脚本:重森孝子
音楽:中村滋延
語り:藤田弓子
出 演
悠 加納みゆき:京都の繊維問屋「竹田屋」の三女
葵 松原千明 :竹田家の長女(中之島病院で看護婦、大阪空襲で焼け出され帰郷)
桂 黒木 瞳 :竹田家の二女(竹田屋を継いだ)
義二 大竹修造 :桂の夫(婿養子)
お康 未知やすえ:「竹田屋」の奉公人(悠付きの女中さん) 前回は11月20日(44話)
亀吉 阿木五郎 :「竹田屋」の奉公人(家の中の雑用、今は借家の管理)
巴 宝生あやこ:三姉妹の祖母、静の母
市左衛門 西山嘉孝 :「竹田屋」の主人、三姉妹の父(婿養子)
静 久我美子 :三姉妹の母、市左衛門の妻
・‥…━━━★・‥…━━━★・‥…━━━★
悠が父の涙を見たのはこれが初めてでした。
ただならぬことが起こった事を察した悠は、喜ばせるために着た晴れ着姿が恥ずかしくなりました。
三人は、そのまま正座するしかなく、
市左衛門は亀吉に「帰ってみんなに安心するように言うたってくれ」と言った。
「旦那はんにご迷惑おかけいたしまへん。失礼しました」亀吉はそう言って退席した。
「お父ちゃん? 一体、何があったんどす?」 まず葵が訊く。
「久しぶりに目の保養させてもらった。
わしの娘がこないにキレイとはいままで気がつきませんどした。」
「お父ちゃん! ごまかさんといてください」 悠がさえぎると、
静も「何事どすか?」と入って来た。
発作をおこしたばかりなのに市左衛門は「これからちょっと出てくる」と言い出し、止められる。
「お父ちゃん、うちらもう子どもと違います。
亀吉さんが商売のことで何か言う人でないことぐらい、うちでも知ってます」
「お父ちゃん、覚悟はできてます、義二さんに赤紙が来たんですか?」
「桂には悪いけど、そんなことで涙みせはりお父ちゃんと違うわ‥」と葵
「あんた、1人でこらえてはったら、また発作がおこりますえ?」
「静もいざとなったら、娘と同じどすなー。
こういう時は気をきかしてさっと娘たちをあっちの部屋にやるもんどす」
「あんた、以前の娘でしたら、あんたにいわれんでも、そうします。
けど、この子らは大人どす。みんなで助けあわなんといかんのどす」
「話してもどうなることでもないねん」
「亀吉さんは、今は、借家の管理みたいなのしてはりますなぁ」 女主人だけあって桂が言う。
「借家になんかあったんですか」
「借家の誰かが戦死しはったんどすか?」 静も訊く
「まさか、忠七っどんが?
忠七っどん、出征しはる前に、大阪にうちを訪ねてくれはったんです。
無事に帰ってきたら、この店継げといわれたこと、まともに受けはって‥」
「(え゛) お父ちゃん? そんなこと言わはったんですか?」と桂
「わかった! それで、悠、お父ちゃんに縁霧状、書いたんやな?」
「(うん)」
「違います! わかりました。 ホンマのこと言います。
悠、なんでまた、こんな時にそんな話もちださな、なりまへんな 」
「堪忍。お父ちゃんが言うてくれはらへんさかい。女でも役にたつことあります」
「男も女も関係のないこっちゃ。
誰にもどうにもできしませんし、誰にも文句いえしませんのや」
「あんた、そんなことやったら、私だけに言うておくれやす」
「今さら、遅うおす」
「すんまへん」
「うちの借家を全部つぶして、堀川通の道幅を広げるいう命令どすのや!」
「な~んでまた、そんなことしはるのどすか?」と静
「空襲に会うた時に、類焼を妨げるためどすがな」
「ああ、それは大事なことどす」と葵
「大阪の空襲かて、せめて川幅ぐらいの道があったら、あんな街全体が焼けんで済んだと思いますもん」
「それは一理あるやろ。
でもな、借家の現金収入たら、うちの財産の3分の1がのうなるっちゅうことや」
