かくして、始業式の前日、つまり俺達が中学校に挨拶に行く日がきた。門の前まで来ると、さすがにちょっと緊張するな。時間は、午前十時。電話で指定された。まだ、新入生が小学生そのままの顔で、母親と談笑している。たまに、好奇の目を向けてくる親子もいた。それだけ、俺達の関係が微妙なものに見えるのだろう。職員室でどんな顔をすればいいか、どんな事を言えばいいかを考えるとますます緊張してしまう。瑠璃も同じらしく、表情が硬い。
「行こう」
俺は瑠璃を促して、来客/職員用の正面玄関から校内に二年ぶりに足を踏みいれた。
変わってねーなあ、というのが、校内の第一印象だった。ま、二年間じゃあ大して変わった事・物がないのは当然かもしれないが。職員室の前で、先生の席の配置を記した貼紙を見る。が。俺が三年の時の担任、小村さん以外親しかった先生がいない。どうやら、ここ二年で異動が相当数あったらしい。とりあえず、瑠璃を外に待たせて一人中へ入る。
「失礼しまーす・・・」
こっちは失礼なこと何もしてないけど、奇妙な慣例だなと思う。先生たちの顔が一勢にこっちを向く。が、俺は構わず真っすぐに、年代物のワープロに貼り付いている小村さんの机に向かった。顔を、モニターから20センチ位のところまで近づけていて、器用にブラインドタッチで文章を打ちこんでいる。
「どうも、お久しぶり」
そのおっさんは、声を掛けてようやくワープロから顔を引き剥がした。小村義則、通称ヨっさん。眉と目の離れた、いかにもとぼけた風貌をしている。しかしあくまで眼光は鋭い。その光は、教師を天職と言って憚らず、あくまで現場の一教師として、優秀な生徒を、道徳的な人間をこの世に送り出したいと願っている、その意思表示のようなものだった。
「なんだ、誰かと思えばわしが見た中では最高の問題児、矢島じゃないか」
そんなに迷惑かけたつもりないんだけど。まぁこれはこれで、この人なりの誉め言葉なのかもしれない。
「知らない先生に聴こえよがしに言わないでくれよ。まるで俺が落ちこぼれみたいだ」
「違ったか?それにしても何の用だ?」
全く、このおっさんも二年前と変わらずか。のらりくらり、年の功で中学生を軽くあしらう。
「転校生の事、聞いてないか?」
「新学期だからな、転校生ぐらいいるだろう」
そう言いつつ、湯飲みのお茶をずずっとすする。
「そうでなくて、今日この時間に挨拶してくるって聞いてない?」
「さあ。わしの管轄外だからな」
「そんな、今は三年生の学年主任やってるんじゃないの?」
「冗談だよ。確か、女子生徒が一人だったな」
「名前は聞いた?」
「もちろん。たしか・・・矢島瑠璃・・・やじま?ま、まさか・・・。お前!」
「そう。訳ありで、ね。俺が保護者兼兄貴になったんだ」
小村さんは、何事か思案する様に首をひねっていたが、何かを悟ったらしい。
「そうか。お前の親父さんは考古学者だったな。その関係だな?」
「そういうこと。詳しくは後で話すから、早く校長に挨拶させてくれよ、外に待たせてあるんだ」
「わかった、わかった。じゃあ、呼んでこい」
俺は、外で職員室の壁の掲示物を見ていた瑠璃を招き入れた。いつのまにか、回りの先生の目が瑠璃に集中していた。
「気にすんな、どうせこれからイヤでも顔を合わせる人達なんだ。今の内に顔見せとけよ」
俺がそっと耳打ちすると、瑠璃は彼らに向かってふかぶかとお辞儀をした。うむ、つかみはオッケーだろう。職員室の中から校長室に入る。俺がお世話になった校長は、すでに他校に移っている。新校長に会うのも、見るのも初めてだ。しばらくして、廊下側から小村さんの後につづいて、やや痩せぎすの人が入ってきた。表情は今のところ温和そうだ。
「どうも初めまして。校長の伊良湖です」
「こちらこそ、矢島亮太郎です」
「矢島瑠璃です」
校長があまりにも丁寧な挨拶をするので、俺達も深くお辞儀をした。ヤな人ではなさそうだ。
