めてしまったことにより、
つくもと一緒に入部した現2年生はみな退部してしまいました。
自己弁護するつもりではないですが、
つくもに責のある部分で辞めていったわけではないですが、
それでもやはり、一人もいなくなったということには落ち込みました。
もしかしたら、その事実も2人の生徒にとっては重荷の一つだったかも知れませんね。
正直なところ、今回の2人は部活を辞めなかったというよりは、
辞めそびれてしまったという方が正確な気がします。
「辞めたい」と頻繁に漏らしていたのはむしろ彼女ら二人だったように思います。
それが、「今辞めたら、先輩に迷惑が掛かる…」とか、
「今辞めたら、チームが大会に出られなくなる…」などと言っているうちに、
ズルズルと辞めるタイミングを見失っていった印象があります。
(ゆえに、「優しい子たち」なのです)
先輩方が引退してからもやはり、
「自分が辞めたら、もう一人がひとりぼっちになってしまう…」っていう思いで、
お互いがお互いのつっかえ棒になってここまで頑張ってきていました。
(そのバランスを壊したのはやはり「あの」バカなんですけどね怒)
つくもも常々「キャプテンは決めたけど、二人で一人だと思っているから」と言ってきました。
決して能力を過小評価しているのではなく、
責任を片方に押し付けたりするのではなく、役割分担してがんばるんだよ、って意味で言ってきました。
(そのバランスを崩したのも……以下略)
キャプテンの子が話してくれたことで印象的なものがあります。
「中学校の時の担任の先生が、誕生日会のたびに一人ひとりにテーマソングを選んできてくれた」というのです。
そんな彼女に中学校の先生が選んだのは、
花*花の「あ~よかった」だったんだそうです。
あ~よかったな あなたがいて
あ~よかったな あなたといて
あ~よかったな 一緒にいて
あ~よかったな 二人でいて
この歌はもちろん恋人同士を想定して作られた歌なんでしょうけど、
今のつくもには、今まで一生懸命にお互いを支えながら頑張ってきた二人のための歌に感じます。
中学校の担任は、この子のふんわりのんびりしたところがこの歌っぽいっと言ったそうなんですが、
なんだか不思議な符合を感じずにはいられません。
最後に、最近ではこの二人にも少し表情が戻ってきました。
それがせめてもの救いかなあ、と考えています。
つくも自身は、なんだか胸の中に埋めがたい穴が空いてしまったような気がしています。
こんな気持ちになったのは人生で初めてです。
なんだか、淋しいような安心したような・・・。
もしかしたら、二人も明るい表情の一枚下にはこういう気持ちがあるのかもしれません。
結末はもしかしたら、不本意なものだったかもしれない。
けれども、この二人が自分が過ごしてきた時間を後になって振り返ったときに、
「あ~よかった」と言ってくれることを願うばかりです。
先日、3月1日に3年生が卒業していったと書きましたが、
実はその日、つくもが顧問をしているバスケ部の生徒が退部しました。
しかも、2年生が二人。
二人しかいない2年生。故にキャプテンと副キャプテンの二人。
つくもが現在の学校に赴任すると同時に入学し、
初めての部活動顧問に試行錯誤しながら苦しんでいた時期を、
一緒に悩んだり苦しんだり、時には笑ったり励ましあった生徒2人が、
辞めていきました。
実は今年に入ってからのこの2ヶ月、
つくもは毎日のようにこの件について悩み苦しんでいました。
頭痛や胃痛、肩こり、倦怠感など、
ストレスによる体調不良のフルコースでした(苦笑)。
生徒が「だるい」とか「練習がきつい」と言うのであれば、
それは「がんばれ」と励ましたり、
逆に早めに見切りをつけて「そっか、じゃあもう退部した方がいいかもな」と言うのですが、
二人ともそれぞれの理由で、
しかも、本人達にはどうしようもない理由で、
続けるか辞めるかの選択を迫られていました。
外部コーチの問題、急な体調不良、学校のシステム、家庭環境の急な変化・・・。
あまり詳しいことは書けませんが、
来る日も来る日も本人達はもちろん、クラス担任、特活主任、養護教諭、
果ては教頭までとも話し合いを重ね、
(それだけ、本人達だけの問題ではなかったのです)
何が彼女たちにとって最良の選択なのかを模索していました。
正直なところ、終わりの方はつくもにも、
何が正しくて、何が間違っているのか。
その正誤の狭間の中でつくもはどうするべきなのかわからなくなっていました。
それはそれは、深く深く、しかし静かに混乱していました。
退部することを(つくもを含めて)3人で決めてから一週間が経つ今では、
少し物事を冷静に客観的に見ることができるようになったのですが、
もう少し早くに適切な判断ができていたのではなかろうか、と、
生徒に申し訳ない気持ちがあります。
社会人になると、他の誰かが涙を流す姿を見ることは少なくなります。
みなさんはここ最近、誰かが涙を流す姿を見ましたでしょうか?