「命令やったら、しょうがないのおへんか?」 と静
「私らかて、大事な指輪や金銀はみんな拠出しましたもんな」
「今時財産なんかあったかて、焼けてしまったらおしまいどす。
その日その日をいけていけたらいいのと違いますか?」
「そこに住んでるもんを行き先も言わんと、一月以内に追い出して、家も壊すっちゅんどすえ」
いらつく市左衛門
「借家には今、店のモンの家族が住んではることやしこれから、ずっと面倒みてあげんとあきまへんな」
「そうしたいと思うてますけど、ワシ、そんな余分なお金がどこにおますねや。
蔵の商品に手をつけるっちゅうことは、ワシ、身ぃ切られるより辛い‥(泣)」
「お父ちゃーん。そんなん焼けてしまったらお終いや。
焼けたつもりで、みんなにできるだけのことしてあげるべきやと思います」と葵
「義二はんも承知してくれると思います。
お国のために、今は自分の財産や自分のことだけ考えたらいかん時やし」桂
「もう、お前らには何も言わん! 所詮、女にはワシの気持ちわからんのや」
しかし「お父ちゃん、うちにはわかります」と悠は静かな口調で言った
「お父ちゃん、いつか言うてくれはった。
竹田屋の信頼を何倍にもして次の代に渡すのが役目やって。
それができひんのが悔しいんでしょ?
そやったら、商品には手をつけんで、借家の人たちの面倒を見ることを考えかったらええのや」
「そんな‥ 家族だけでも大変な時に‥」と桂
「この家には、女衆(おなごし)の部屋や丁稚の部屋がぎょうさんあるし、
食べるモンは、裏庭に畑つくってお野菜を作んねや。
そんで足らん分は、おばあちゃんやお母ちゃんや桂姉ちゃんの着物で、うちが買出しに行きます。
な? どこに行っても食べるモンはないのやし、みんなで働いたらなんとかなります。
な、お父ちゃん!」
泣きながら、部屋を出て行ってしまった市左衛門
「うち‥、また言い過ぎてしもたんやろか。」
「あんたのいうこと間違うてへんと思うけど?」 葵
「うん」 桂もそう言い、出て行った。
そこに「ただいま」と声がした。 「おかえり」
悠ははっとして立ち上がる 「悠お嬢さん!」 「お康ぅ!」
「よう帰っておくれやした。おおきに。おおきに」お康の声は泣き声で、かすれてしまう。
「お康どんも毎日、大変やな」
「なんやうち、夢の国に来てるみたいどす~。葵お嬢さんも元気にならはって、
なんや、祇園祭とお正月とお盆がいっぺんに来た見たいどす」
「お康どん、ハッキリ言いよし。今時、こんなの着て非国民や って」
「それや。葵お嬢さんのそのいけずなことば、それが聞きたかったんどす」
「いけずで悪かったな」 笑い出す4人
「うち長生きしてよかったー」とお康。
市左衛門はんは、遅れた夕飯をいただき、巴おばあちゃまは「お先に」とごちそうさまをした。
「よろしくおあがり」と静 (おお、懐かしい)
お康は、巴おばあちゃまを離れに連れていった。
「あんた、あんたが悠のこと、竹田屋の跡継ぎにと言いつづけてはったこと、やっとわかりました。
家のことやあんたのこと、あこまで考えられるの、やっぱり悠だけどすな」
「今ごろわかったって遅おす」
静が淹れてくれたお茶を飲みながら、市左衛門は言った。
「これで悠は当分奈良へは帰らしまへんな」
「あんた」
「ワシが黙って聞いていたのは、悠のやりたいようにやらせて、ここにいさせるためや」
「あんた」
「借家のことは、ワシなりの方法で処理します。
先代さんには申し訳ないけども店さえあったら、時が来たらまたやり直しができますねん」
「へえ。私はあんたのしはるとおりに従います」
「ホンマどすな?」
「へえ」
