それは確か昭和56年頃だったと思う。当時、私は、赤坂に勤め先があって、その辺はいろいろとご縁があったのです。
多分、誰か、訳知りの知人と一緒だったと思うのですが、赤坂TBS近くに上原謙が若い奥さんにやらせていたお店があって、ついてゆきました。
小奇麗なスナックで、まだ宵の口だったためか、客は私らだけでした。
多分、店の名は、ハニーでした。
上原の若奥さんOさんがママ。上原との間に女児を儲けていて、幼稚園児。
雑談のなかでママさんが、幼稚園の父親参観日のこと、皆お父さんが来るのに、私のところだけおじいさんがくるというので、いじめられて泣いて帰ってくるといっていました。
お父さんに違いないのだが、見た目おじいさんなので、しょうがないみたいに言っておられました。
ややあって、今度は、当の謙さんが来られました。
トレードマークの中折れ帽をかむり、どこかのパーティの帰りに寄ったみたいでした。
パーティの引き出物をママに示しながら、お土産の説明やパーティの具合などをねんごろにお話しされていました。
やわらかい、思いやりたっぷりの口調でした。
とってもマメな謙さんの態度でした。
もてるヒトは違うなと、強く印象に残ったものでした。
上原謙は、遡ること数年前に先妻(小桜葉子)を病気で亡くし、若奥さんは後妻さんだったのです。
加山雄三の父上、そして、往時、茅ヶ崎パシフィックホテルを岩倉具視の孫から引き受けたのだが、倒産して、酷い目にあった人でした。
昨日、桑田佳祐の歌にでてくるパシフィックホテルが、朝日新聞の土曜のbeという欄にのっているのを目にしましたので、上原謙をおもいだしたのでした。
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