「瑠璃さん、話は全てお父さんから聞きました。だから、ここではここではそういう話はナシです。二人暮しというのも問題ではありません。東和吉中学と私伊良湖澄也、そして職員一同、矢島瑠璃さん、貴方を歓迎します」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
瑠璃はぺこりと頭を下げた。いろいろな心配事も取り越し苦労だったようだ。
「では、私はこれで。短いですが、いろいろと仕事がたまっているもので」
「すいません、お忙しいところ」
「いえいえ。では明日、始業式でお目にかかりましょう」
校長は風の様に去って行った。
「忙しい人だろう?でも、わしはあの人が大好きでな。どこがって言われたら困るが、なんとなく、な」
「分かるよ。俺も気に入った。こんな校長がいると、生徒も明るいんじゃない?」
「ああ。少なくとも、巷で言われているような荒んだところはない。生徒も、自分達が主役になって生活していくという自覚があるんだ。これは言うまでもないが、お前が成したことでもあるんだぞ」
「やめてよ、俺にはそんなつもりはなかった。ただ、あいつが許せなかっただけさ。ああいう奴がいるせいで、どれだけの人のやる気を奪ったか。それを考えたら、とても黙っていられなかったんだ」
「考えるやつは大勢いても、何人が行動に移したか。結局、内申書にキズがつくのを恐れるんだ。その点、お前は大したタマだ」
「ま、高校進学がダメになっても手はあると思ったからさ。進学を気にするよりも、間違った事を認めたくなかったのが第一理由だね」
瑠璃は、二人の会話の意味がさっぱり分からないといった風だ。無理もない。
「変わっとらんな。将来苦労するぞ」
「望むところさ。自分で選んだ生き方だからね」
「うむ。頑張れよ。わしは、お前が将来何か大きい事をやるんじゃないかと思っとる。道を見失いそうになったら、いつでも相談しに来い」
「ははは、買いかぶりすぎだよ」
「まあ今のは、ひとりごととしてでも受け止めておいてくれ。将来壁にぶつかった時に、お前に期待している人間がいた事を忘れない様にな。じゃ、わしは仕事にもどるよ」
「うん。それじゃあ。あ、校内を案内してやりたいんだけど、いいかな?」
「ああ、ゆっくり見ていけ。それじゃ矢島君、明日は八時頃に職員室に寄りたまえ。始業式は免除する。あ、制服は間に合わないなら着てこなくてもいいぞ、こういう時のためのスペアがあるから。その時は、正面玄関から来なさい。それとお兄さんをよろしくな」
「はい」
小村さんは背中を丸めて職員室に去った。全く、あんな歩き方してるから実際より歳に見られるんだよ。
「さ、行こうぜ」
俺は、瑠璃を三年の教室の方へ連れて行った。瑠璃はその間にも何かを聞きたそうだったが、黙っていた。
「ここが俺が三年だった時の教室だ」
「おにいちゃん、訊いてもいい?」
「なんだ?さっき話してたことか?」
「うん。どういうことなの?おにいちゃんが成した事とか、行動に移すとか」
「なあに、テストの結果が急に良くなったからって、カンニングしたんだろうって教科担当の教師にハッキリ言われたから、頭に来てな。噛みついたんだ。学校行事のいろいろな場で、太田っていうんだけど、その事をみんなに訴えたんだ。もともと俺とそいつは折り合いが悪くて…向こうも、何かしら俺にいちゃもんをつける機会を窺っていたんだろうよ。最初はみんな冷めてたけど、同じ思いをした奴が沢山いたらしくてな。じょじょにボルテージが上がっていって、ついに太田は閑職に追いやられた。そのことがきっかけで、今の生徒は自分達が進んでより良い方向に向けて生活しているらしいんだ」
「じゃあ、おにいちゃんは革命の指導者っていうことだったの」
「そんなに大袈裟なもんじゃないさ。確かに、中学の熱い思い出であることは確かだ」
「おにいちゃん、私、感動した。これから過ごす学校が、私のおにいちゃんのおかげで楽しそうな所になってるんだもん」
