サファイア

日記です。

末娘の手紙

2014-03-03 11:20:21 | 思ったこと

いい天気ですが   風が強く吹いているのか? ビュービューと風音が聞こえます。
昨夜は、婿殿も仕事が早く終わったので~ ご要望に応えて『たこ焼き』にしました。
カワイイ婿殿と飲むための美味しい焼酎を買って、話が盛り上がり楽しそうです 
牡蠣のバター焼き、ナマコ、刺身サラダも付け合わせです 
話の中で、これからのこともチョッと触れ「こんな娘ですが、よろしくネ 」と~。
2人が帰った後、シミジミと娘からの手紙を読み返して   これも記念に残しておこうと思います。

「お父さん・お母さんへ
お父さん、お母さん28年間 私を育ててくれて 本当にありがとうございました。
私はお父さんとお母さんが38歳の時の子供で、今では高齢出産は当たり前の時代になりましたが、
当時の子育てはとても大変だったと思います。
幼い頃から体が弱く病気がちだった私を毎日、病院へ連れて行ってくれたそうですね。
今でこそ、よく笑って泣いて怒る、とっても騒がしい子になりましたが、小学4年生の頃 心臓の病気
が見つかった時は、どれだけ心配をかけたことでしょう。
ICUで目が覚めた時に、まず口から出た言葉は「お母さん」でした。
手術後に水の量を制限されて、一度に氷の半分も与えてもらえませんでした。
そんな時、夜中に痛みで目が覚めて水が飲みたいと言う気力もなかった私は、手が届くか届かない
かの距離で寝ているお母さんをただ見つめることしかできませんでした。
すると、不意に目覚めたお母さんは氷の欠片を私の口の中に入れてくれましたね。
覚えていますか?
ビックリしたのと同時にやっぱりお母さんはすごいなぁと思ったことを今でも鮮明に覚えています。

お父さん、お父さんは定年を過ぎても家族の為に仕事を頑張ってくれて、休みを返上して遅くまで
働くことも多いですね。
そんな姿を見て普段は言ったことないけど、本当に尊敬してたよ。
仕事が忙しくて、どんなに疲れていても休みの度に 北海道と沖縄以外は日本中どんなとこへでも
車で旅行に連れて行ってくれましたね。
私は移動中、ただ寝ているだけだったけれど、色んな場所に行けたことは大切な財産です。
小学生の頃は習い事には欠かさず毎回迎えに来てくれて、社会人になっても送迎してくれましたね。
いつまでも甘やかしてもらってありがとう。
そして、T君とEちゃん、一回り以上年の離れた兄弟がいることは私の自慢でした。
おばあちゃんとおじいちゃんがいなかった私が全然寂しくなかったのは、T君とEちゃんがいてくれた
からだと思います。
けれど思春期の大事な時期に私が生まれたことで、お母さんが私に付きっきりになって寂しい想い
をさせてしまってごめんね。

一度も親元を離れたことがない私が入籍を機にY君と暮らすようになり、自分の未熟さと共に改めて
家族のありがたみを感じました。
本当に今までありがとう。
家族みんなの愛情をいっぱいに受けて、私は自分の好きな道を進むことができて、とても幸せです。


Y君のお義父さん お義母さん、今までY君をおおらかで優しく育ててくださってありがとうございます。
お家にお邪魔した時には、いつもご馳走を用意してくださって 毎回行くのがとても楽しみです。
料理上手な家庭に育ったY君の舌を満足させるのはなかなか大変ですが、私なりに頑張りたいと
思います。
まだまだ未熟な嫁ではありますが、これからはY君と助け合いながら、明るく笑いの絶えない家庭を
築いていきますので、どうか温かく見守っていてください。
宜しくお願いします。
そして2人のおばあちゃん、初めてのおばあちゃんができて嬉しく思っています。
元気でながいきしてくださいね。
    平成26年2月22日               Rより」


布で作ってあるたツバメの巣が軒下に付けてあるんですョ。
本物のヒナが、エサを持って来る親を待っているようでしょう??
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