姫路城大天守最上層にあった鯱は今「リの一渡櫓」で公開中です。

この鯱をよく見ると何か書かれているのが判ります。
矢印の部分です。


「貞享四年在銘の旧鯱を模して作・・・」の文字が読み取れます。
説明文にはこう記されています。

当時初代は発見されていなかったので、この2代目の「貞享」鯱瓦を元にして大天守の11尾のすべての鯱瓦が復元されたのです。
では、この鯱はどこに揚げられていたものでしょうか?
実は、大天守二重大千鳥破風西棟に揚げられていた鯱なのです。以前三左衛門は 2008-06-18 でこう記したことがあります。
「鯱は狛犬や仁王像のように阿吽の対とも言われています。口を開けている阿がオスで、閉じている吽がメス。姫路城の鯱を復元した故小林平一さんも同じことをおっしゃっていたのを直に聞いたことがあります。
一般的に棟が南北に向いている場合は南にオス、北にメスで東西の場合は東がオス、西がメス。」
「貞享」鯱は西棟に揚げられていたので、口を閉じた吽(ン)型、つまりメスです。そして、11尾すべてがこの「ン」型に完全同形で統一復元されてしまったため、姫路城天守の鯱は知ってか知らずかすべてメスになってしまったようです。
さて、今回、昭和の鯱も傷みがひどいためあらたに鯱瓦を造り直すそうです。とすれば、平成になって発見された初代の鯱を是非復元してもらいものです。それもオス・メス一体の「ア・ン」型で。

この鯱をよく見ると何か書かれているのが判ります。
矢印の部分です。


「貞享四年在銘の旧鯱を模して作・・・」の文字が読み取れます。
説明文にはこう記されています。

当時初代は発見されていなかったので、この2代目の「貞享」鯱瓦を元にして大天守の11尾のすべての鯱瓦が復元されたのです。
では、この鯱はどこに揚げられていたものでしょうか?
実は、大天守二重大千鳥破風西棟に揚げられていた鯱なのです。以前三左衛門は 2008-06-18 でこう記したことがあります。
「鯱は狛犬や仁王像のように阿吽の対とも言われています。口を開けている阿がオスで、閉じている吽がメス。姫路城の鯱を復元した故小林平一さんも同じことをおっしゃっていたのを直に聞いたことがあります。
一般的に棟が南北に向いている場合は南にオス、北にメスで東西の場合は東がオス、西がメス。」
「貞享」鯱は西棟に揚げられていたので、口を閉じた吽(ン)型、つまりメスです。そして、11尾すべてがこの「ン」型に完全同形で統一復元されてしまったため、姫路城天守の鯱は知ってか知らずかすべてメスになってしまったようです。
さて、今回、昭和の鯱も傷みがひどいためあらたに鯱瓦を造り直すそうです。とすれば、平成になって発見された初代の鯱を是非復元してもらいものです。それもオス・メス一体の「ア・ン」型で。
ますます、平成の鯱がどんな形になるのか楽しみです!
勉強させていただき、ありがとうございました。
姫路城は行くたびに新しい発見があって面白いです。
次回はどんな風になっているのかワクワクします。
三左衛門さんは、普段、姫路城の事務所にいらっしゃるのですか?
休日はできるだけ登城し、姫路城管理事務所内にある姫路城外国語ガイド協会(VEGA)の事務所で待機して外国人ゲストを待っています(^.^)
確かに新しいシャチはオスとメスで作ってほしいですね。
名古屋城の金シャチは東はメス、西はオスと書いていたと思いますが・・・
昭和の鯱が奈良の職人によって作られていたのには正直驚きました。姫路の小林さんが作ったものだと思い込んでいましたから・・・
>名古屋城の金シャチは東はメス、西はオスと書いていたと思いますが・・・
えっ・・・・(^_^;)
慌てて調べたら「名古屋城公式ウェブサイト」に雄(北側)雌(南側)と記されていました。