暑い! 風が入って来ません 微風でしのぎます。
月末です、今日で新聞を止めるので、最後の『こだま』を切り抜きました
最初に投稿したのは1995年8月31日の『娘の手術』という題でした。
身体が弱いので「イツまで生きられるかワカラン」恐怖はズッ~とありました
ソレが小学4年の春の健康診断で、産休の代理の先生がメモ書きを下さったのです
大きな病院で診てもらった方が良いんでは無いでしょうか?
「ドクターが聴診器を当てて首をひねっている」というモノでした。
急いで、日赤へ連れて行きました あの時のコトは今でも忘れられません
先生にもお世話になりました あのコトが無ければ、今頃は・・・
そして2000年12月31日に載った記事、『終わりよければ』です。
息子が結婚したいと娘さんを連れて来た時です
トモカク息子には早く結婚をして、自分の家庭を持って欲しい
病気がちな末娘にカマケて来たので、ホッと肩の荷を下ろしたかったのカモ知れません
思春期の息子は甘えるコトも無く、不自由な思いをさせて来たのは確かです。
結婚の日取り・家などが決まり、トントン拍子にコトが進みました
私たちもイツまでも賃貸じゃイケンからと、マンションを買って引っ越した。
ソレから2006年3月7日の『あの頃』に「風早アパート」という題の記事を載せてもらった。
3月21日の『ふれあい』では手作りの革財布も載せてもらった。
投稿するというコトが楽しかったし、ウレシイ経験でしたネぇ~!
今、イロイロ思い返すと、あのころが一番タイヘンだったケド、良かったナぁ~、と
中国新聞には毎日の『こだま』・土曜日の『クイズ』が楽しみでした。が・・・
仕方がアリマセン。
そして、今日が最後となりました2023年7月31日は『富士山旅行』という記事でした。
富士山まで日帰り旅行 チョッと驚きましたが、良い親孝行をされたと~
ソレも、名前が竹原の「風早さん」 因縁を感じるのは「風早生まれ」のセイでしょうか。
さて、孫娘が「バーちゃんのお迎えがイイ」と言うので、馳せ参じましたょ
と、その前に 月末処理をしておきました。
そして、夕食は昨夜の残りと餃子& ビールはゼッタイ要るね!
ウインナーしか残って無かった。
カリッと焼けてなかった