「ほんなら、奈良の吉野屋に手紙を書いて、悠は当分帰られへんとお詫びをしておきなさい」
「へえ。それでもどういうて書くんどす? 」
「うーん、あー、ワシがほんまに寝込んだとでも書きなはれ」
「でも、女将さんはそんなことが通じるお人やおへん。私はホンマのことを書きます」
「おい、もうワシの言うとおりしてませんがな」
「へえ。そいでもなぁ」
「こういう時は、はいはい言うといて、後で自分の思うと通りに書けばいいがな」
んもう!と市左衛門は席を立っていった
「ほんとに頑固もんなんやから。素直に悠に頭下げたらよろしいのに」
三姉妹は、朝顔の着物を着たまま、桂の部屋で着物を見ていた。
「わー、上等なもんばっかりー」
「結婚する時につくってもらったんか?」
「そうや。好きな人を諦めさしたかわりや言うて」
「ふ~ん‥」と悠
「好きな人か」 葵 「悠は智太郎さん一筋やもんな」
「うん」
「けど、智太郎さん‥」
「わかってる。たとえ戦死の公報が来てもうちは信じひん。帰ってきはるまで待ってます」
「いいなー。うちもこれからほんまに人を好きになんねや」
「もう、二十四やろ?」と桂
「ほっといて。三十になっても四十になっても、恋をすんのや」
「相手がいはるかどうか、それが問題やな」
「けど、これで竹田屋の身代は当分守れるな」と葵
「おばあちゃんなんか、もっともっと上等の骨董品みたいな着物、山ほど持ってはるえ」
それを帰ってきた義二が聞いてしまった。「どういうことですか? それは」
(竹田義二 B型 三十三歳 っと)
「いや-、あんた、お帰りやす」
悠を「初めてやったな」と紹介するが、挨拶もそこそこに、
義二は葵に「竹田屋の身代が守れるとはどういうことですか」と訊く
「はぁ。竹田屋は、みんなで協力して守らんといかん いうことです」
「冗談言わんといてください。竹田屋の主人は私です。私が守ってみせます」
「そらそうやけど、いろいろあって、
自分たちの着物出し合って、食料補給せんといかん いうことになったんどす」
桂が説明したが、義二は「誰の入れ知恵どすか」と訊いてきた。
「私です」 悠は返事をした
「悠さん‥ 突然帰ってきて家の中、引っかきまわすようなことやめてくれはりますか」
「あんたぁ」
「葵姉さんも、悠さんも、もうこの家の人と違う筈どす」
「あんた、やめておくれやす、な」
「こんな時代どす、困り果てて帰ってきはったのならなんぼでも世話さしてもらいます。
けど、身代を守るなんてことはいわんといてほしおす。
女ができることはこうやってせいぜい、売り食いすることぐらいどすさかい」
「売り食いすることがそんなに軽蔑することどすか?」 葵は反抗した
「そんな恥ずかしいことどすか?」
「お姉ちゃん、やめて。な、ふたりともあっち行ってて。な、お願いや」と
桂は、2人を部屋から出した。
「うちがちゃんと話します。借家のことも。話したらわかってくれはる人やさかい。な、うちに任しといて、お願いや」
「すんまへん、ちゃんと話します」
「それより、はよ着物を片付けてくれ」
「はい」
「いっぺん家を出たもんは、戻ってもいる場所がないな」
「うちの部屋はそのままにしてあるそうやけど、桂姉ちゃんのすぐそばやし、
ナンや夫婦の話、聞いてるみたいやしなぁ」
「うちの部屋なんか、桂夫婦の寝室になってしもうたし」
「悪いことしたなぁ。つい調子に乗って、桂姉ちゃんに旦那さんがいはることを忘れてしもうてた」
「桂も大変や。うちにも経験あるけど結婚なんて結局お互いに気ぃ使うだけや」
「やっぱり、もう帰ってきたらあかんトコやったろか‥」
結婚生活の経験のない悠は、身内の中に他人が入ってくることが、どんなに大変なことかまだわからなかったのです。
