安土桃山時代、織田信長が甲州征伐に進出し、武田勝頼を滅ぼし、それらの残党が匿われていた塩山の恵林寺に押し寄せ、残党をこちらに引き渡せと強要した。
臨済宗恵林寺の快川和尚は、信長の要求を拒否したため寺が焼き討ちされ、そのとき「心頭滅却すれば火もまた涼し」と偈を発して焼かれる寺とともに焼死したのだそうだ。
それが天正10年(1582)4月のこと。
今、私ら酷暑にめげている立場からすると、「無念無想の境地にあれば火でも暑くない」というのは、負け惜しみとも思えるのだが、どうあろうともやっぱり汗は出てくるのですね。
織田信長は、天下統一に奔走し、ようやく目途がたってきたと思う年だったのだが、この年の10月、彼は京都の本能寺に居るところを明智光秀に襲われ、天下取りの野望は寺とともに灰燼に帰したのだった。
「火もまた涼し」どころか、寺を焼き、寺を焼かれて、とても熱い最後だったのである。
暑い話題でごめんね。
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