「だから大袈裟だって」
それでも瑠璃は、俺への熱い眼差しを止めなかった。
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「行こう」
俺は瑠璃を促して、来客/職員用の正面玄関から校内に二年ぶりに足を踏みいれた。
変わってねーなあ、というのが、校内の第一印象だった。ま、二年間じゃあ大して変わった事・物がないのは当然かもしれないが。職員室の前で、先生の席の配置を記した貼紙を見る。が。俺が三年の時の担任、小村さん以外親しかった先生がいない。どうやら、ここ二年で異動が相当数あったらしい。とりあえず、瑠璃を外に待たせて一人中へ入る。
「失礼しまーす・・・」
こっちは失礼なこと何もしてないけど、奇妙な慣例だなと思う。先生たちの顔が一勢にこっちを向く。が、俺は構わず真っすぐに、年代物のワープロに貼り付いている小村さんの机に向かった。顔を、モニターから20センチ位のところまで近づけていて、器用にブラインドタッチで文章を打ちこんでいる。
「どうも、お久しぶり」
そのおっさんは、声を掛けてようやくワープロから顔を引き剥がした。小村義則、通称ヨっさん。眉と目の離れた、いかにもとぼけた風貌をしている。しかしあくまで眼光は鋭い。その光は、教師を天職と言って憚らず、あくまで現場の一教師として、優秀な生徒を、道徳的な人間をこの世に送り出したいと願っている、その意思表示のようなものだった。
「なんだ、誰かと思えばわしが見た中では最高の問題児、矢島じゃないか」
そんなに迷惑かけたつもりないんだけど。まぁこれはこれで、この人なりの誉め言葉なのかもしれない。
「知らない先生に聴こえよがしに言わないでくれよ。まるで俺が落ちこぼれみたいだ」
「違ったか?それにしても何の用だ?」
全く、このおっさんも二年前と変わらずか。のらりくらり、年の功で中学生を軽くあしらう。
「転校生の事、聞いてないか?」
「新学期だからな、転校生ぐらいいるだろう」
そう言いつつ、湯飲みのお茶をずずっとすする。
「そうでなくて、今日この時間に挨拶してくるって聞いてない?」
「さあ。わしの管轄外だからな」
「そんな、今は三年生の学年主任やってるんじゃないの?」
「冗談だよ。確か、女子生徒が一人だったな」
「名前は聞いた?」
「もちろん。たしか・・・矢島瑠璃・・・やじま?ま、まさか・・・。お前!」
「そう。訳ありで、ね。俺が保護者兼兄貴になったんだ」
小村さんは、何事か思案する様に首をひねっていたが、何かを悟ったらしい。
「そうか。お前の親父さんは考古学者だったな。その関係だな?」
「そういうこと。詳しくは後で話すから、早く校長に挨拶させてくれよ、外に待たせてあるんだ」
「わかった、わかった。じゃあ、呼んでこい」
俺は、外で職員室の壁の掲示物を見ていた瑠璃を招き入れた。いつのまにか、回りの先生の目が瑠璃に集中していた。
「気にすんな、どうせこれからイヤでも顔を合わせる人達なんだ。今の内に顔見せとけよ」
俺がそっと耳打ちすると、瑠璃は彼らに向かってふかぶかとお辞儀をした。うむ、つかみはオッケーだろう。職員室の中から校長室に入る。俺がお世話になった校長は、すでに他校に移っている。新校長に会うのも、見るのも初めてだ。しばらくして、廊下側から小村さんの後につづいて、やや痩せぎすの人が入ってきた。表情は今のところ温和そうだ。
「どうも初めまして。校長の伊良湖です」
「こちらこそ、矢島亮太郎です」
「矢島瑠璃です」
校長があまりにも丁寧な挨拶をするので、俺達も深くお辞儀をした。ヤな人ではなさそうだ。
「瑠璃さん、話は全てお父さんから聞きました。だから、ここではここではそういう話はナシです。二人暮しというのも問題ではありません。東和吉中学と私伊良湖澄也、そして職員一同、矢島瑠璃さん、貴方を歓迎します」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