(つづく)
音楽:中村滋延
語り:藤田弓子
出 演
悠 加納みゆき:京都の繊維問屋「竹田屋」の三女
葵 松原千明 :竹田家の長女(中之島病院で看護婦、大阪空襲で焼け出され帰郷)
桂 黒木 瞳 :竹田家の二女(竹田屋を継いだ)
義二 大竹修造 :桂の夫(婿養子)
お康 未知やすえ:「竹田屋」の奉公人(悠付きの女中さん) 前回は11月20日(44話)
亀吉 阿木五郎 :「竹田屋」の奉公人(家の中の雑用、今は借家の管理)
巴 宝生あやこ:三姉妹の祖母、静の母
市左衛門 西山嘉孝 :「竹田屋」の主人、三姉妹の父(婿養子)
静 久我美子 :三姉妹の母、市左衛門の妻
・‥…━━━★・‥…━━━★・‥…━━━★
悠が父の涙を見たのはこれが初めてでした。
ただならぬことが起こった事を察した悠は、喜ばせるために着た晴れ着姿が恥ずかしくなりました。
三人は、そのまま正座するしかなく、
市左衛門は亀吉に「帰ってみんなに安心するように言うたってくれ」と言った。
「旦那はんにご迷惑おかけいたしまへん。失礼しました」亀吉はそう言って退席した。
「お父ちゃん? 一体、何があったんどす?」 まず葵が訊く。
「久しぶりに目の保養させてもらった。
わしの娘がこないにキレイとはいままで気がつきませんどした。」
「お父ちゃん! ごまかさんといてください」 悠がさえぎると、
静も「何事どすか?」と入って来た。
発作をおこしたばかりなのに市左衛門は「これからちょっと出てくる」と言い出し、止められる。
「お父ちゃん、うちらもう子どもと違います。
亀吉さんが商売のことで何か言う人でないことぐらい、うちでも知ってます」
「お父ちゃん、覚悟はできてます、義二さんに赤紙が来たんですか?」
「桂には悪いけど、そんなことで涙みせはりお父ちゃんと違うわ‥」と葵
「あんた、1人でこらえてはったら、また発作がおこりますえ?」
「静もいざとなったら、娘と同じどすなー。
こういう時は気をきかしてさっと娘たちをあっちの部屋にやるもんどす」
「あんた、以前の娘でしたら、あんたにいわれんでも、そうします。
けど、この子らは大人どす。みんなで助けあわなんといかんのどす」
「話してもどうなることでもないねん」
「亀吉さんは、今は、借家の管理みたいなのしてはりますなぁ」 女主人だけあって桂が言う。
「借家になんかあったんですか」
「借家の誰かが戦死しはったんどすか?」 静も訊く
「まさか、忠七っどんが?
忠七っどん、出征しはる前に、大阪にうちを訪ねてくれはったんです。
無事に帰ってきたら、この店継げといわれたこと、まともに受けはって‥」
「(え゛) お父ちゃん? そんなこと言わはったんですか?」と桂
「わかった! それで、悠、お父ちゃんに縁霧状、書いたんやな?」
「(うん)」
「違います! わかりました。 ホンマのこと言います。
悠、なんでまた、こんな時にそんな話もちださな、なりまへんな 」
「堪忍。お父ちゃんが言うてくれはらへんさかい。女でも役にたつことあります」
「男も女も関係のないこっちゃ。
誰にもどうにもできしませんし、誰にも文句いえしませんのや」
「あんた、そんなことやったら、私だけに言うておくれやす」
「今さら、遅うおす」
「すんまへん」
「うちの借家を全部つぶして、堀川通の道幅を広げるいう命令どすのや!」
「な~んでまた、そんなことしはるのどすか?」と静
「空襲に会うた時に、類焼を妨げるためどすがな」
「ああ、それは大事なことどす」と葵
「大阪の空襲かて、せめて川幅ぐらいの道があったら、あんな街全体が焼けんで済んだと思いますもん」
「それは一理あるやろ。
でもな、借家の現金収入たら、うちの財産の3分の1がのうなるっちゅうことや」