つくもは、ほぼ毎日見ていました。
二人と話し合いを重ねていく日々で一番辛かったのは、
本来、明るく素直で笑顔の似合う二人が、
いつも暗い顔をして、つくもの前では涙にくれていたことです。
つくもは、二人が辛い思いをしていることがもちろんわかっているし、
二人も、つくもが辛い思いをしていることを知っていたでしょう。
二人はとても優しい子たちですから、そのことがまた彼女たちを傷つけたでしょう。
なのに、お互いが顔を合わせれば傷つけ苦しみ合わなければならない。
なんだか、目に見えないものに翻弄されているような気分でした。
いろんな方面と話し合った結果、
やはり部活を辞めることが最善でなくともベターであろう、という結論に達し、
どうせ辞めるなら二人一緒に、ということになったのは2月も終わろうかという頃でした。
お世話になった3年生を送り出すところまではなんとかがんばれ、
というつくもの申し出に二人は応えてくれて、
卒業式の後に先輩方を送り出した後、自分たちも部を卒業していきました。
2年前、彼女たちには他に4人の仲間がいました。
つまり、今の2年生は最初6人いたのです。
それが去年から、1人辞め、2人辞め、というふうに減っていき、
自分達がチームを引っ張っていかなければならないころには今の2人になってしまっていました。
他の四人も概ね今回の2人と同じような理由で辞めていきました。
(この辺の事情はつくもとリアルでおつきあい頂いている方はわかると思います)
つくづく、外部コーチの使い方ってのは難しいって思いましたね(言っちゃった笑)
そして、今回2人が辞めてしまったことにより、
つくもと一緒に入部した現2年生はみな退部してしまいました。
自己弁護するつもりではないですが、
つくもに責のある部分で辞めていったわけではないですが、
それでもやはり、一人もいなくなったということには落ち込みました。
もしかしたら、その事実も2人の生徒にとっては重荷の一つだったかも知れませんね。
正直なところ、今回の2人は部活を辞めなかったというよりは、
辞めそびれてしまったという方が正確な気がします。
「辞めたい」と頻繁に漏らしていたのはむしろ彼女ら二人だったように思います。
それが、「今辞めたら、先輩に迷惑が掛かる…」とか、
「今辞めたら、チームが大会に出られなくなる…」などと言っているうちに、
ズルズルと辞めるタイミングを見失っていった印象があります。
(ゆえに、「優しい子たち」なのです)
先輩方が引退してからもやはり、
「自分が辞めたら、もう一人がひとりぼっちになってしまう…」っていう思いで、
お互いがお互いのつっかえ棒になってここまで頑張ってきていました。
(そのバランスを壊したのはやはり「あの」バカなんですけどね怒)
つくもも常々「キャプテンは決めたけど、二人で一人だと思っているから」と言ってきました。
決して能力を過小評価しているのではなく、
責任を片方に押し付けたりするのではなく、役割分担してがんばるんだよ、って意味で言ってきました。
(そのバランスを崩したのも……以下略)
キャプテンの子が話してくれたことで印象的なものがあります。
「中学校の時の担任の先生が、誕生日会のたびに一人ひとりにテーマソングを選んできてくれた」というのです。
そんな彼女に中学校の先生が選んだのは、
花*花の「あ~よかった」だったんだそうです。
あ~よかったな あなたがいて
あ~よかったな あなたといて
あ~よかったな 一緒にいて
あ~よかったな 二人でいて
この歌はもちろん恋人同士を想定して作られた歌なんでしょうけど、
今のつくもには、今まで一生懸命にお互いを支えながら頑張ってきた二人のための歌に感じます。
中学校の担任は、この子のふんわりのんびりしたところがこの歌っぽいっと言ったそうなんですが、
なんだか不思議な符合を感じずにはいられません。
最後に、最近ではこの二人にも少し表情が戻ってきました。
それがせめてもの救いかなあ、と考えています。
つくも自身は、なんだか胸の中に埋めがたい穴が空いてしまったような気がしています。
こんな気持ちになったのは人生で初めてです。
なんだか、淋しいような安心したような・・・。
もしかしたら、二人も明るい表情の一枚下にはこういう気持ちがあるのかもしれません。
結末はもしかしたら、不本意なものだったかもしれない。
