修験道の僧として、各地の人々に仏像を作って信仰のよすがを配って回ったという。
寛永9年(1632)岐阜羽島にうまれ、元禄8年(1695)没というが、特定の寺院に修業したのではなく、その生涯ははっきりわかってはいないのだ。北は青森から蝦夷地の松前にわたり、各地で数多くの仏像を作って歩いた。旅から旅へ、東北・関東・中部から奈良、伊勢まで修験道の行脚をして、各地に仏像を残している。
後世の人は臨済宗というが、「何れの宗派ということを不知」だというのが本当らしい。
徳川時代、三代将軍家光の世だというが、当時、旅の僧が北海道に渡って、仏法を広めることが行われたというのは向こうに和人の社会ができていたということだろう。
円空をテレビで見たのだが、画面にでてきた仏像をカメラで撮ったのが次の画像。
仏像を作る前のデッサンだろうか。
微笑みを浮かべた仏像。立ち回り先では鉈1本を借り、生木に素朴な手を加えたといわれ、庶民に安気な信仰を授けたという風情なのだ。
この観音様は、寺院のために作られたので、のみ、鉋など精緻な工具が使われている。
微かな微笑みが、衆生に安心の境地をあげようとしている。
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