「命令やったら、しょうがないのおへんか?」 と静
「私らかて、大事な指輪や金銀はみんな拠出しましたもんな」
「今時財産なんかあったかて、焼けてしまったらおしまいどす。
その日その日をいけていけたらいいのと違いますか?」
「そこに住んでるもんを行き先も言わんと、一月以内に追い出して、家も壊すっちゅんどすえ」
いらつく市左衛門
「借家には今、店のモンの家族が住んではることやしこれから、ずっと面倒みてあげんとあきまへんな」
「そうしたいと思うてますけど、ワシ、そんな余分なお金がどこにおますねや。
蔵の商品に手をつけるっちゅうことは、ワシ、身ぃ切られるより辛い‥(泣)」
「お父ちゃーん。そんなん焼けてしまったらお終いや。
焼けたつもりで、みんなにできるだけのことしてあげるべきやと思います」と葵
「義二はんも承知してくれると思います。
お国のために、今は自分の財産や自分のことだけ考えたらいかん時やし」桂
「もう、お前らには何も言わん! 所詮、女にはワシの気持ちわからんのや」
しかし「お父ちゃん、うちにはわかります」と悠は静かな口調で言った
「お父ちゃん、いつか言うてくれはった。
竹田屋の信頼を何倍にもして次の代に渡すのが役目やって。
それができひんのが悔しいんでしょ?
そやったら、商品には手をつけんで、借家の人たちの面倒を見ることを考えかったらええのや」
「そんな‥ 家族だけでも大変な時に‥」と桂
「この家には、女衆(おなごし)の部屋や丁稚の部屋がぎょうさんあるし、
食べるモンは、裏庭に畑つくってお野菜を作んねや。
そんで足らん分は、おばあちゃんやお母ちゃんや桂姉ちゃんの着物で、うちが買出しに行きます。
な? どこに行っても食べるモンはないのやし、みんなで働いたらなんとかなります。
な、お父ちゃん!」
泣きながら、部屋を出て行ってしまった市左衛門
「うち‥、また言い過ぎてしもたんやろか。」
「あんたのいうこと間違うてへんと思うけど?」 葵
「うん」 桂もそう言い、出て行った。
そこに「ただいま」と声がした。 「おかえり」
悠ははっとして立ち上がる 「悠お嬢さん!」 「お康ぅ!」
「よう帰っておくれやした。おおきに。おおきに」お康の声は泣き声で、かすれてしまう。
「お康どんも毎日、大変やな」
「なんやうち、夢の国に来てるみたいどす~。葵お嬢さんも元気にならはって、
なんや、祇園祭とお正月とお盆がいっぺんに来た見たいどす」
「お康どん、ハッキリ言いよし。今時、こんなの着て非国民や って」
「それや。葵お嬢さんのそのいけずなことば、それが聞きたかったんどす」
「いけずで悪かったな」 笑い出す4人
「うち長生きしてよかったー」とお康。
市左衛門はんは、遅れた夕飯をいただき、巴おばあちゃまは「お先に」とごちそうさまをした。
「よろしくおあがり」と静 (おお、懐かしい)
お康は、巴おばあちゃまを離れに連れていった。
「あんた、あんたが悠のこと、竹田屋の跡継ぎにと言いつづけてはったこと、やっとわかりました。
家のことやあんたのこと、あこまで考えられるの、やっぱり悠だけどすな」
「今ごろわかったって遅おす」
静が淹れてくれたお茶を飲みながら、市左衛門は言った。
「これで悠は当分奈良へは帰らしまへんな」
「あんた」
「ワシが黙って聞いていたのは、悠のやりたいようにやらせて、ここにいさせるためや」
「あんた」
「借家のことは、ワシなりの方法で処理します。
先代さんには申し訳ないけども店さえあったら、時が来たらまたやり直しができますねん」
「へえ。私はあんたのしはるとおりに従います」
「ホンマどすな?」
「へえ」
