汽笛一声新橋を♪♪、で始まる鉄道唱歌の駅はここよりも東側、汐留側になる。
この写真を写した時は、丁度、広場で古本市が行われていて、本屋の屋台が広場全部を占領していた。
ここは、後背地に霞ヶ関、虎ノ門、赤坂などビジネス街が控えている。
また、新橋駅は山手線、京浜東北線、総武線、それに羽田空港モノレールとか、地下鉄線が勤め人をほうぼうへ運搬しているのだ。
過去、私も隣の浜松町に勤めていて、新橋の飲み屋街にはしょっちゅう出没していたのだ。
役所の人、業界の人などとの行き来の場、ネゴする場、足場あ固める場、意気統合の場として、ほろ苦い思い出も数々ある。
また、ここの広場は、テレビ局のレポーターが、社会問題などに関連して、マイクを片手に街の声を聞くところとして有名なのだ。
背景には、ニュー新橋ビルが映ったり、ガード下のバラエティショップ、キムラヤが映ったりしている。
私も、一度、取材を受けたことがある。
何不自由ない独身サラリーマン、パラサイトシングルなどという話題の感想を求められたのだ。
それが、結果として放送されたかどうかは分らない。
一杯機嫌だったし、どこのテレビ局だったかも知らない。
インタービューする人、カメラマン、電源コードや機器を持つ人など3~4人が組みになって取材するのだ。
終戦直後、ここらは野っぱらでヤミ市がたち、ニュー新橋ビルもまだなかった。
薪を焚いて鍋にラーメンやスイトンを作って売ったり、古着や毛布など露天で売っていた。
戦傷者が、松葉杖を手に唄を唄って物乞いをしていた。
ねぐらのない子供もうろうろしていた。
それらが、電車の高架駅から良く見下ろせたそうである。
C産業のS社長が言っていた。
戦争の惨禍、戦後の保証なき市民生活が、ムキムキに、全く露出していたその現場がここにあったのである。
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