普段気を付けてること、実践していることをまとめて、自分用メモを書いてみようと思います。
絶賛不登校中の三女。
今日は職場に三女の担任の先生から電話がかかってきて・・・。
なんだかもう、申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまいました。
中学校の先生って、朝も早いし、運動部の顧問にでもなっていようものなら、夜も遅いし、土日も休めないし・・・と、なかなかブラック。
そして生徒は思春期に入っていく時期なので扱いにくい子も小学校や高校より多いと思います。
で、家みたいに学校に来ない子には家庭訪問もしなければならないし・・・。
志がなかったら、学校の先生なんて、ほんと出来ないと思います。
そんなわけで、先生に対する申し訳なさで押しつぶされそうになっていたので、お気に入りの近所の温泉に行ってきました。
で、洗い場で、
「私にガイドがいるように、三女にもガイドさんがいるんだから、その人達的はどう考えているんだろう」
とふと思ったら、かぶせ気味で
「愛から見てあげてください」
って、声が聞こえた・・・。
(゚Д゚;)髪の毛洗ってる真っ最中なんだけど❗️
乙姫様みたいな衣装の若い可愛い人!
妄想かな・・・(ーー;)
でも、確かに、
愛を持って三女を見守る
↓
なぜか先生への申し訳なさが減る
↓
私のストレス軽減
↓
私が楽になる
↓
この際、妄想でも何でもOK(笑)
というわけで、「愛から見る」採用です(;´∀`)
先生への申し訳なさが減るのは、おそらく、自分の立ち位置が変わるためだと思われます。
先生に申し訳ないのは、「自分がちゃんと子育てできてないせいで・・・」というような自分を責める位置。
「三女を愛から見る」位置は、三女を見つめる位置であり、
出発点は私の中の愛。
(↑ペットボトルのふたに入るくらいしかない愛かもしれんけど(;´∀`))
だから、私を責める余地がなくなるので、ストレス軽減に繋がるのかなと。。。
わけわかんなかったらごめんなさい。
とりあえず、覚え書きとして残しておきます。
新しい時代を迎えまして、自分の方向性を今一度はっきりさせたいと思います。
まず一つ目は
自分の本音とか感覚を指針に動いていく。
4月はスピリチュアルに傾いていたんですけど、
スピリチュアルよりただ、ひたすら自分の本音とか感覚を指針に動いていくことをこの先も続けていきたい。
んん?これもスピなのかな?
Happyちゃんに触発されて、そういう生き方を選んで、自分の本音や感覚を優先するようにしてきてみて、
ホント昔の私って、
自分の感覚に蓋をして生きていたんだなーーー
大きく書いてみた(笑)
って思います。
自分の感覚に従って、今日着る服を選んだり、食べるものを選んだり・・・。
小さいことだけど、やってると感覚が研ぎ澄まされていく。
面白いよ(≧▽≦)
2つ目は
怖いことにチャレンジする
別に、無理はしなくていいし、向こう見ずなことをしようっていうんじゃないんですよ。
1年ちょっと前、離婚した時、色々うまくいかないのって、
怖くて避けていたところにこそ、うまくいくヒントがあるんだろうなって実感したから。
心屋さんやナリ君もブログで言っていることだけどね。
何度も同じこと繰り返して、うまくいかないんだったら、別のルートを行ってみるしかないし、案外それって、怖くて避けていたルートっていうことが往々にしてあるってことですね。
3つ目は、
本質を見極める目を養う
4月に、某有名大学の入学式で話題になった祝辞がありました。
ネットで調べて読んでみたんですけど、今までもそうだけど、これからはますます「本質を見極める目」が必要になるんだろなと、漠然と思いました。
私は、結構すぐ周りの意見に流されちゃうっていうか、
周りに合わせちゃう人間なので、
そんな私は、自分軸がズレているし、大事なのは周りの反応なので、本質なんて大して気にしていないという・・・。
というわけで、
私の令和三箇条
自分の本音とか感覚を指針に動いていく。 怖いことにチャレンジする。 本質を見極める目を養う。 |
もう1週間ぐらい過ぎてしまいましたが、
今年の春分の日はどうやらすごいらしいですね。
おまけにてんびん座の満月と重なってるそうで・・・。
よく読んでいるKeikoさんのブログを参考に、東枕で寝てみたり、初めてのことに挑戦したりしてみましたよ。
初めてのことに挑戦するって、なにがあるだろーーと考えた結果、
水ガニを食べることをしました。
存在すら知らなかったのですが、脱皮して間もないカニのことで、資源保護のため最近は漁の期間が制限されていたり、漁自体が禁止されていることも多いんですって。
ちなみに、私の月星座は「かに座」です(笑)
最近のいろいろな自分のこととかで、せっかくすごい年になるらしい2019年を迎えるにあたって、
なにかこう、自分を一新したいと思っていたのですが、
ルミナさんのブログで、
「わたし」を愛することは
「わたし」を表現すること。
てんびん座満月 わたしと世界のダンスが始まる より
わたしを表現するってどういうことをすればいいんだろう?と、つらつら考えていました。
ブログで自分のことを考えていることを書いたり、自分が作ったハンドメイド作品を出品したり、最近は写真も趣味なので写真の投稿にも力を入れていますが、
そういう表現のことなのかなーーーー。
これだったら今までとあんまり変わらない・・・。
とおもっていたら、
晩ごはんを作っているときに、ふと、これだなって思ったんです。
すごーーくありきたりな、日常の一ページというかワンシーンというか、
そいうところにしっかり重きを置いて命を使うっていうか・・・。
ただ日常を丁寧に生きましょうとかそういうんじゃなくて、
そういう地味ーーーなこと(いつもやってるし、私以外のたいていの人がやってるようなこと)をしている私の物語が、刻一刻と綴られていて、
当たり前に誰もがやってることだから、誰も読みたがらない物語なのだけど、
みょうに、そこが、とても尊くてめちゃくちゃ愛を感じるところのような気がして・・・。
そして、何もないこの私が、私のままで生きていいっていうのは、こういうところから発生するのかな・・・。
なんだか、とりとめのないものになってしまいましたが、
一言でいうと、日常を慈しむっていうことなのかな。
誰も読まない私の物語を、私が死んだら私が読むから・・・。