何のためにやっているかというと、財源のめどのないまま政権公約を発表したそのつけを何とかせねば、大赤字になる、尻から火がついているのです。
おかげで、見ているほうは、いろいろ酷い実態がわかるのです。
これは結構。いままでなかったことだ。
ただ、仕分けをしているほうの態度は、役人や特殊法人から、事実を確かめているのだ。
意見を聞いてるのじゃない。ディスカッションをするのではない。判断はこちらでする。相手のパーソナリティは関係ない、という一方通行の論理なのだ。
呼び出されているほうは、弁護士なき被告みたいなものです。
聞かれたことのみ返答しなさい。
このやりかたも、政治家としては従来イメージしなかったことだ。
この仕分けを見ていて、私は、腑分けという言葉を連想しました。
江戸時代、千住の手前の小塚原の刑場で、死罪になった骸の解剖に杉田玄白など蘭学者が立会い、のちに解体新書を著述した、日本医学近代化の黎明のできごとです。
死人にくちなし。問答はいらない、事実のみを確かめたい。
今やっている仕分けは、腑分けに共通する方法だと思えるのです。
私は、漠然と、国の政治ってこれとはちょっと違うよな。と感じるのでした。
話ついでになりますが、あの小塚原はもっと前は骨が原といったらしい。
刑死者を埋めたのを野犬がほりだすので、そこいらじゅう骨だらけだったようです。
それではあまりにどぎついというので、小塚原の字をあてたのだそうです。
いまでも、小塚原から山谷のほうにゆく道にコツ通り商店街という名の通りがあります。
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