けれども、この二人が自分が過ごしてきた時間を後になって振り返ったときに、
「あ~よかった」と言ってくれることを願うばかりです。
つくもさんの2人への愛情と、2人のお互いの愛情が伝わってきますね。
最近、こうして大人になってしまった私たちは確かに、人の涙を見ることが少なくなりました。
しかし、このブログにちょっと涙しておる太陽です
事情は聞いておりませんでしたが、大変だったようです。でも、そんな心優しいつくもさんが2人の隣にいつもいてあげたから、2人はこれまで頑張ってこれたんだと思います。
私もこの歳になっても、「恩師への感謝」が胸の中にずっとあり続けるのは、成長していく中で、いかに「教諭」という存在が、大切なものなのかを物語っていると思います。
私も、人が前に進むために「そっ」と背中を押してあげられる人間になりたいといつも考えています。
いい職業だと思います。つくもさんが「正しい」と思ったことは決して間違いではないと思います。全て正解ではないかもしれませんが、人には「心」があります。その「心」が「気持ち」として伝わります。それは、とても大切なことだと思います。
なんだか仕事場で感情が高ぶり長いコメントになったことをお許しください
私は部活には苦い思い出が多いです(苦笑)
私は途中で辞めてしまいました。色々あって・・・・・・自分でなにが原因でどこが始まりだったのか覚えてないぐらい・・・・・・混乱してたのか、忘れようとしてたのか、自己弁護の為なのか、それはわからないけれど。
私の顧問は「テニスが楽しくないのか?」と聞いてきました。「楽しいのなら続けてみろ」と。でも私にとってテニスは部活であって、テニス単体で考えることはできず、部活は楽しくなかったんですよね・・・・・・。その顧問も1つの理由で(笑)そこで「ここで嫌々部活をやっていて何を得られるのかなー・・・・・・」なんて考えて。家族に散々言われたり、顧問にも上の問いを幾度となくされ答えに困ったりしました^^;でも辞めたときある先生が「どうしても合わないこともあるから」と言ってくれたのが、とても嬉しかったのを覚えています^^
今の私はあの経験がなければいないですし(当然といえば当然ですが)、あの経験をしてよかったなーと思っています。悲しみを知らずして知ることが出来ることなんて限られてると思いますし・・・・・・悲しいですが^^;経験をすることになってしまった要因を許すわけではないですけど。・・・・・・上のことを考えると許すべきなのかもしれませんけどね(苦笑)
その方達が辞めた理由は私とはかなり違うと思いますが、きっとなんとかなります!2人でいるなら支えあえますよ^^きっと。
長い上に相変わらず構成悪い文ですいません(苦笑)
>太陽さん
大変熱いコメントありがとうございます。
この二ヶ月間、教師の役割というものについて深く考えさせられました。
二人とは二年間、冗談抜きでそれぞれの家族よりも長い時間をおそらく過ごしてきました。
ゆえに、どこか家族のような、年の離れた友人のような気持ちがあったのは事実です。
しかし、自分は教師である。
本心では「楽にしてあげたい」「もう辞めさせてあげたい」と思っても、
教育的見地から続けさせた方がよいのではないか、という葛藤にとらわれており、
それが、判断の遅さを招いたのだろうと思っています。
「サラ教(サラリーマン教師)」になりたくはないですが、
プロとして冷静で客観的な判断がなかなかできない自分、
つまりは情が移りやすい自分は教師に向いてないのかな、とも思いますね。
なんだか、愚痴ですね。ごめんなさい
>Winさん
日本の「部活」っていわゆるクラブ活動と違って、
精神論を持ち込むことが多いですからね。
それは決して悪いことではないとつくもは思うのですが、
純粋にそのスポーツなり文化活動なりを楽しむことは難しいかもしれませんね。
特に女の子の場合は、人間関係なんかが入ってくるからなおさらです^^;
Winさんのおっしゃるように、悲しい経験をしたからこその成長は貴重だと思います。
続けた人間にはそれなりの、辞めた人間にもそれなりの成長があると思いますしね。
二人に関しても、辞めた後にそれぞれやりたいことがあるというので、
急に生活が乱れることもないだろうし、
今までの経験や集中力をそれに活かしてもらえればな、と思います。