「ほんなら、奈良の吉野屋に手紙を書いて、悠は当分帰られへんとお詫びをしておきなさい」
「へえ。それでもどういうて書くんどす? 」
「うーん、あー、ワシがほんまに寝込んだとでも書きなはれ」
「でも、女将さんはそんなことが通じるお人やおへん。私はホンマのことを書きます」
「おい、もうワシの言うとおりしてませんがな」
「へえ。そいでもなぁ」
「こういう時は、はいはい言うといて、後で自分の思うと通りに書けばいいがな」
んもう!と市左衛門は席を立っていった
「ほんとに頑固もんなんやから。素直に悠に頭下げたらよろしいのに」
三姉妹は、朝顔の着物を着たまま、桂の部屋で着物を見ていた。
「わー、上等なもんばっかりー」
「結婚する時につくってもらったんか?」
「そうや。好きな人を諦めさしたかわりや言うて」
「ふ~ん‥」と悠
「好きな人か」 葵 「悠は智太郎さん一筋やもんな」
「うん」
「けど、智太郎さん‥」
「わかってる。たとえ戦死の公報が来てもうちは信じひん。帰ってきはるまで待ってます」
「いいなー。うちもこれからほんまに人を好きになんねや」
「もう、二十四やろ?」と桂
「ほっといて。三十になっても四十になっても、恋をすんのや」
「相手がいはるかどうか、それが問題やな」
「けど、これで竹田屋の身代は当分守れるな」と葵
「おばあちゃんなんか、もっともっと上等の骨董品みたいな着物、山ほど持ってはるえ」
それを帰ってきた義二が聞いてしまった。「どういうことですか? それは」
(竹田義二 B型 三十三歳 っと)
「いや-、あんた、お帰りやす」
悠を「初めてやったな」と紹介するが、挨拶もそこそこに、
義二は葵に「竹田屋の身代が守れるとはどういうことですか」と訊く
「はぁ。竹田屋は、みんなで協力して守らんといかん いうことです」
「冗談言わんといてください。竹田屋の主人は私です。私が守ってみせます」
「そらそうやけど、いろいろあって、
自分たちの着物出し合って、食料補給せんといかん いうことになったんどす」
桂が説明したが、義二は「誰の入れ知恵どすか」と訊いてきた。
「私です」 悠は返事をした
「悠さん‥ 突然帰ってきて家の中、引っかきまわすようなことやめてくれはりますか」
「あんたぁ」
「葵姉さんも、悠さんも、もうこの家の人と違う筈どす」
「あんた、やめておくれやす、な」
「こんな時代どす、困り果てて帰ってきはったのならなんぼでも世話さしてもらいます。
けど、身代を守るなんてことはいわんといてほしおす。
女ができることはこうやってせいぜい、売り食いすることぐらいどすさかい」
「売り食いすることがそんなに軽蔑することどすか?」 葵は反抗した
「そんな恥ずかしいことどすか?」
「お姉ちゃん、やめて。な、ふたりともあっち行ってて。な、お願いや」と
桂は、2人を部屋から出した。
「うちがちゃんと話します。借家のことも。話したらわかってくれはる人やさかい。な、うちに任しといて、お願いや」
「すんまへん、ちゃんと話します」
「それより、はよ着物を片付けてくれ」
「はい」
「いっぺん家を出たもんは、戻ってもいる場所がないな」
「うちの部屋はそのままにしてあるそうやけど、桂姉ちゃんのすぐそばやし、
ナンや夫婦の話、聞いてるみたいやしなぁ」
「うちの部屋なんか、桂夫婦の寝室になってしもうたし」
「悪いことしたなぁ。つい調子に乗って、桂姉ちゃんに旦那さんがいはることを忘れてしもうてた」
「桂も大変や。うちにも経験あるけど結婚なんて結局お互いに気ぃ使うだけや」
「やっぱり、もう帰ってきたらあかんトコやったろか‥」
結婚生活の経験のない悠は、身内の中に他人が入ってくることが、どんなに大変なことかまだわからなかったのです。
(つづく)