瑠璃はぺこりと頭を下げた。いろいろな心配事も取り越し苦労だったようだ。
「では、私はこれで。短いですが、いろいろと仕事がたまっているもので」
「すいません、お忙しいところ」
「いえいえ。では明日、始業式でお目にかかりましょう」
校長は風の様に去って行った。
「忙しい人だろう?でも、わしはあの人が大好きでな。どこがって言われたら困るが、なんとなく、な」
「分かるよ。俺も気に入った。こんな校長がいると、生徒も明るいんじゃない?」
「ああ。少なくとも、巷で言われているような荒んだところはない。生徒も、自分達が主役になって生活していくという自覚があるんだ。これは言うまでもないが、お前が成したことでもあるんだぞ」
「やめてよ、俺にはそんなつもりはなかった。ただ、あいつが許せなかっただけさ。ああいう奴がいるせいで、どれだけの人のやる気を奪ったか。それを考えたら、とても黙っていられなかったんだ」
「考えるやつは大勢いても、何人が行動に移したか。結局、内申書にキズがつくのを恐れるんだ。その点、お前は大したタマだ」
「ま、高校進学がダメになっても手はあると思ったからさ。進学を気にするよりも、間違った事を認めたくなかったのが第一理由だね」
瑠璃は、二人の会話の意味がさっぱり分からないといった風だ。無理もない。
「変わっとらんな。将来苦労するぞ」
「望むところさ。自分で選んだ生き方だからね」
「うむ。頑張れよ。わしは、お前が将来何か大きい事をやるんじゃないかと思っとる。道を見失いそうになったら、いつでも相談しに来い」
「ははは、買いかぶりすぎだよ」
「まあ今のは、ひとりごととしてでも受け止めておいてくれ。将来壁にぶつかった時に、お前に期待している人間がいた事を忘れない様にな。じゃ、わしは仕事にもどるよ」
「うん。それじゃあ。あ、校内を案内してやりたいんだけど、いいかな?」
「ああ、ゆっくり見ていけ。それじゃ矢島君、明日は八時頃に職員室に寄りたまえ。始業式は免除する。あ、制服は間に合わないなら着てこなくてもいいぞ、こういう時のためのスペアがあるから。その時は、正面玄関から来なさい。それとお兄さんをよろしくな」
「はい」
小村さんは背中を丸めて職員室に去った。全く、あんな歩き方してるから実際より歳に見られるんだよ。
「さ、行こうぜ」
俺は、瑠璃を三年の教室の方へ連れて行った。瑠璃はその間にも何かを聞きたそうだったが、黙っていた。
「ここが俺が三年だった時の教室だ」
「おにいちゃん、訊いてもいい?」
「なんだ?さっき話してたことか?」
「うん。どういうことなの?おにいちゃんが成した事とか、行動に移すとか」
「なあに、テストの結果が急に良くなったからって、カンニングしたんだろうって教科担当の教師にハッキリ言われたから、頭に来てな。噛みついたんだ。学校行事のいろいろな場で、太田っていうんだけど、その事をみんなに訴えたんだ。もともと俺とそいつは折り合いが悪くて…向こうも、何かしら俺にいちゃもんをつける機会を窺っていたんだろうよ。最初はみんな冷めてたけど、同じ思いをした奴が沢山いたらしくてな。じょじょにボルテージが上がっていって、ついに太田は閑職に追いやられた。そのことがきっかけで、今の生徒は自分達が進んでより良い方向に向けて生活しているらしいんだ」
「じゃあ、おにいちゃんは革命の指導者っていうことだったの」
「そんなに大袈裟なもんじゃないさ。確かに、中学の熱い思い出であることは確かだ」
「おにいちゃん、私、感動した。これから過ごす学校が、私のおにいちゃんのおかげで楽しそうな所になってるんだもん」
「だから大袈裟だって」
それでも瑠璃は、俺への熱い眼差しを止めなかった。
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