雪がふりますねぇ、今日はコタツムリです。
空を見上げているとツイ弟のことを考えてしまいます。
元気な頃は、時たま「元気よ!」と連絡して来たものです。
弟も私も同じような失望の波に翻弄されて、今があります。
『なにくそ!』っていう気持があれば、もっと違った人生があったでしょう。
ソレが、弱い性格というか? やさしい気持ちの弟には『逃げ』で過ごしてきた
のだと、時々話してきたものです。
『逃げ』の自分から逃げることをしなかったから~!?って。
母がよく言っていたものです「あんたと代わっていれば良かったのに~!」と。
そうかも知れない そうしたら強い気持で癌なんかぶっ飛ばすのに・・・。
母の元で家業を手伝わされて、無給のまま束縛された青春。
信じられないでしょうが、親に『恩返し』奉公でした。
女である私は、24才で結婚という逃げ場を決めました。
事実婚?いわゆる出来ちゃった婚
が、彼にはそれは許されません!でした。
彼女を連れて行っても「どこの馬の骨・・・」と、聞こうともしません。
そうです、永遠に永久に無給奉仕は要求されるのです。
それからは失意のどん底!
やりたい事も、夢も、希望も・・・何も持てなくなってしまった
ソレは母が亡くなることで、ヤット終わりを迎えました。
彼が犠牲者になって、唯一の楽しみはバイクでした。
免許は色んな車種を持っていました。
苦労をして取ったであろう免許更新は入院していて、出来ませんでした
ツイこの間まで、バイクに乗れる日を待っていたのに・・・
まだ意識がある時、「車に乗れなくなったから、つまらん!」と言っていたそう
です。
新しい、静かな終の棲家に妻と二人で過ごせる貴重な時間
「やっと!穏やかな シアワセな時がきたのですねぇ」と、義妹が言う。
そう言ってくれるから、私もホッとできる。
思う言葉が口から出て来ない苛立ちを、苦にした顔で何か言おうとする弟の
顔を見ながら黙って聞いているしかできない